HOME活動報告 > 記事

(2016年8月8日-11日)

連合「2016平和行動 in 長崎」―参加報告―

堺地協議会 副議長(コニカミノルタ労組) 松長 紀雄

 8月8日~11日の連合大阪の平和行動in長崎に、事務局2名を含めて10人が参加。

8月8日 15:30~「被爆71年 連合2016平和ナガサキ集会」
@長崎県立総合体育館

 ①主催者および来賓あいさつ、②被爆者からの訴え、③若者からのメッセージがあり、高校生平和大使の「ビリョクだけどムリョクじゃない!」を合言葉とした活動の報告があり、しっかりとした形で継承されている若者たちの平和の願い、国連へ訴える長崎の若者の熱き思いがしっかりと語られた。④ピースコンサートでは、金子みすゞ、与謝野晶子らの詩に曲を付けてものが歌われた。詩だけではモノクロの活字に過ぎないが、曲が付き歌となると色鮮やかな挿し絵が入った本の様に心に響くものがあった。

 最後に集会のテーマソングである「For The Peace Of World 」を全員で合唱した。生々しい歌詞の部分もあるが全体が一致して合唱できた。参加人数は全国からの連合の仲間3,294人ということで、会場はその熱気で空調も効かない程ではあったが、それ以上の内容の充実さに2時間半を長いと感じることもない集会であった。

連合2016平和ナガサキ集会

連合2016平和ナガサキ集会

連合2016平和ナガサキ集会

連合2016平和ナガサキ集会

8月9日10:30~12:00長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」
@長崎市平和公園

 司会進行は地元純心女子高3年生の2人。言い間違いなどをすることもなく立派な司会であった。昨日の高校生平和大使と合わせて、地元高校生の熱心さに頭が下がる想いである。翌日の新聞によると「二人とも被爆者である祖父母に被爆体験を聞こうとしたが、『思い出したくない』『つらい』と拒まれた。」とあった。本当につらい想いをし、語りたくない被爆者の気持ちも十分理解できるが、一方で勇気をふり絞り被爆の体験談を語り継ぐことの大変さを思わされた。

 各政党党首の献花の際、党による考えの違いはあっても方向は一致して歩んで欲しいと思わされた。53ヵ国の政府代表者が参列したとのことである。諸国の代表、国代表として参列するだけでなく、自国に戻ってこの式典で感じたことを自身の言葉で語って欲しいと思った。参加される国代表が今後も増えることを見守り続けたい。

 原爆が投下された11時2分に黙とうがあり、約5,600人の参列者全員で平和への祈りをささげた。

 長崎田上市長による「長崎平和宣言」では、核保有国の首脳らに長崎、広島の被爆地を訪れるよう、「核なき世界」を実現するため「英知」を結集する呼び掛けがあった。オバマ大統領の広島訪問について「自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示した」と評価していた。日本政府が、核廃絶を訴えながら米国の「核の傘」に依存する矛盾を指摘し、「非核三原則」の法制化と「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討するよう、行動に移すリーダーシップを発揮するに求められた。被爆者の平均年齢は80歳を超え、「世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が近づいている」と述べ、被爆体験を継承する重要性を指摘した。宣言の後、平和を全世界に届けることを象徴する多くの鳩が放たれた。

 被爆者代表の井原氏の「平和への誓い」のスピーチでは、日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいないことが述べられ、アメリカの「核の傘」に頼らず、「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけること、オバマ大統領が「最後の核被爆地長崎」を訪問されることを強く願っていた。

 長崎知事のメッセージ「慰霊の詞」では、長崎では被爆講和者や高校生の活動を通しての平和の発信されるものの、いまだに核兵器が存在する事に対し、核廃絶に向けての期待が発せられた。

