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2022/7/19 火曜日

【コラム】「【2022夏】」(大阪南地域協議会 副議長 田中 政和)

Filed under: コラム — 編集部 @ 13:13:09

【コラム】に「【2022夏】」(大阪南地域協議会 副議長 田中 政和)を掲載しました。
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2022/6/10 金曜日

【コラム】育児は難しい?(大阪南地域協議会 副議長 平間 明弘)

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2022/5/18 水曜日

【コラム】タスキを繋ぐ(大阪南地域協議会 副議長 山下 一房)

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2022/4/13 水曜日

【コラム】三国志とA君(大阪南地域協議会 副議長 中井 誠)

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2022/3/8 火曜日

【コラム】震災への準備は・・・(大阪南地域協議会 副議長 佐野建也)

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2022/2/14 月曜日

【コラム】私の思い出(大阪南地域協議会 議長 森 義仁)

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2014/7/31 木曜日

連合大阪「平和学習会」を受けて

Filed under: コラム — 編集部 @ 13:46:32

2014年7月31日
大阪南地域協議会 副議長 牟田 和広

2014年7月18日(金)18:30から、連合大阪主催の平和行動 学習会が開催されました。連合として重視し、長年続けている広島・長崎での平和行動への参画事業の一環として行われたものです。私は、どちらの平和行動へも参加を予定していませんが、たまたま受けてみようと思って、学習会に参加しました。

連合大阪の久保さんが司会を務められ、はじめに連帯活動委員会の川北委員長より主催者を代表して挨拶がありました。

大阪女学院大学 黒澤 教授 第一部として、大阪女学院大学の教授である黒澤 満(くろさわ みつる)様から「世界の核兵器の現状と廃絶への取り組み」と題した講演がありました。米ソ冷戦時代をピークとして、着実に減ってきているものだと、漠然と考えていた核兵器ですが、その総数は1万6千発を超え、未だに全人類を幾度も死滅させるに充分な数であると聞き、正直驚きました。特に、二大核兵器保有国においては、30分以内に発射可能な核兵器が、アメリカ:1,920発、ロシア:1,600発もあるとのことでした。

黒澤教授は、これまでの核軍縮を継承しながらも、新しいアプローチを提言し、廃絶に向けた具体的なビジョンを示してくれました。特に私が気になったのは、喫緊の課題としての「核兵器の警戒態勢解除」についてでした。上記で示した、即発射可能な核兵器をゼロにすることで、人為的ミスやシステムエラーによる誤射を防ぎ、核兵器の脅威を低減させる有効な手段です。しかし、その為には「核の傘」、つまり「核兵器が戦争の抑止力として有効である」という考え方を見直さなければなりません。この点についても黒澤教授は、「核兵器が抑止力として機能した事実はない。アメリカによる様々な戦闘行為も、保有する核兵器によって回避されたことはない。」と指摘されました。現に、アメリカ大統領であるオバマ氏は、立候補した時から核軍縮を提唱しており、今も大統領としてその目標を掲げているとのことでした。

そんな中、アメリカの核軍縮を阻んでいるのは日本だという驚くべき話がありました。日本の政府・高官が、アメリカの「核の傘」に守られているという古い意識を強く持っているため、アメリカの野党議員が「日本のためにも核兵器は必要だ」と利用し、核軍縮を阻んでいると言うのです。また、民主党政権下では岡田外相と協力し、「核の傘」に対する意識を変えようと試みられていたとの事でした。私達は、メディアによる扇動であると知りながらも、民主党による政権運営の失敗から、ダメな政党だというレッテルを貼ってきましたが、少なくとも政権交代に意義はあったのだと認識を新たにしました。核軍縮、核兵器廃絶のために、私達ができることは、志のある人を選び、選挙権を行使することにあると改めて理解しました。

核兵器の脅威を改めて理解すると共に、自分達の現状を認識し、未来を考える良いきっかけになったと思います。

広島県原爆被害者団体協議会 理事長 坪井 直さん 第二部は、広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井 直(つぼい すなお)様から「被爆体験から」と題して、ご自信の被爆体験談をお話いただきました。

