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被災地の今を見て

 4月27日、東日本大震災の現状をこの目で見るため、福島県いわき市に向かった。仙台など、福島第一原発より北側の地域には何度か行ったが、南側の地域を訪れるのは初めてだったので、被災された方々への追悼の想いと共に、復興の現実を見られる事への期待感があった。

「帰還困難区域」看板

「帰還困難区域」看板

 大阪から出発し、西名阪、伊勢湾岸、東名、首都高と高速道路を乗り継ぎ、常磐自動車道に入る。現在の終点となる常磐富岡インターチェンジ(以降、ICと表す)は、2014年2月に広野ICからの区間が再開通したばかりだ。終点の常磐富岡ICの降り口手前には、「放射線量 2.90マイクロシーベルト/h」という表示があり、見えない脅威が確かにあることを静かに示していた。

 ICを降り、信号を左に曲がって少し進むと、検問が見えた。車を寄せて停めると、「通行証を拝見します。」と言われた。「観光ですので…」と言うと、「そうですか。ここから先は帰宅困難区域ですので、一般の人は入ることができません。ユーターンしてください。」と丁寧に説明された。「すみませんでした。」と言って、指示通りユーターンする。プレハブが4戸ほど建ち、多くの人が立っているだけのその場所には、目には見えないが、確かに境界線があった。

 ユーターンした後、当初の予定通り「浜風商店街」を目指すこととした。先ずは、海岸沿いのメインルートである国道6号線を目指した。しかし、その道中で衝撃的な風景を見ることになる。東北の片田舎のこと、町と言える程住宅が密集しているところはないが、数戸単位の集落は点在していた。しかし、そのどれにも人影は無く、生活感がない。店舗のカンバンは剥がれ落ち、ガラスは割れたまま。まるで、時が止まったかのように。人が決めた帰宅困難区域という境界線の外、一般人が普通に入れる地域に、とてつもない違和感と共に、それは確かに存在していた。

 国道6号線に入り南下すると、ホームセンターの駐車場など、大きな空き地に、除染作業で取り除かれたと思われる土の袋が、何十、何百と積み重ねられ、放置されていた。福島第二原発の横を通り、さらに南下すると、「Jビレッジ」が見えてきた。サッカーのクラブチームのホームグラウンドとして建設されたこの施設は、現在福島第一原発への対応拠点となっている。作業員を乗せるためだろう、空のバスが何台も北上して行く。

浜風商店街

浜風商店街

 さらに南下して行くと、コンビニもあり、人影が増えてきた。やっと「浜風商店街」に到着だ。「浜風商店街」とは、いわき市久之浜にあったお店の人達が集まり、久之浜第一小学校の校庭の一角に仮の店舗を建設した同地域の復興のシンボルだ。店舗内の食堂で昼食を済ませ、他のお店をのぞいていると、ひとりの女性が声をかけてくれた。大阪から来たことを告げると、喜んで自らの体験を話してくれた。

 「あの日、突然大きな地震に襲われた。慌てたが、ガラスの処理などを考え、軍手をたくさん抱えて外へ出た。その時、ボリュームを大きくしていたテレビから“6mの津波が来るから逃げろ”との声が聞こえ、軍手以外の何も持てないまま逃げた。津波が去り、片付けに行こうとしたが、火災で家は焼失し、着の身着のままの避難生活が始まった。チンするご飯を冷たいまま食べ、顔を洗うことさえままならず、足をぶつけ合いながら寝る日々が続いた。今はこうして商店街もできたが、がんばろうなんて言える歳でもなく、みんなと元気に日々を暮らしている。富岡は見ましたか?復興なんて何も無い。あの時から時間が止まっているでしょ。元の場所に店舗も建て たいが、東京オリンピックで資材も高くなる。被災地の現状を、もっと良く知って欲しい。」

いわき市久之浜

いわき市久之浜

 女性と別れの挨拶をし、店舗があった地域を見に行った。新しい防潮堤の建設が進み、無数のテトラポットが並んでいたが、立て替えられたのだろう新しい家がポツポツとあるだけで、地震・津波・火災の傷跡は未だに癒えていない。

 テレビのニュースで「復興は進んでいない」と聞く。だから、復興は進んでいないのだと思っていた。しかし、今回の旅で「復興とは何だろう」と考えるようになった。地震や津波や火災で失われた家を、元通りにすることが“復興”なのだろうか。確かにそれも重要だ。しかし、家さえあれば、本当に人々は戻ってくるのだろうか。あれから3年以上が経ち、東日本大震災を意識することも少なくなり、「経済や産業のためには一部の原発再稼動もやむなし」なんて安易に考える時もあるが、本当にそれで良いのだろうか。

 私達は、あの時、あの瞬間に、大切な何かを忘れてきたのではないだろうか。

復興の花

復興の花

 浜風商店街で花の栽培セットを買った。“復興の花を咲かせよう”プロジェクトだ。花を咲かせ、満開の写真にメッセージを添えて送ると、3月11日の「献花の集い」の際に、鎮魂の輪に加わることができる。この一年、花を見るたびに被災地を思い出すだろう。来年の3月までには、自分なりの答えを見つけることができるだろうか…。

2014年4月30日
大阪南地域協議会 副議長(ダイベア労働組合 中央執行委員長)牟田 和広