HOME活動報告 > 記事

(2013年8月5-6日)

連合「2013平和行動 in 広島」―参加報告―

連合泉南地区協議会 議長 宮崎孝行

原爆ドーム

原爆ドーム

 2013年8月5日(月)~6日(火)にかけて、「2013平和行動 in 広島」へ泉南地区から小川事務局長と参加しました。連合大阪の参加者は17名でした。

 猛暑の中、平和記念公園原爆ドーム前からフィールドワークがスタート。連合広島のボランティアの方々から、公園内にある慰霊碑や記念碑についての説明を受けました。

 その一つに「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」があります。被爆した裸身の女教師が子どもを抱いて、絶望的な悲しみのまなざしで空を見上げている銅像です。

 当時、男教師は戦争へ、小学校高学年は疎開しており、残されたのは低学年と女教師のみでした。犠牲者は推定で子ども2千人、教師200人とされており、名前さえ判らない人も多くとても悲しい碑でした。

 教師と子どもの碑

教師と子どもの碑

 公園内には悲しい碑ばかりでなく、被爆者を励ますアオギリの木もありました。

被爆したアオギリ

被爆したアオギリ

 このアオギリは昭和8年、郵便局の落成時に中庭に植えられ、12年後に被爆しました。すさまじいエネルギーの熱線が襲いかかり、同じ中庭にあった桜やカイズカイブキとともに、爆心側の幹や枝は、瞬時にして黒焦げになり、幹の半分は焼けてえぐられ、中は空洞になって見るも痛ましい姿でしたが、アオギリの生命力は強く、移植にも耐えることができ、その後、けなげに生きる姿に被爆者が励まされたそうです。

 今では被爆二世のアオギリの苗の木が市内の小学校に植えられており、また、全国各地から訪れた小・中・高校へも採取した種子が配られ多くの二世のアオギリが育っているそうです。

原爆死没者慰霊碑

原爆死没者慰霊碑

 ピース・ウォーク後は少し自由行動があったので平和記念資料館へ足を運びました。なぜ広島や長崎が標的になったのか?など、知らない事がよく分かりました。そしていくつもの目を覆いたくなるような遺品に、原爆の恐ろしさを体感しました。

 資料館には多くの子供たちも訪れており、原爆の恐ろしさを後世に伝えて行かなければならな いと改めて思いました。

 17時からは、上野学園ホールにて「連合2013平和広島集会」が連合広島石井会長の挨拶で開催されました。その中で平和の語り部・被爆者体験証言広島県原爆被害者団体協議会坪井理事長の体験をお聞きしました。

 坪井さんは爆心地から1kmの所で被爆しました。被爆後は若年者の救護が優先された為、青年だった坪井さんは治療施設までトラックに乗せてもらえました。その後40日間、意識不明の中で終戦も知らなかったそうです。回りの収容された人が次々に亡くなっていく中で、坪井さんは母親が自分を懸命に探す声に反応することができました。幾つもの奇跡によって坪井さんは68年目を迎える事が出来たと語られていました。

 坪井氏

坪井氏

 一瞬にして14万人余りの尊い命を奪った原子爆弾が広島に投下されて、今年で68年を迎えました。今なお多くの被爆者が放射線障害にくるしんでいます。

 今日、核兵器はいまだに世界に約2万発も存在し、人類は核兵器の脅威にさらされています。核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現をめざして、これからも国際労働組合総連合や、平和市長会議、広島平和文化センターはじめ、多くのNGOとも連携し、職場や地域における核兵器廃絶運動を粘り強く取り組むことを集会の中で誓い合いました。

 2013平和広島集会

2013平和広島集会

 その後再び平和記念公園に戻り、原爆ドームを参加者で囲み「ピースキャンドル」として蛍光リングによる平和への祈りを捧げました。

 ピースキャンドル

ピースキャンドル

 2日目は8時より「広島市原爆死没者慰霊式」並びに「平和祈念式」が始まりました。約5万人の参列で私たちはアオギリのそばのモニターでの参加となりました。

 今年1年で新たに死亡が確認された被爆者5,859人の名簿を原爆慰霊碑に収め、原爆死没者は合わせて28万6,818人となりました。原爆投下時刻8時15分に遺族代表、子ども代表にて平和の鐘を突き参列者全員で黙とうをささげました。

