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(2014年6月13日-16日)

連合大阪大阪南地域協議会設立25周年記念事業
ベトナム視察研修

  • 実行日: 2014年6月13日(金)~16日(月)
  • 場所:ベトナム ホーチミン
  • 参加者数:14名
  • 日程:行程表(PDF)

大阪南地域協議会議長 佐々木栄一

 6月13日(金)8時30分関西国際空港集合で始まった大阪南の25周年ベトナム視察は16日(月)8時45分関西国際空港に到着し解団の挨拶を終え無事終了した。丸々4日間の工程はハード。(食事が思うようにならない。なんで、あれだけ海老料理や独特の臭いがするのだろう。)

 日頃多くの迷惑を掛けている各地区議長、そして地区の役員の皆さん、今回はこれまでの活動を支えていただいた諸先輩を合わせ総勢14名と若干寂しい人数であったが、こじんまりとし、すべてがひとつになれる団であった。

ベトナム タン・ソン・ニャット国際空港

ベトナム タン・ソン・ニャット国際空港

いきなりのスコール

いきなりのスコール

 ベトナム到着と同時に歓迎のスコールは熱帯地方独特とは言え、前日まで40度近くあった気温が32度と過ごしやすくなったというガイドさんの言葉にうなずくも、ジトーとする湿度が首にまとわり着き、バスのクーラーの心地よさがありがたい。

 南海金属ベトナム(株)への工場訪問では吉元社長の温かい笑顔に包まれた受け入れが印象に残る。2012年にライセンスを獲得し昨年工場が出来たばかり、従業員も予定の人数までは足らず、育てている所。ベトナムでの事業展開は、日本国という枠で繋がってビジネスチャンスが大きく展開しており、大変やりがいがあり、努力すればするほど実になるようで熱意を感じることが出来た。ベトナムの方は勤勉であるが、会社が教育をしてレベルアップする事で、次へのステップとして転職していくのではと複雑に感じられた。ただ、吉元社長は仕事より文化を教え込むこと、日本人と同じ気持ちを従業員が持ってくれれば南海金属ベトナム(株)が大きくなるとの信念から5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の徹底をゆっくりしっかり教えているようであった。

 南海金属ベトナム工場にて

南海金属ベトナム工場にて

 戦争証跡博物館は痛々しい生々しい資料と障害者(枯葉剤の影響)が多く居られ、無益な戦争を行ったことへの反省が必要と感じる。

 クチトンネルツアーでは悲惨な戦争におけるベトナム人の発想やたくましさを垣間見る事が出来るとともに、ベトナム国民が頑張ったことがアピールされていた。

 メコン川クルーズにおいては、茶褐色の川をポンポン船で島に渡ってのハチミツ工房と小船でのジャングル?を見学であったように感じるも、スコールによる停電と私達のツアーしか居ないのかとてものんびりとしたひと時が流れていた。ニシキヘビとの記念写真しか記憶にないが、たくましさを見せたのは女性陣であり、ナンボ運に恵まれるからと言っても触れたくない。

 ガイドのリンさんのおかげでスムーズに4日間のベトナム旅は終了した。今回のベトナム視察は、茶色い川のイメージとバイクがどんだけ普及しているのかベトナム人のタフさを知る事になった。食事が合えば自分自身としてはとてもすばらしい旅であったのだろう。3キロやせ肉体的にはハードであったが、見聞多く人生の巾が広がる旅であった。

堺地区協議会 議長 藤原広行

バイク渋滞

バイク渋滞

 空港に降り立った時は曇り空だったのが、入国手続きを終え空港ビルを出た途端、突風とともに激しいスコールの洗礼を受け、今回の研修の先行きに一抹の不安を覚えるスタートとなりました。バスに乗り換えてホーチミン市内に入ると目に飛び込んできたのは、凄い量のバイク・バイク・バイクでした。いたるところでクラクション(自車の存在を示すためらしいですが)が鳴らされ、車と大量のバイクが激しく行き交いながらも渋滞することなく一定の流れで動いていることに感心しました。ホーチミン着が夕刻でしたので、懇親会を兼ねた夕食会で視察団の懇親を深めました。

