HOME活動報告 > 記事

(2011年9月2日)

連合「2011平和行動 in 長崎」―参加報告―

連合泉南地区協議会 副議長 杉山 忠宏

 2011平和行動in長崎参加させて頂いた。連合の平和行動は私自身、社会運動の需要な観点から非常に関心をもっている取り組みであり、既に「広島」「沖縄」に参加しているが、今回被爆地長崎の行動に参加する機会を得た。

日程

 2011年8月7日(日)~8月9日(火)の3日間の行動であった。

 連合大阪大阪南地域協議会からは私(バンドー化学労働組合 杉山忠宏)と、地協事務局 大林妙子さんが参加した。

<参考:連合大阪の参加メンバー>

 コーベヤ労働組合 西さん
 星光ビル管理労働組合 小村さん
 ファッション労連SSOKユニオン 山田さん
 UIゼンセン同盟大阪府支部 林さん
 関電労働組合三国支部 澤井さん
 大阪交通労働組合 松下さん
 日教組 八木さん
 連合大阪事務局 田中さん
 連合大阪事務局 島本さん

活動レポート

1日目 8月7日(日)

<核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会>

  • 主催:連合・原水禁・核禁会議
    会場:長崎県立総合体育館メインアリーナ
    内容:3団体の代表による「平和宣言」、被爆者の体験談及び長崎の子供達による平和の歌。
2011平和ナガサキ大会

2011平和ナガサキ大会

2011平和ナガサキ大会 連合会長挨拶

2011平和ナガサキ大会 連合会長挨拶

<連合大阪団参加者全員による交流会>

 私にとっては参加者の殆どが初対面であり、この様な他労組との交流会を企画して頂きありがたかった。会場である吉宗(よっそう)本店で名物料理(茶碗蒸し・蒸し寿司)を摂りながら、各単組活動や平和行動への意見交換をした有意義な時間であった。

2日目 8月7日(月)

<長崎平和公園でのピースウォーク>

内容:連合長崎の青年・女性委員会のメンバーがピースガイドとなって、被爆者からの聞き取りや長崎に原爆が投下された事実の説明を聞くなどした。被爆地で耳にする過去の悲惨さは、改めて原爆の恐ろしさ、戦争を繰り返さないことへの思いを強く認識させてくれた。

※なぜ長崎に原爆が落とされたのか?
長崎は空爆の被害をあまり受けていなかった為、原爆の威力を確かめるのに都合がいいとされた。また、造船所や製鋼所、兵器製作所などの工場が集まっていたことが理由と考えられる。

ピースウォーク

ピースウォーク

ピースウォーク

ピースウォーク

・2日目も四海楼にて、全員での夕食会が行われた。2日間も行動を共にすると仲間意識も芽生え、長崎の名物料理(ちゃんぽん・皿うどん)を頂きながらの楽しい交流であった。

3日目 8月9日(火)

平和公園

平和公園

<平和祈念式典>

会場:長崎平和公園
内容:会場全員で黙祷を捧げ、各種代表より「戦争を繰り返さない誓い」「原子力の安全管理」について宣言がなされた。
※原爆死没者名簿登録者数は155,546人(平成23年8月9日現在)となっている。

長崎平和行動に参加しての感想

 3日間、35度を超える猛暑日での活動で、正直、大変きつい「2011平和行動in長崎」であった。しかし、原爆で被災された方々や、本年の3月に発生した東日本大震災やその影響による福島県の原発被災などから自宅に帰れない方々の事を頭にうかべれば、私たちは幸せだと感謝しなければなりませんし、帰阪しても家族とその話題となった。

 今後、私たちがやらなければならない事としては、原子力発電について労働組合の仲間(電力労組)と各企業の稼働に対する協調が大切ではないかと感じる。

 脱原発を目指している労働団体と平和会議に参加したが、「大声を出して野次る」行為に対し、不快感を覚えるし、一緒に行動していく仲間として違和感を覚えずにはいられなかった。

