(2019年4月23日)
<行程>
9:30 JR和泉砂川駅 集合
9:40〜11:00
「熊野街道信達宿 梶本家の藤」・「本陣跡角谷家」見学
11:10〜11:45 「長慶寺」見学
12:00〜13:00 アロハ亭にて昼食
平成も残り僅かとなった4月23日(月)、会員の精進が良いのか天候にも恵まれ、役員OB会「こころ合わせイベント」が行われました。地区の持ち回りによって、今回は泉南地区が担当し、「春の泉南〜熊野街道(紀州街道)を訪ねて〜」と題し、泉南の名所でもある梶本家の野田ふじをメインとして企画されました。近年の傾向で藤の開花が早まり、ややもすると花房を取り落とした状況かも知れないという予報の中での決行でした。ところが冷え込みが続き開花が遅れ、不安をよそに、むしろ絶好の藤まつりとなり、全てに恵まれたこころ合わせイベントとなりました。
JR和泉砂川駅に9時30分に集合、まずは泉南市観光案内所に移動し、泉南案内人の会のガイド林さんの歓迎を受けました。そこで、今日の行程の概要を聞き、ハイキングのスタートとなりました。
案内所から直ぐに熊野街道(紀州街道)に入り、北に歩くこと10分足らずで「花笑み・せんなん(泉南市のテーマ)」としての名所の一つ、梶本家の野田ふじを観ることが出来ました。幸運にも満開の時期を迎え、当家先代当主の梶本昌弘さんが丹精込めて育てた1本の藤が、花房4万房以上とされる凄さと、花の香を感じることができました。
そこからさらに北に上ること5分、信達宿本陣跡(角谷家)に着きました。普段は閉館されていますが、藤まつりの期間のみ特別開放され、当主28代の角谷(つのや)さんや案内人の会のスタッフが迎えてくれました。信達宿は、江戸時代、徳川幕府による参勤交代で重要な宿場として利用されていたものです。その中でも本陣は、和歌山城から千五百人もの供を連れて出立した紀州公が、一泊目の宿として利用していたものです。28代当主やスタッフから説明を聞くこともでき、当時の供の宿割や、多くの家宝を目にすることができました。尚、OB会として、本陣の整備のための寄付2,000円をお渡ししました。
そこを出てから戻ること直ぐ、信達宿の常夜灯(約200年前の江戸時代に明かりの無かった街道筋に建立されたもの)があり、そこを東に折れて長慶寺に向かいました。
途中、真如寺(しんにょじ)というお寺がありました。ここは紀州藩の隠れ本陣として使われていた寺です。門の脇には樹齢300年の「貝塚いぶき」があり松平主税(後の徳川吉宗公)が植樹したといわれています。
さらに東に7分ぐらい進み、長慶寺(真言宗)の参道に着きました。参道の石段脇にはアジサイやもみじがあり、シーズンになればまた楽しめそうです。参道(石段各霊場百体仏にちなみ100段)を登ると、小高い丘の上に伽藍が建っていました。登り切ったところ左には重量5トンと言われる鐘楼(平成20年完成)があり、そこから大阪湾を一望でき、神戸・淡路島・関西空港などを眼下に収めることができました。
この寺は、慶長年間に秀頼の命により建立されたもので、年号を逆にし「長慶寺」としたのが始まりとのことでした。以来、岸和田藩主、歴代の岡部公の祈願寺として、泉州地域の観音信仰の霊場でしたが、明治には一度廃仏毀釈となり荒廃しました。しかし昭和33年、新住職が入山し復興に努められたことで、山門の建立を皮切りに、庭園の造営、本堂、3重の塔などが次々に建てられ、現在では立派な山容となっていました。
長慶寺を後にして和泉砂川駅に戻り、駅近くの昼食会場へ予定通り12時に着くことができました。今回はこれまでと違い、南国ハワイを装ったハワイアン風の店舗を貸切、昼食と懇親を深めました。
泉南市は、海・山・川で囲まれた自然豊かな町です。海岸線から和泉山系和歌山県境まで10.5㎞、泉佐野市境樫井川から阪南市境男里川まで8.4㎞の44.5㎢、関空5㎢を合わせて約50㎢の広さとされおり、その中には多くの歴史が存在しています。来春には、海側の埋め立て地(現在のイオン泉南店海側付近)を整備する、りんくう公園計画もあり、新たな泉南市の魅力を発信しようとしています。
連合大阪南地域協は、他の地域協と違って、堺以南に海を持つという強みを持った地域です。また、それぞれの市や町で、たくさんの歴史を持っています。是非、自分の住む町を隅々まで歩いて、新たな知識・魅力を感じ、会員の皆さんに情報を提供してみたらどうでしょうか。OBとして、時間を有効に、楽しく過ごせたら言うことなし!
(連合大阪南役員OB会 平田 茂徳)
(2009年3月〜)