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2018/8/21 火曜日

連合「2018平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 22:10:28

堺地区協議会 事務局次長(関西電力労働組合南大阪支部) 永田 龍馬

73年前の8月6日8時15分、原爆が投下され広島の空が閃光と共に、爆音と熱波により建物は消し飛び、木々は焼け落ち、多くの命が奪われました。

また、73年たった今でも多くの方が、後遺症に苦しまれています。

改めて原爆と戦争の恐ろしさを思い知らされたと共に、二度とこの様なことを起こしてはならないと胸に刻んで参りました。

本平和行動を通じて学んだ事を次世代にしっかりと伝え、今後も粘り強く原爆・戦争の廃止に努めなければならないと感じました。

8月5日から6日にかけて連合大阪総勢30名の仲間と共に「平和行動in広島」に参加して参りました。

1日目は広島平和記念公園にて「ピース・ウォーク」に参加しました。

原爆ドームを始めとして動員学徒慰霊塔・原爆の子の像などの各モニュメント巡りました。その中で私が強く印象に残ったのは、原爆供養塔です。

原爆は、この供養塔のすぐ北側にかかる相生橋を目標に投下されました。爆心直下のこの一帯では人も家屋も全滅し、たちまち死の町に変わりました。

この一帯は亡くなられた方が多く、そこら中に亡くなった人々の遺体を誰が言うともなくこの場所へ集められました。来る日も来る日も、男か女かも判らないまま、山と積まれ焼かれたとの事でした。

この供養塔には名前の判明しない遺骨が約7万柱納められています。当時の事を思うと胸がいっぱいになりました。

各モニュメントでは、連合広島青年・女性委員の方々が「ピース・ガイド」として熱心に説明して頂きました。ありがとう御座いました。

ピース・ウォーク
ピース・ウォーク

その後、広島産業会館にて実施された「連合2018平和広島集会」に参加させて頂きました。

集会では、被爆体験証言として当時3歳だった箕牧 智之さんの講演があり、私と変わらない普通の人達がどんな生活をしていたのか、戦争中で物資が不足している中でも一家団欒で楽しい家庭だったのではないか、など当時の事を想像しながら話を聞かせて頂きました。

箕牧さんの話では、私の想像していた普通の生活が、たった一発の原爆により一瞬で町は地獄となり、倒壊した瓦礫の中をある人は家族を探してさまよい続け、ある人は誰も救えずただ自身の無力さに呆然としていたとの事でした。あまりに壮絶で悲惨な状況だったと改めて知ることが出来ました。

その後、NPT再検討会議に向けた準備委員会の検討状況について福井 康人准教授から世界の原爆に関する各国の考え方について学びました。

また、高校生平和大使からの活動状況を聞かせて頂き、「ビリョクだけどムリョクじゃない」をスローガンに核兵器廃絶と恒久平和を訴える活動に感銘を受けました。

平和広島集会
平和広島集会

2日目は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加いたしました。

原爆の犠牲となられた多くの方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げると共にすべての人々の平和と幸せをお祈りして参りました。

平和記念式典
平和記念式典

その後、場所を江田島へ移動し、海上自衛隊の幹部候補生学校を見学しました。

見学箇所は、大講堂、海上自衛隊幹部候補生学校庁舎、教育参考館などです。

各見学箇所の説明は海上自衛隊OBの説明員の方に行って頂きました。

教育参考資料館では特攻隊員の遺書が展示されていました。

遺書の内容は、父親へは戦地へ赴く意気込み、母親へは親孝行が出来ない事に対しての謝罪とこの世に産んでくれた事への感謝の言葉、弟へは両親の事を頼むと言った内容でした。

このような内容の手紙を書かせなければならなかった時代に絶対に戻してはならないと強く感じました。

海上自衛隊幹部候補生学校の見学は、日本を取り巻く国際情勢が緊張する中で、海上自衛隊の歴史を知る事が出来、非常に意義のあるものでした。

海上自衛隊 大講堂前
海上自衛隊 大講堂前

 

連合平和行動in広島に参加させて頂く前までは、原爆や戦争そして平和についてこれほど考える事はありませんでした。

今後は今回の平和行動で感じた事、そして学んだ事を一人でも多くの方々に伝えていかないとならないと考えさせられました。

平和行動in広島へ参加させていただき、ありがとう御座いました。

堺地区協議会 幹事(堺ディスプレイプロダクト労働組合)河村 蒼

8月5日~6日の2日間「2018年平和行動in広島」に参加させて頂きました。

この平和行動に参加して、戦争は罪のない人々の夢を奪い、人生を大きく歪めてしまう非人道的な行為であり、核兵器は抑止力という名の無差別破壊兵器であると再認識しました。

<1日目>

広島記念公園に到着後、「ピース・ウォーク」に参加しました。記念公園では連合広島の青年・女性委員会のメンバーから、原爆ドームをはじめとする公園内の慰霊碑や記念碑についての由来や歴史などを熱心に説明して頂きました。

原爆死没者慰霊碑 ピース・ウォークの説明風景
原爆死没者慰霊碑/ピース・ウォークの説明風景

戦後70年以上の月日が経ようとしていますが、戦争での傷跡が今なお人々の心の中に残り続けていると感じました。その後、広島平和記念資料館を見学しました。資料館では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示した写真や資料が展示されると共に、広島の原爆投下前後の歩みや核を取り巻く歴史などの紹介が、サイネージやパネルで展示されていました。夕方からは「連合2018平和ヒロシマ集会」に参加しました。

集会では連合会長並びに広島副市長及びTUCI書記次長の方々からのメッセージが述べられ、その後は被爆者の方から被爆体験を写真や図画を用いてお話頂きました。

「若者からのメッセージ」では、高校生平和大使の皆さんから広島・長崎の市民の声を世界に届ける為の活動報告が活動状況をまとめた資料を基に行われました。

国連やその関係団体への訪問を通じて、核廃絶と平和な世界の実現に向けての活動状況が説明されました。

被爆体験の説明風景
被爆体験の説明風景

 

<2日目>

午前8時に始まった「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式」に、記念公園内に設置されているモニターで参加しました。

式典では原爆が投下された午前8時15分に合わせて「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者が一斉に黙祷を捧げました。また、広島市長並びに内閣総理大臣の声明が延べられました。両者の声明内容で核廃絶に向けた考え方には大きな隔たりがあるように感じました。

広島市長の声明の中で、被爆者の方々が減少していく中、後世へこの戦争の悲惨さを伝えて行くことがますます重要になって来るとの言葉が印象に強く残りました、

平和記念式モニター参加風景
平和記念式モニター参加風景

午後からは、江田島にある海上自衛隊の第一術科学校で学習を行いました。ここでは海上自衛の幹部候補生が教育を受ける場と共に、戦中から戦後の今日までの日本海軍及び海上自衛隊の歴史が展示されていました。

通称「赤レンガ」と言われる学校庁舎 第一術科学校で説明を受ける風景
通称「赤レンガ」と言われる学校庁舎/第一術科学校で説明を受ける風景

 

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