 最後に、平和行動in長崎に参加した皆さん、ご一緒させて頂きありがとうございました。またどこかでお会いできたらと思いますし、その際は宜しくお願い致します。

集合写真 平和祈念像前にて

集合写真 平和祈念像前にて

―2011平和行動in長崎に参加して―

連合大阪大阪南地域協議会 大林 妙子

長崎市内

長崎市内

 恐らく、"放射能"という言葉に日本人が最も敏感になっている今年、8月7日から9日にかけて行われた連合・原水禁・核禁会議主催の「平和行動in長崎」へ参加させて頂きました。

 母に連れられて小学生の頃にも一度平和祈念式典を見に行ったことがあるのですが、子どもだった私の記憶には残念ながら長くは残らず、今回初めて来たような感覚を覚えました。

 一日目の長崎は曇天。連合大阪の参加者11名で「2011平和ナガサキ大会」の会場である長崎県立総合体育館へ向かいました。

 主催各団体の震災・原発事故を踏まえた上での慎重な挨拶、国際労働組合総連合からの日本へ向けた暖かいメッセージ、語り部の減った被爆者の悲痛な訴え。それぞれを心の違う場所で受け止め、自分の中に大切に保存しました。

 また、高校生や親子での活動には、小さいころからの教育や、「忘れてはならない」「伝えなくてはならない」という一人一人の気持ちの大きさを感じました。

 人は辛ければ辛いほど忘れたがる生き物ですし、実際に忘れた方が良いことも沢山あります。けれど、恒久平和を声に出して発信する為に、長崎・広島の人々は被爆地であるという過去から目を逸らさずに生きています。
 ただただ、頭の下がる思いです。

2011平和ナガサキ大会 高校生平和大使

2011平和ナガサキ大会 高校生平和大使

 翌日は雨が気ままに降る空の下、朝からピースウォークが始まりました。個人的に意外だったのは、唯一記憶に残っている平和記念像より、周囲の彫刻や碑に強く気を引かれたことでした。それは姉妹・友好都市からの贈り物であったり、被爆した日本人以外の方の魂を悼むものであったりします。そのどれもが愛情を求め平穏を願うもので、世界は決して平和に否定的ではないのだと心強く感じました。

平和シンポジウム

平和シンポジウム

 午後からの平和シンポジウムでは、「被爆66年 残された課題について」と題した講演とパネルディスカッションを興味深く拝聴しました。

 被爆した場所が当時の長崎市内ではないという理由だけで被爆者手帳を貰えずにいる、被爆"体験"者。その不条理な分類の存在を知らずに過ごしてきた自分を情けなく思うと同時に、世界へ平和を発信しながらも直ぐ傍らで苦しんでいる人々を救えないこの国の制度に悲しみを覚えました。

 そして平和祈念式典の朝。ホテルを出た時はどしゃ降りでしたが、平和公園前へ着くと嘘のようにぴたりと雨が止みました。まるで空もこの時を理解しているかのような、とても不思議な心持ちになりました。

浦上天主堂 マリア像

浦上天主堂 マリア像

 式典の中で一番印象に残ったのは、田上長崎市長の平和宣言です。制御力の過信・抑止力の幻、私たちはそんなものに惑わされていたのではないかという訴えに、心が揺れました。誰だって今生活している場所が安全だと信じていたいです。怖いものから身を守れる手段があれば、不安だからすがりたくなります。そんな考えが国家という括りのせいで澱み、いつのまにか個人も利己主義の塊となっていたのかもしれません。

 核兵器とは、人が使ってはならないもの、人の手には負えないものです。

 被爆地や核実験場での悲惨な状況を経てそう断言できる現在、世界の核兵器廃絶を願い実行することは、もはや全ての人々の義務ではないでしょうか。

文字サイズ:文字サイズ小 文字サイズ中 文字サイズ大

大阪南地域協News

RSS2.0

カウンター (2009年3月〜)