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(2017年6月23日-25日)

連合「2017平和行動 in 沖縄」―参加報告―

  • 日時:2017年6月23日(金)~6月25日(日)
  • 参加者:連合堺地区協議会 清水副議長 片田副議長

連合堺地区協議会 副議長(コーナン商事ユニオン)清水 俊雅

 6月23日は1974年に制定された沖縄県の条例により、戦争による惨禍が再び起こる事のないよう、人類普遍の願いである恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰める為、「慰霊の日」と定められている。

 沖縄にとって特別な日である6月23日から2日間にわたって開催された平和行動に参加した。

 1日目は浦添市てだこホールでの「平和オキナワ集会」に出席した。第1部では伊江島観光バス㈱代表で元伊江村議会議員の山城 克己さんから「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」基調講演があった。伊江島村民の戦争体験者から聞き取りをおこなったことを機に、現在では民泊事業で受け入れた子ども達や平和学習などで訪れた人々に学校では学べない伊江村でおこった歴史を伝えているとのこと。第2部の平和式典も含め、戦争の悲惨さと平和の尊さを五感で感じ、平和とはなにか、戦争とはなにかを知り、子ども達に、そして後世につなぐ為に、恒久平和の実現を求め、平和行動を継続していく事を出席者全員で確認した。

平和オキナワ集会

平和オキナワ集会

集合写真(てだこホール前)

集合写真(てだこホール前)

 2日目は連合沖縄青年委員会ピースガイドによるピースフィールドワークに参加した。名護市瀬嵩の浜では新基地建設反対行動が行われていた。辺野古・大浦湾の自然環境を守り、多様な生態系も含め、かけがえのない財産を将来の世代に引き継いでいくことと、新基地が建設されると日本所有の土地では無い為、返還請求も出来ないとの説明があった。道の駅かでな屋上展望台では嘉手納基地及び周辺問題について学ぶ。基地周辺は住宅が密集しており、大変危険な状況であるとともに戦闘機等の騒音も想像を上回るものであるとのこと。

 その後、チビチリガマにて平和の像に献花を行い、ガマでの当時の出来事を学んだ。沖縄戦が始まり、ガマ(洞窟)には波平の住民が避難していたこと、米軍の攻撃により逃げ切れなくて、集団自決にまで追い込まれたことなどの説明を受けた。嘉数高台では突然の雨により早々に移動し、沖縄県庁へ向かった。県民広場での集会の後、国際通りを牧志公園までデモ行進を行い、2017平和行動in沖縄は終了した。

ピースガイドによる説明

ピースガイドによる説明

県民広場での集会

県民広場での集会

 国内唯一の地上戦が行われた沖縄の歴史から現在の米軍に関わる問題までを学び、改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを五感で感じとる時間が持てました。戦争体験者が減っていく中、後世に伝えていく事の重要性と恒久平和を求めて平和行動を継続していく事の必要性を再確認できた2日間でした。

連合堺地区協議会 副議長(新関西製鐵労組堺支部)片田 栄一

 今回、大阪南地域協議会枠から参加させて頂きました。平和行動もそうですが、沖縄への渡航も初めての体験とあって、色んな思いを胸に当日を迎えました。が、そもそも6月23日が沖縄にとって「慰霊の日」である事すら意識していなかった私にとって、今回の平和行動は大変意義深い3日間となりました。

 初日の「平和オキナワ集会」では山城克己氏による「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」と題した基調講演があり、太平洋戦争(連合各資料による呼称)における日本にとっての沖縄の役割、米軍の立場からの戦略などを皮切りに、日本軍が沖縄住民に対して行った行為や、米軍における猛爆撃、壕内での凄惨な状況、多くの住人が戦闘に巻き込まれていく話など、学校教育では学べない沖縄の歴史を講義していただきました。

 平和式典では、各代表者による挨拶の後、平和メッセージ・ピースリレー・平和アピールを通じて、平和とは・戦争とは何かを知り、今後も粘り強く平和行動を推進して行く事の大切さを参加者全員で誓いました。