 翌14日は、ホーチミン市内からバスで2時間以上移動し、ドンナイ省ニョンチャック第3工業団地にある南海金属株式会社ベトナム工場を視察見学しました。

 工場に着き、吉元浩幸ベトナム工場社長からベトナム情勢や会社概要などについて説明を受けました。ベトナムでは、2014年から2015年にかけて日系企業の進出が著しく、北部は大手企業が中心で、南部は中小企業が中心になっていて、この第3工業団地にも日系企業約30社が入所しており、今後も進出が予定されているようです。労務に関する問題点については、現地採用の従業員は、日常の挨拶から教育していかなければならないようです。また、ベトナムでは転職する度にスキルアップしていくことが普通であるため、有能な人員を確保するとともに、技術の継承と人材の育成を継続しておこなっていくことが課題とのことです。現在の従業員は将来の幹部候補生と位置付けており、今は週末などにコミュニケーションを図ることを心がけているようです。余談ですが、敷地内の芝生のグランドに手製のサッカーゴールが置かれていて休憩時などに汗を流していて、最近は周辺の会社からも参加する人が増えて地域のコミュニケーションにも役立っているようです。

 吉元社長の案内で施設内を見学しましたが、工場は2013年7月に竣工した新しい施設で事務所棟と工場棟が一体化しており、事務所から工場内を見渡せるのが特徴的でした。工場棟内は、屋根に断熱材が張られており気候対策が施されていました。溶接ロボットなど一部が稼働したばかりで、これから本格的な操業になっていくようです。3年後には人員も100人体制に増やしていく予定だそうです。事務所棟にはロッカー室やランドリー室の他に、将来の従業員増に備えて広い食堂が完備されていました。

 施設見学後、いくつかの質疑応答をおこない、最後に吉元社長から「風習や文化の違う国で慣れないことばかりですが、人と人との繋がりを大切にして日本の良さをベトナムに伝えていきますので、皆さんも組合員のためにしっかり活動してください」との言葉をいただきました。

手製のサッカーゴール

手製のサッカーゴール

質疑応答

質疑応答

 午後からホーチミン市内にある戦争証跡博物館・統一会堂(旧大統領官邸)・中央郵便局を見学しました。戦争証跡博物館では、ベトナム戦争を中心とする各戦争や事件などの証跡が展示されており、侵攻や抗戦を繰り返してきたことよる最悪の結末を目の当たりにしました。比較的近年の戦争であったため、写真(カラー写真も)や資料が多く、その悲惨さがリアルに伝わってきました。特に枯葉剤散布による胎児への影響は今も続いており、戦争の恐ろしさを痛感しました。

 15日は、ベトナム戦争中に掘られたクチトンネルを訪れました。このトンネルは南ベトナム軍およびアメリカ軍からの攻撃に対し、南ベトナム解放民族戦線の要塞基地として北ベトナムの支援のもとに作られました。このトンネルは全長約250kmにもおよび、内部は軍関連施設だけでなく、人々が生活する住居はもちろんのこと、学校や病院などもあり、地下3階まで掘られていたようです。アメリカ軍に「ゲリラはどこにもいないが、どこにでもいる」と言わしめたのが印象的でした。ただ、村や国を守るためとはいえ、前線で闘う人たちの戦績に対する意識や評価などを考えると複雑な思いでした。その後、ミトーへ移動しメコン川の中州の島で暮らす人たちの生活に触れるとともに、今もなお生い茂っている原生林の雄大さに目を奪われました。

 今回の視察研修で学んだこと、経験したことを今後の活動に活かしていくとともに、絆を確認した泉州地区・泉南地区・堺地区の三地区協議会が一体となって大阪南地域協議会を盛り上げていくことを誓い、さらに今回行動を共にした仲間の皆さんに感謝し報告といたします。

泉州地区協議会 議長 野内克則

 連合大阪南地域協議会、結成25周年記念事業としてベトナム視察研修団(2014.6.13~16)に参加させて頂きました。南シナ海の石油掘削を巡って、ベトナム船と中国船が衝突し、両国の対立が緊迫する中での視察で渡航の中止も心配しましたが、無事に出発・帰国する事ができました。

 熱帯モンスーン気候に属する視察場所のホーチミンは朝・昼・晩とにかく暑く、夕刻の4時半頃にはスコールが降り注ぎ、国民の交通手段は、ほとんどがバイクでクラクションを鳴らしながらの走行、実際、横断歩道を青信号で横断するのも命懸けで横断した有様でした。また、帰国時の飛行機の遅れは、心身共に疲れ果てました。

 さて、道中日記ですが、大阪南・堺・泉南の議長が詳しく記載してくれる様なので、私見のみで報告させて頂きます。

 まず、南海金属株式会社ベトナム工場様の視察ですが、操業間もない事もあり綺麗かつ整然とした印象を受けました。職業柄、水道管や機械の配管を丹念に拝見しましたが、コマが主流で瓢箪が一つで指輪はナシ・・・。まだまだ、発展して行く国ですので、水道やガス等の市場はここに有りと思ったしだいです。