 松井市長は平和宣言に被爆者5人の体験談を盛り込み、核兵器廃絶に取り組むための言動力とならねばと決意表明し、世界の偽政者に「威嚇から信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきだ」と呼びかけました。また、核兵器を[絶対悪]とあらためて否定し、世界の指導者に廃絶への取り組みを求めました。

 子ども代表2名による平和への誓いでは、「さあ、一緒に平和をつくりましょう。大切なバトンをつなぐために」と誓いました。

 平和祈念式

平和祈念式

 今回、広島平和行動に参加させて頂き、一瞬にして14万人の命を奪いそして68年の歳月がたっても今なお、原爆死没者が28万人を超え増え続けるこの核兵器は、松井市長の言った絶対悪そのものだと改めて再認識しました。

 被爆者は、平均年齢が78歳を超えた今も平和への思いを訴え続けています。私たちがその思いを共有し、ともに進むべき道を正しく選択すること、核兵器も戦争もこの世界には必要ないと発信つづけることが大事だと気づかされました。

 連合大阪集合写真

連合大阪集合写真

連合「2013平和行動 in 広島」―参加報告―

連合泉南地区協議会 事務局長 小川 正純

 8月5日(月)・6日(火)の2日間「2013平和行動in広島」に参加しました。

 この夏の暑さは十分わかっていたつもりでしたが、当日、JR和泉砂川駅から出発した私は、広島に向かう道中の体温と変わらない気温と容赦ない直射日光で、気力を奪われ、2日間の行程に体力が持つかどうか?非常に心配でした。

 初日の5日は、午後に広島に到着しそこから「ピースウォーク」に参加、夜には連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2013平和ヒロシマ大会」、翌日の6日は広島市主催の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加しました。初日のピースウォークは、地元連合広島の皆様のご協力で、平和祈念公園内にある様々なモニュメントを解り易く解説していただきながら学習しました。約20年ぶりに見る平和祈念公園はずいぶん綺麗に整備されていました。原爆ドームは、既に劣化が始まっているとのこと、広島の原爆を語り継ぐ上で非常に大切な建物であり、永遠に良好な状態で残していただきたい思いを強く持ちました。またピースウォークに参加の中、祈念公園内で多くの学生たちが署名活動を行っているのが印象的でした。

 夜からの「核兵器廃絶2013平和ヒロシマ大会」では 、県原爆被害者団体協議会 理事長の坪井 直さんから、20歳の時に爆心地から1kmの地点で被爆した時の様子と、これまでに亘る壮絶な人生のお話を聞きました。テレビや雑誌などでは被爆された方々の体験話は何度と聞いたことがありますが、実際に直接お話を聞いたのは初めてでした。坪井さんの話はより一層現実的で、戦争の凄まじさを改めて実感しました。原爆投下当日の暮らし、原爆投下の瞬間、そして投下直後の惨劇、始めて聞く内容に正直身体が震えました。また、生き残られた方々のその後の人生や身体的なハンディを理由に、就職や生活でも苦しんだ被爆者がたくさんいたとお話を聞くと、半世紀経過した今でもこの戦争は終わってないことを理解しました。

 これまで、聞くことのなかった、原爆の悲劇。一瞬にして人の人生、暮らし、そして家族、仲間を奪う原爆の恐ろしさ。改めて戦争を考える機会を得ることが出来、本当に感謝しています。私たちに今できること、それは1人でも多くの人に戦争という事実を、繰り返してはならないこの惨劇を、後世に伝えて行くことです。平和行動を終え帰宅した私は、初めて子どもと「ヒロシマ」について話し合いました。

文字サイズ:文字サイズ小 文字サイズ中 文字サイズ大

大阪南地域協News

RSS2.0

  • 活動報告

カウンター (2009年3月〜)