山城克己氏

山城克己氏

ピースリレー

ピースリレー

 二日目に移り「ピースフィールドワーク」と題した現地視察学習を行いました。ピースガイドには、地元連合沖縄青年委員は元より大分青年委員の方もおられ、平和行動への意識の高さがうかがえました。

 最初の地、名護市瀬高の浜では、辺野古新基地建設のK9護岸工事が大浦湾で4月25日から着工、当日も埋め立て工事やカヌーでの建設反対海上行動を目の当りにし、サンゴや多様な生物の生きる海が壊される痛みを感じ、当時の日米合意に至る政治的拝啓や沖縄県民の思いを改めて考えさせられました。

建設反対海上行動

建設反対海上行動

集合写真(辺野古)

集合写真(辺野古)

 続いて米軍嘉手納基地へ向かい、基地空港の規模や軍事的な重要性、周辺住民との問題等の説明がありました。中でも嘉手納ラプコン(レーダー・アプローチ・コントロールの略)による沖縄本土上空と、周辺の航空管制業務が2010年に日本に返還された事に関する内情は理不尽であると感じました。要は、飛行に関し米軍機優先の為、那覇空港から離着陸する民間機は低空飛行を余儀なくされ、ニアミスの発生や乱気流によるトラブルの危険にあった訳で、管制業務が戻った事により米軍機の把握もでき民間機の安全が向上すると言うものです。しかし現状は、米軍機の飛行や作戦計画に支障のない範囲が大前提で、結局米軍を最優先すると言う事のようです。当日は土曜日であり、軍用機の飛行は無かったですが、騒音レベルは車のホーンを連続で鳴らしている前に立っている状態に等しく、騒音や安全問題など、周辺住民の不安や不満は取り払われていませんでした。

嘉手納基地

嘉手納基地

嘉手納町航空写真

嘉手納町航空写真

 続いてチビチリガマ(避難壕)で平和の像へ献花し、無念の死を迎えた人々へ慰霊を行いました。壕内では集団自決が行われましたが、当時の背景を考えた時、自決という表現が正しいのかと言う議論もあるようです。

 続いて、嘉数高台から普天間基地を見渡しました。嘉手納基地同様の問題がある中、過去実際に近隣の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事件があり、その際も米軍の理不尽な対応がより一層非難の声を大きくし、現在の基地問題を一層深刻化していました。

チビチリガマ

チビチリガマ

普天間基地

普天間基地

 その日最終となる「在日米軍基地の整理・縮小」「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動が、沖縄県庁前県民広場で行われました。連合本部神津会長、並びに連合沖縄大城会長から平和行動に対する熱い思いを込めた挨拶の後、国際通りを連合沖縄青年委員によるシュプレヒコールでデモ行進を行い、沖縄平和行動を締めくくりました。

 三日目は連合大阪スケジュールとなり、対馬丸記念館、佐喜間美術館、首里城と戦史に纏わる施設の見学となりました。

 現在も全国の米軍基地の70%が集中している沖縄において激しい地上戦が行われ、多数の尊い命が奪われ、無残な焦土となった事実、現在も引きずる多種にわたる制限や米軍基地があるゆえに起こる事件や事故。平和な社会が形成されてこそ労働運動が成り立つ事を肌身をもって感じ、考えさせられました。

 時間単位で食べ物が廃棄され、グルメ番組がたびたび放映される飽食の時代、平和ボケと言う言葉が随所にみされる行動や意識。そんな中にあり72年前の大戦を知る事、考える事はこれからの自身や世界にとって必ず有益だ。今回学んだ事を次世代へ繫げるべく、今後も平和運動を推進する事を心に誓い沖縄の地を後にしました。

 今回の平和行動に当たり、私を推薦して頂いた地協の方や連合、連合沖縄、青年委員、連合大阪、また気さくに声を掛けて頂き交流を図っていただいた参加者の皆様にお礼を申し上げ、報告とさせて頂きます。ありがとうございました。

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