また、工場と事務所がガラス張りの見渡せる建家の造りは特徴的でしたので、以前、他国を訪問した経験を踏まえ、嫌な質問をしたところ、監視カメラは設置していません、と共に、日本の風土を定着させたい思いです、と大人の回答がありました。そして、社会的・社内的教育について伺った処。ベトナムは学業的には向上心に溢れ、転職によりスキルを上げていく風土であるが、時間的にルーズであり、信用・信頼=契約である。社内的には日本の風土、挨拶・5Sを中心に教育しているとの回答がありました。また、ベトナムの最賃等踏み込んで伺い、生の実情も教えて頂きました。私も製造業であり、日本が世界で今後も躍進するには、技術力=品質しか勝ち目はないと改めて肝に命じる工場視察でした。

余談ですが、すぐのお隣に、当社のグループ会社の工場があり、事前に情報があれば視察できたのではと悔いが残っています。

工場が見渡せるガラス張りの事務所

工場が見渡せるガラス張りの事務所

5Sが書かれたボード

5Sが書かれたボード

 そして、もう一点、必ず記載しなければならないのが、戦争証跡博物館です。国内や海外でも多々、戦争史を展示する所を見てきましたが、これほどカラー写真の多い博物館は見た事がありませんでした。戦利品の様に、泣く子供の首にナイフを突きつけ笑顔を向ける兵士やバラバラの遺体と共に親指を挙げ映る兵士等。正常な精神ではいられなくなるのが戦争の一番の酷さなのだと痛感しました。また、ベトちゃんドクちゃんがあまりにも有名ですが、枯葉剤散布による人体影響はベトナム国民のみならず、アメリカ帰還兵にも甚大な影響を及ぼし、それも遺伝作用が起こっているとの説明もありました。これを追跡取材している日本人報道カメラマンのコーナーでは、日本語で説明されている事もあり、足が止まった事を覚えています。

 現在、集団的自衛権等が議論されています。勿論、近隣諸国の暴挙とも言うべき振る舞いや行動には憤りさえ感じている所ですし、一定の抑止にもなるかも知れません。しかし、ひとたび引鉄を引けば前述の兵士の様に互いになるのだと思っています。私達は、労働運動と平和行動に重心を置き活動する連合として、今の右の右には声を大にして、否と言い、今後も活動をしなければと、ベトナムの地で考えさせられました。

 カラー写真が目を引く戦争証跡博物館

カラー写真が目を引く戦争証跡博物館

 実質、現地2泊でバス移動に費やした慌ただしい工程でしたが、現地に行き、見て・聞かなければ得る事の出来ない体験をさせて頂いたと思っています。また、夕食後のホテルでの自由時間では、一番広い不気味なノックがされる部屋にベトナム7が集まり、様々な議論をしながら懇親を深め、連合大阪南Team佐々木を確認する事が出来ました。

 今回のベトナム視察研修団は有意義な周年事業であったと思っています。

泉南地区協議会 議長 宮﨑孝行

 6月13日(金)~16日(月)の日程で視察研修としてベトナムへと行ってきました。

 今回は泉南地区の代表として参加させて頂き、佐々木議長を筆頭に3地区議長と、連合大阪から岩﨑部長、前議長の鎌倉氏を含む総勢14名での出発となりました。

 初日は飛行機の移動のみとなり、夕食までは少し時間があったので周辺散策をしましたが、バイクの多さに圧倒され、信号に関係なく左折してくるので横断歩道を青で渡るのも勇気がいるほどでした。

 後で聞いた話では、バイク(125cc)が主流で日本製のバイクが多いこと、現地ではバイクの事をホンダとも呼ぶそうです。他国と比べても性能がいいという事で、日本のモノづくりの信用がブランドになっていることにベトナムで知ることになりました。

吉元社長と事務スタッフ2名

吉元社長と事務スタッフ2名

 2日目は朝から視察として南海金属ベトナム工場へ、昨年10月に施工されたばかりのきれいな工場で、事務スタッフは日本人の吉元社長と現地スタッフ2名、工場の方は10名ほどで運営をされていました。ベトナム進出理由としては人件費と、親日であるのと台湾系の人が多くホーチミン市内から1時間以内で他の工場団地が多くある事などでした。

