連合泉南地区協議会 議長 宮﨑孝行
6月23日から25日に沖縄県で行われた「2012平和行動in沖縄」に、泉南地区協議会から松尾事務局次長と共に参加しました。
1日目は平和オキナワ集会が那覇市民会館で行われました。
この集会は連合が主催し、第一部は「変わりゆくアジア情勢と日本の対応」と題した道下徳成氏の基調講演、第二部は平和式典が行われました。会場には北海道から沖縄までの各地方連合と各産別組織から1,600名以上の仲間が集結しました。
今年沖縄は日本への復帰を果してから40年という節目の年になります。戦後27年間米軍の統治下におかれ、1952年の琉球政府発足後も自冶は限定され、軍事基地から派生する様々な問題で苦しめられてきた県民が島をあげて復帰運動を進めた結果、県民の悲願だった祖国復帰を果しました。しかし、沖縄県には全国の米軍基地の74%が未だに集中しており、この米軍基地があるが故に起こる事件・事故などで県民の生命と生活が脅かされています。世界の基地の中で、最も危険といわれている普天間基地の早期返還を求めるとともに、普天 間周辺地域の危険性の除去や騒音問題の対策を示すよう日米両政府に強く求めています。
また、普天間基地へ配備するとしている垂直離着陸機オスプレイは過去の事故から危険性が指摘されており、今年4月にモロッコで、6月にはフロリダ州で墜落事故も起きています。沖縄県内41市町村議会全てが配備に反対し、撤回を求める意見書や決議を可決しております。
集会アピールでは沖縄戦の実相と悲惨さ、平和の尊さを学び、米軍基地問題の解消をめざし、基地の整理縮小と日米地位協定の抜本的見直しを求めて、粘り強く平和運動を推進することを誓い合いました。
終了後、日航那覇グランドキャッスルホテルにて、平和交流会として琉球舞踊、沖縄民謡を鑑賞しながら交流を深めました。
2日目
2日目はピースフィールドワークで、連合沖縄青年委員会の方々にピースガイドとして付き添っていただき、糸数アブチラガマ〜ひめゆりの塔・資料館〜魂魄之塔〜平和祈念館・資料館と見学を行いました。

ここで負傷兵、軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊、住民約600人が数か月も立て籠もり、生活をしていたと洞窟の中で説明を聞いても、私自身は想像がつきませんでした。でもこの事実を私たちはしっかりと後世に伝えていかなければと改めて思いました。
最後に、懐中電灯の電気を消して黙祷を捧げ洞窟を後にしました。

夕方に那覇市民会館横の与儀公園に集合し、米軍基地整理、縮小と日米地位協定の抜本的見直しを求める行動の集会に参加し、集会後に県庁前県民広場までデモ行進しました。
3日目
3日目は連合大阪独自の行動で、対馬丸記念館と佐喜眞美術館を見学しました。
対馬丸とは、沖縄から県外へ集団疎開する多くの学童を乗せた船で、航海中の深夜に潜水艦により撃沈されました。乗船者1,788名の内約8割が亡くなり、また、助かった人はこの話を決してかたってはいけないとかん口令がしかれ、生存者にとって二重の苦しみとなりました。その悲劇を繰り返さない為、風化させない為、県内の小学校では毎年6月に慰霊碑の清掃活動や対馬丸の劇を通じて、戦争の恐ろしさと平和の尊さを学ぶ平和学習を行っています。
佐喜眞美術館には、沖縄戦の図(4m×8.5m)があります。これは沖縄戦を体験した多くの人がモデルになっていますので、沖縄に行かれたら是非、見ていただきたい絵です。美術館は普天間基地が隣接しており、屋上からはヘリコプターの離発着も見ることが出来ました。
この3日間で感じたことは、戦争は繰返すものではなく、平和を尊重するのは当たり前だが、平和を維持するには日米同盟や米軍基地問題、近隣諸国との付き合い方など、様々な問題を日本は抱えている。その問題を考える前に皆が沖縄に足を運び、沖縄の現状や過去の戦争の悲惨な歴史を認知してから議論をして欲しいということです。
また、資料館などでは生存者の体験談の映像も流れていました。終戦から67年を迎える中で、沖縄の悲劇を決して忘れてはいけません。後世にしっかりと語継いでいく事が平和行動に参加した私たちの使命と強く感じました。
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→連合「2012平和行動 in 沖縄」―参加報告―
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