こちらは、第一部の講演と違って、文書にはし難いものでした。広島原爆の1km圏内で、当時二十歳で被爆されたご本人が、目の前で語られる体験談は、すさまじい臨場感と、圧倒的な現実感を持っており、気の弱い方には眠れなくなる程のインパクトを与えたのではないかと思います。しかし、そのどれもが事実である以上、やはり世界で唯一の原爆被害国である日本の存在は、とても大きなものであると知らされました。

「最近、日本で起きている陰惨な事件には本当に腹が立つ。人の命を奪うという事において、テロも戦争も原爆も同じだ。バカヤローと言ってやりたい。」きっと、その場にいなければ伝わらない、本当の意味での言葉の重さが、そこにはありました。

御年八十九歳の坪井様が、被爆による様々な身体の不調を背負いながら、今も原爆と闘い続けているその姿には、感動を覚えると共に、心から尊敬します。

来年、戦後70年を迎える我が国日本。ともすれば形骸化しかねない広島・長崎をはじめとする平和行動。しかし、今こそ日本が成すべき事、日本だからできることを再び見つめ直し、日本国民として世界平和に対して、その責任を果たしていかなければならないと、改めて認識させられる学習会でした。

2014/5/2 金曜日

被災地の今を見て

Filed under: コラム — 編集部 @ 12:04:02

4月27日、東日本大震災の現状をこの目で見るため、福島県いわき市に向かった。仙台など、福島第一原発より北側の地域には何度か行ったが、南側の地域を訪れるのは初めてだったので、被災された方々への追悼の想いと共に、復興の現実を見られる事への期待感があった。

「帰還困難区域」看板 大阪から出発し、西名阪、伊勢湾岸、東名、首都高と高速道路を乗り継ぎ、常磐自動車道に入る。現在の終点となる常磐富岡インターチェンジ(以降、ICと表す)は、2014年2月に広野ICからの区間が再開通したばかりだ。終点の常磐富岡ICの降り口手前には、「放射線量 2.90マイクロシーベルト/h」という表示があり、見えない脅威が確かにあることを静かに示していた。

ICを降り、信号を左に曲がって少し進むと、検問が見えた。車を寄せて停めると、「通行証を拝見します。」と言われた。「観光ですので…」と言うと、「そうですか。ここから先は帰宅困難区域ですので、一般の人は入ることができません。ユーターンしてください。」と丁寧に説明された。「すみませんでした。」と言って、指示通りユーターンする。プレハブが4戸ほど建ち、多くの人が立っているだけのその場所には、目には見えないが、確かに境界線があった。

ユーターンした後、当初の予定通り「浜風商店街」を目指すこととした。先ずは、海岸沿いのメインルートである国道6号線を目指した。しかし、その道中で衝撃的な風景を見ることになる。東北の片田舎のこと、町と言える程住宅が密集しているところはないが、数戸単位の集落は点在していた。しかし、そのどれにも人影は無く、生活感がない。店舗のカンバンは剥がれ落ち、ガラスは割れたまま。まるで、時が止まったかのように。人が決めた帰宅困難区域という境界線の外、一般人が普通に入れる地域に、とてつもない違和感と共に、それは確かに存在していた。

国道6号線に入り南下すると、ホームセンターの駐車場など、大きな空き地に、除染作業で取り除かれたと思われる土の袋が、何十、何百と積み重ねられ、放置されていた。福島第二原発の横を通り、さらに南下すると、「Jビレッジ」が見えてきた。サッカーのクラブチームのホームグラウンドとして建設されたこの施設は、現在福島第一原発への対応拠点となっている。作業員を乗せるためだろう、空のバスが何台も北上して行く。

浜風商店街 さらに南下して行くと、コンビニもあり、人影が増えてきた。やっと「浜風商店街」に到着だ。「浜風商店街」とは、いわき市久之浜にあったお店の人達が集まり、久之浜第一小学校の校庭の一角に仮の店舗を建設した同地域の復興のシンボルだ。店舗内の食堂で昼食を済ませ、他のお店をのぞいていると、ひとりの女性が声をかけてくれた。大阪から来たことを告げると、喜んで自らの体験を話してくれた。