 困っている事は、ベトナム人は転職をしてスキルUPし、給料を上げていくので離職率が多い中での人材育成で事務所には挨拶、5Sなど基本的な事を書いたボードが置いてありました。今後はスタッフを増やしていきながら規模拡大していくそうです。社長の話の中で日本に居るのと出来ない事が海外進出することで出来るのが大きいと言っていました。日本では大手企業と会うのも難しいが海外で働く日本人ということでベトナムでは大手企業とも会えるし、新規開拓もやりやすいそうです。同じ日本人という事で同じ環境で働く人たちが繫がっていく事に共感しました。

 午後からは旧大統領跡、中央郵便局、戦争証跡博物館を順次見学をしました。

 大統領官邸内には、幾つもの大部屋、小部屋に分かれていて、当時の政治状況が伝わってきますし、また、4階建ての屋上まで上ると、陸屋根の真ん中に迷彩色のヘリコプターが置いてある。革命、騒乱などの際に、最後の逃走手段として置かれているもので、過去の大統領で、何人がこのヘリコプターのお世話になっただろうか、その他の内外装、敷地、などは全く当時そのままの状態で、人々にオープンしている。それが歴史から学ぶいい機会になりました。

 統一会堂(旧大統領官邸)にて

統一会堂(旧大統領官邸)にて

 戦争証跡博物館では、特に目を引いたのは枯葉作戦でした。興味を持ったので後日調べてみると、ジャングルを巧みに利用して戦うゲリラに対抗するために米軍が使った除草剤の一種で、米軍はこの化学剤で人間をどうこうしようとは思っていないようでした。

戦争証跡博物館

戦争証跡博物館 

 もし人間が対象だったのなら化学兵器など使うよりナパーム弾などの焼夷弾でジャングルを焼き払った方が遙かに簡単で、それをやるとゲリラだけではなく一般人まで被害を受けることになります。アメリカがやっていたのは南ベトナム共和国を崩壊させようと謀るゲリラ達の追討であって一般人はむしろ保護対象でしたから、米軍はむしろベトナム人に気を使って枯葉剤を使い、セスナで除草剤を広大な畑に撒くようなアメリカ人にとって枯葉剤を森林に撒くことはそれほど抵抗がなかったのですが、森林に住む多くの人々に枯葉剤が撒かれることになり多くの人々に健康被害が出ることになってしまったのです。

 ダイオキシンの人体への作用は皮膚病変、それと免疫系、神経系、内分泌系、生殖器系に障害をもたらすとされています。奇形の子供が産まれるというのは、女性の生殖器系が子供を健全に発育させる能力を持てなくなるからそういった子供が生まれるというものなのです。

 ところがダイオキシンには遺伝子に作用する能力など無いにも関わらずその子孫に被害があったという話が論じられているそうです。どう考えてもありえない話まで枯葉剤のせいだとされているので、博物館での説明と少し違うので戸惑いましたが、事実ダイオキシンの人体への影響で多くの一般人に被害が出たことも事実です。

 最終日は先にクチトンネルの見学となり、ここは人民が堅固に抵抗した場所で、戦時中に様々な戦略に対応した所で、ベトナムに勝利をもたらした要因の一つとして知られています。全長200キロメートルにも及びその一部見学用として実際入りましたが、身をかがめて何とか歩けるほどの小さい穴でしたし、電気が付いていたからいいようなもの、当時は真っ暗な中で生活を続けながら粗末な手製の武器や古風な落とし穴戦術などで米軍に対して熱く、解放を勝ち取る戦いがどんなに苦しいかを知ることが出来る場所でした。

 午後からのメコン川クルーズでは素朴な雰囲気の中、小舟に揺られ楽しいひと時をすごせました。

 今回のベトナム視察に参加し、この国も戦争という大きな犠牲の上に成り立っている、そしてそこからの経済成長を続ける力を肌で感じる事となり、今後はこの経験を活かせるように地区・地域で頑張っていきます。

大阪南地域協議会 大林妙子

 飛行機で5時間15分。席替えで損をしたり携帯電話の数を咎められたりしながらなんとか全員無事にベトナムへ到着。機長の言葉通り現地の天候は晴れ。とりあえず良かった…と思った矢先に空が暗転してスコールが来た。聞いていた通りの降り方にしばし感動する。

 ホテルはとても綺麗で、心配していたアメニティグッズも揃っていた。休憩後、皆で夕食を食べにホーチミン市街へ。帰宅ラッシュのバイクに全員驚きを隠せない。それを避けて走る車もすごいし、横断する歩行者はもっとすごい。

 レストランではトイレの鍵が壊れていたので一人で行かず正解だった。帰りはタクシーでホテルへ。運転がまるでアトラクションの様に乱暴なのに、運転手がシートベルトをする気配は全く無い。「安全」がまだ育っていない国なのだと感じた。