 安倍首相のあいさつでは、「『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねる」との決意があった。

 71年前のこの日7万4千人が亡くなり、今年で原爆死没者名簿登載者数は172,230人となった。

 平和祈念式典

平和祈念式典

8月9日14:00~15:30 連合長崎青年委員会担当「ピースウォーク」
@原爆落下中心地公園・長崎市平和公園

 以下の各施設を回りながら説明を受けた。

「原子爆弾落下中心地碑」:「落下で無く投下」との説明があった。

「浦上天主堂遺壁」:爆風による礎石部分のズレを見て、衝撃の怖さを感じられた。

「被爆当時の地層」:当時の生活がうかがえる遺品がそのまま埋まっているのを見て、一瞬の出来事を実感した。

「松山町防空壕群(跡)」:爆心地の近くの防空壕でなんとか生き残ったもののその後治療も受けられないまま死んでいった人の辛さ無念さが思わされた。

「平和の泉」:被爆者の血と息絶えた人々の油が浮いていた水でさえも飲んだ人、水さえも飲めないで死んでいった多くの人々のことが思わされた。

「長崎の鐘」:被爆50周年に連合長崎から連合広島へ長崎平和の鐘が寄贈され、以来打鐘セレモニーが行われていること知り、繋がりの大切さを感じた。

「旧長崎刑務所浦上刑務支所」:収容されていた朝鮮人や中国人などを含め全員死亡したことに区別なく襲われたことに対する恐怖を感じた。

「平和祈念像」:被爆者に対する法的援護が設けられていない時に相当の費用が掛かり、資金の使い方に疑問を抱いていた被爆者のことを考えさせられた。

ピース・ウォーク

ピース・ウォーク

ピース・ウォーク

ピース・ウォーク

8月9日19:00~20:00原爆殉職者慰霊奉賛会主催・連合協賛「万灯流し」
@浦上川

 市民から青年団、地元自治会、消防団、原爆殉難者慰霊奉賛会へと継承されている催しであり、犠牲者のめい福を祈り、平和へのメッセージを書き込んだ万灯を浦上川に流した。連合長崎では、万灯作りの段階から地元の人達との良き交流がされている様である。

【所感】

 「平和ナガサキ集会」、「ピースウォーク」、「万灯流し」それぞれ大きなイベントであり、それらを実行させる連合長崎のパワーを感じた。今回の平和行動の参加を通して、連合の今年の平和集会のテーマ「恒久平和の実現に向けて 核兵器廃絶への新たな一歩を」を少しでも具現化を進めて行けるよう、世界に今なお残る1万5千発以上の核兵器の廃絶に向けて、微力ではあるが進んで取り組んでいきたいと思った。

以上

堺地区協議会 事務局次長(関電労組南大阪支部) 田中 秀和

 今回、初めて平和行動に参加させていただきました。

 多くの尊い命が一瞬にして奪われたあの日から71年が過ぎ、改めて原爆や戦争の恐ろしさを思い知らされるとともに、このようなことを二度と起こさないようしっかり次世代に伝えていかなければならないと感じた平和行動でした。

 平和記念像前での集合写真

平和記念像前での集合写真

 1日目は、「連合2016平和ナガサキ集会」に参加させていただきました。地元長崎市民や各諸団体の総勢3294名もの方々が参加されました。当時12歳小学6年生だったという被爆者の方から体験談をお聞きし、3000度以上にも上昇した地面の温度、あちこちで焼け焦げた人たちや火災が起きる中、家族を探して必死に歩き回る。軽傷と思っていたら、放射能被害により数日後亡くなってしまった人。当時の地獄ともいえる状況やあまりに壮絶で悲惨な出来事だったということを改めて知ることができました。また、若者からのメッセージということで、全国から集まった高校生平和大使による「微力だけど無力じゃない」をスローガンに、核兵器廃絶と恒久平和を訴える活動をされている姿を見て感銘を受けました。

 2日目は、「平和祈念式典」「ピースウォーク」「万灯流し」に参加させていただきました。11:02サイレンとともに行った黙祷では、原爆の犠牲となられた多くの方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げました。のどが渇いてたまらなく水くみに行くと油が浮いており仕方なく油を飲んだと書かれた石碑には、本当に胸が痛くなりました。夜の万灯流しでは、すべての人々の平和と幸せを祈り、浦上川に万灯を流させていただきました。

万灯流し

万灯流し

万灯流し

万灯流し

 3日間、外気温36度近くと言われた長崎の地でした。汗かきの私は汗だくになりながら平和行動に参加させていただきましたが、71年前は100倍以上の温度であったことから本当に想像を絶する苦しさだっただろうと感じました。

 今年5月には、オバマアメリカ大統領が広島を訪問し、核兵器のない世界の追求を核保有国に訴えられました。私も、微力ながら、ひとりでも多くの方にこの平和行動で感じたことや学んだことを伝えていかなければならないと考えさせられました。ご同行いただいた皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

文字サイズ:文字サイズ小 文字サイズ中 文字サイズ大

大阪南地域協News

RSS2.0

  • 活動報告

カウンター (2009年3月〜)