「あの日、突然大きな地震に襲われた。慌てたが、ガラスの処理などを考え、軍手をたくさん抱えて外へ出た。その時、ボリュームを大きくしていたテレビから“6mの津波が来るから逃げろ”との声が聞こえ、軍手以外の何も持てないまま逃げた。津波が去り、片付けに行こうとしたが、火災で家は焼失し、着の身着のままの避難生活が始まった。チンするご飯を冷たいまま食べ、顔を洗うことさえままならず、足をぶつけ合いながら寝る日々が続いた。今はこうして商店街もできたが、がんばろうなんて言える歳でもなく、みんなと元気に日々を暮らしている。富岡は見ましたか?復興なんて何も無い。あの時から時間が止まっているでしょ。元の場所に店舗も建て たいが、東京オリンピックで資材も高くなる。被災地の現状を、もっと良く知って欲しい。」

いわき市久之浜 女性と別れの挨拶をし、店舗があった地域を見に行った。新しい防潮堤の建設が進み、無数のテトラポットが並んでいたが、立て替えられたのだろう新しい家がポツポツとあるだけで、地震・津波・火災の傷跡は未だに癒えていない。

テレビのニュースで「復興は進んでいない」と聞く。だから、復興は進んでいないのだと思っていた。しかし、今回の旅で「復興とは何だろう」と考えるようになった。地震や津波や火災で失われた家を、元通りにすることが“復興”なのだろうか。確かにそれも重要だ。しかし、家さえあれば、本当に人々は戻ってくるのだろうか。あれから3年以上が経ち、東日本大震災を意識することも少なくなり、「経済や産業のためには一部の原発再稼動もやむなし」なんて安易に考える時もあるが、本当にそれで良いのだろうか。

私達は、あの時、あの瞬間に、大切な何かを忘れてきたのではないだろうか。

復興の花 浜風商店街で花の栽培セットを買った。“復興の花を咲かせよう”プロジェクトだ。花を咲かせ、満開の写真にメッセージを添えて送ると、3月11日の「献花の集い」の際に、鎮魂の輪に加わることができる。この一年、花を見るたびに被災地を思い出すだろう。来年の3月までには、自分なりの答えを見つけることができるだろうか…。

2014年4月30日
大阪南地域協議会 副議長(ダイベア労働組合 中央執行委員長)牟田 和広

2014/2/28 金曜日

連合活動の振返り

Filed under: コラム — 編集部 @ 23:51:40
大阪南地域協議会前議長 鎌倉幸信さん 昨年11月の連合大阪南地域協議会総会にて、連合堺高地区よりスタートした16年間の連合地域役員を卒業させていただきました。

この間いろんな経験をさせていただきましたし、先輩諸氏に連合役員としての心構えなどを、教えていただきました。その中から、ふたつ紹介いたします。

ひとつは、堺高地区の役員選考委員長でのことです。議長や事務局長をお願いに各単組・産別にお伺いした時に、先輩に云われました。 「鎌倉君、連合の地区の幹事役員は全員、出身単組のトップに出てもらいなさい。執行委員では、一旦持ち帰り、委員長の意向を確かめてからになり決定が遅れ る。行政や各団体に対しても、地区のトップばかりの幹事会であるということが、連合の地位を上げることになる。それが堺地区の労働団体が培ってきた労働運 動の伝統である。」このように教えられ実践してきたつもりです。

トップばかりの会議で、一番記憶に残るのは、民主党と自由党が統一して、初めての衆議院選挙の候補者推薦でありました。堺選挙区は 党中央の決定した候補者でしたが、過去に労働界とは因縁のある方でした。連合大阪は大阪南地域協と堺地区協で推薦の可否を相談してくれとのことでした。大 阪南の三役会で、ある産別代表から「組合員に説明できないから、いち抜けさしてくれ」といわれました。事務局長の立場として、たいへん苦慮いたしました が、他産別の委員長が、「三役会は一枚岩でなくちゃならん。個人の好き嫌いで決めるんじゃなくて、大局的に見て統一見解を出そう」との意見が出され、連合 として推薦の方向が決定いたしました。民主党の躍進のスタートでありました。