 翌日は8時ロビー集合で南海金属株式会社ベトナム工場へ向かう。郊外へ行くと新しい高層マンションが目立つ。クレーンの多さに発展途上国であることを感じさせられた。

 ガイドのリンさんによると、ベトナム社会は1986年のドイモイ(刷新)政策以降少しずつ豊かになっているそうだ。社会主義国だが、半分資本主義のようだとか。また、バイクが多い理由は、車の税金がとても高いことにあるらしい。しかもローンが無いので、車も家も買う時は一括払いしか出来ないと話していた。

花を付けた車

花を付けた車

 1時間も走ると、シダ植物が生い茂り、河が自然のままの形で横たわっている。高速道路は空いていて、バイクは一台も見かけなくなった。やはり車は一部の富裕層のみなのだろう。時々ナンバープレート辺りに花を挿している車を見掛けるのでリンさんに聞いてみると、事故が多い為、ドライバーは毎朝無事をお祈りして車に花を供えるそうだ。それならまずシートベルトをすればいいのにと思った。

 更に走ると田舎の町に出た。湿地帯を抜けたらしい。牛やアヒルがたくさん放し飼いにされている。貧しい商店の連なりを越えると急に道が広がり大きな工場が現れた。ここが南海金属ベトナム工場のあるドンナイ省の工業団地だ。

 南海金属ベトナム工場はまだ新しい工場で労働者も少ない。将来的には100人以上雇う計画らしいが、今はまだ十数人だろうか。全てがらんとしている。

 社員教育で難しいことは、挨拶が出来ない人が多いこと。文化の違いでもあるが、積極的なコミュニケーションが苦手なのだとか。社長の吉元さんは、「こちらから言わなければ報告も無く困ることもあるが、これから根気良く教育して行きたい。」と話していた。

 午後からは旧大統領官邸と中央郵便局へ。石高さんと三井さんが日本へポストカードを出す。さすがJP。

 その後の戦争証跡博物館では枯葉剤の恐ろしさを写真で改めて思い知る。途中で気分が悪くなり、ベンチで休む。ギロチンの横には刎ねた首を掲げているパネルもあった。オブラートに包むことはしないようだ。

中央郵便局

中央郵便局

戦争証跡博物館

戦争証跡博物館

 最終日に訪れたクチは、昨日のドンナイ省より更に田舎町だ。のんびりした空気が漂う。ここで昔激しいゲリラ戦があったなんて信じられない。

 最初に日本語のビデオとリンさんの説明でクチトンネル(戦時中作られた地下道)についての知識を得、実際にジャングルを歩く。地下で生きていく為の空気穴や煙を逃がす工夫に感心すると同時に、残酷な落とし穴や地雷の存在に恐怖した。どちらの兵も、辛く恐ろしく苦しかっただろう。

 そんな中、途中に射撃体験場があったり、ライスペーパーやサンダルを売っていたりして、違和感と言うか、国柄の違いを改めて感じた。

クチトンネル

クチトンネル

ガイドのリンさんによる説明

ガイドのリンさんによる説明

 一時間半ほどでクチを後にし、ミトーへ向かう。メコン川の船着き場から20人くらい乗れる船で中洲の島へ。雨でぬかるんだ道を注意しながら進む。まずココナッツを割る作業を見学し、キャラメルを勧められる。次にハチミツを取る作業を見学し、ローヤルゼリーとプロポリスを勧められる。その後、フルーツを食べながら伝統楽器の演奏を聞く。幼子を含む貧しい一家が演奏し、最後に歌いながら肩を叩いてチップを要求してくる。チップ制度に慣れないので、つい普通に請求して欲しい…と思ってしまう。

 最後に4人乗りの船で細い川を20分くらい下る。丁度雨が止んで良かった。茶色く濁った水に現地の人達が平気で飛び込んでいたのが印象的だった。ちなみに、この船も最後にチップを渡す方式らしい。

 手漕ぎボートでのクルーズ

手漕ぎボートでのクルーズ

 16時にミトーを出発。18時ホテル着。この日の晩ご飯は自由だったので、カジュアルなフォーのお店へ。地元の人もたくさん居て、今まで食べた中で一番美味しいベトナム料理だった。

 リンさんと空港で握手をして別れ、搭乗手続きへ。理由は良く分からないが何らかの不備があり飛行機の出発が約2時間遅れたが、なんとか無事に離陸し、日本へ帰り着くことが出来た。

 長い旅だと思っていたが、思い返せばあっという間だった。今回吸収してきた知識と感覚(また、その相違)を、今後の仕事に広く役立てられればと思う。

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