次は首長との関係であります。連合は、制度政策要請を各自治体へ毎年提出しますが、その際は、首長との懇談を併せて行うのが基本方 針であります。常日頃から、首長との信頼関係を築く努力も必要です。大阪南の事務局長の時代に、議長から教えられたのは、「連合の議長・事務局長は、いつ でも電話一本で市長に会いに行けるようにしときなさい」ということでした。このことは今も、各地区では実施されているのではないかと思います。

また、連合推薦をした首長候補は、大阪南が責任を持って、産別本部へ挨拶に連れて行くという方針が、信頼関係を築いてきたと思っています。

今回は、手始めに振返りをさせてもらいましたが、役員OBとして機会があれば、またコラムに投稿させていただきたいと思います。

(2014年2月27日 連合大阪大阪南地域協議会 役員OB会 鎌倉幸信)

2014/2/17 月曜日

「ベアリング」の世界

Filed under: コラム — 編集部 @ 14:57:42

基本的な構造は至って簡単ですが、その奥は深く、実は“すまし顔の変なやつ”です。

ベアリング

ここで、ダイベア(株)の宣伝を少々。ベアリングの主な構造は、外輪(アウターレース)と内輪(インナーレース)の間に転動体 (ボールやコロ)がはさまっていて、くるくると回転するものです。一般的には転動体どうしの間隔を一定に保つために、保持器(リテーナー)が入っていて、 すべりを良くするためにグリースも入っています。JISでは、6300シリーズ、6200シリーズが一般的で、6000シリーズ、6900シリーズと薄肉 タイプとなり、6800シリーズは超薄肉タイプとなっています。弊社は、この中でも超薄肉タイプを得意とするベアリングメーカーです。

話を元へ戻します。

ベアリング(軸受)は、自動車や機械の回転する部分に必ず入っている部品で、「産業の米」とも呼ばれています。特に、省エネが重要視される現代では、回転におけるエネルギーロスを少なくすべく、スムーズに回るベアリングが注目されています。

ベアリングの世界は、ミクロンオーダーの世界です。ミクロンとは、1,000分の1ミリ。「余程正確な機械で、緻密に加工している のだろう」と思いきや、実は結構職人技です。「見てみ。削ってる時の火花の出方がええやろ!」はまだしも、「こいつ、顔がええやろ!」は意味不明です。し かし、少し慣れてくると、「顔がいい」製品がなんとなく分かるようになり、嬉しかったりします。もっとも、最近の加工機はコンピュータ制御が進化し、職人 技の出番も少なくなりましたが。

ベアリングを製造する上で、唯一「加工」ではないのが「熱処理」です。主に軸受鋼という特殊鋼を使うベアリングですが、この「熱処 理」を行うことで製品を硬くし、寿命を飛躍的に延ばしています。しかし「処理」」である以上、「加工」ではない勝手な動きをします。ベアリング製造の場 合、基本的に外輪と内輪が対象となりますが、「熱処理」を行うことで、大きくなったり、小さくなったり、曲がったり、反ったりします。時には0.1ミリ単 位で曲がったりするので大変です。

私の本業は、前工程図の作図です。弊社に入荷してくる熱処理後の製品が、高精度に削るための適切な削り代が付いた状態で入ってくる ように、最適な寸法を検討し、図面を書きます。削り代が少ないと、早く削ることができますが、歪の大きい製品が入ってくると、削り代がなくなってダメ。削 り代が多いと、歪の大きな製品には対応できますが、削るのに時間がかかってダメ。より安全で、より生産性の高い寸法を決定するのは、緻密な計算の上に立っ た「経験」です。これも、職人技と言えるのでしょう。

後輩から「なんでこの製品の前工程図は、こんな寸法になってるんですか?」と聞かれれば、「まあいろいろあってな!」と答えます。ちょっと違うでしょうか?

委員長になってもうすぐ8年。私の“はんこ”のある図面は、まだあるかな〜

2014年2月14日
大阪南地域協議会 副議長(ダイベア労働組合 中央執行委員長)牟田 和広

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