HOME大阪南地域協News

2018/8/22 水曜日

連合「2018平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 15:21:46

泉州地区協議会 幹事兼会計監査(ダイベア労働組合) 北野 善彦

2018平和行動in長崎に、単組としては3名、個人としては今回で2度目の出席となりました。連日の猛暑は僅かながら和らぎ、8月らしい気候の中で、8月8日平和ナガサキ集会(参加3360名)、8月9日被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、ピースウォーク、万灯流しなどの行事に参加させて頂きました。それぞれの行事の内容ではなく、その時に感じたこと、得たことを報告させて頂きたいと思います。

ダイベア労組からの参加者
ダイベア労組からの参加者

2018年のノーベル平和賞に、長年に渡り署名や国連での訴えなどの活動を行っている「高校生平和大使」が候補として選出されました。ある高校生平和大使の方が、SNSを通じて「8・9が持つ意味」を訴えられています。2020年に開催される東京五輪の閉会式が、8月9日に予定されており、その方は2020年に東京の地で、自身の経験や活動を発信したいと仰っていました。東京オリンピック・パラリンピックが、スポーツだけでなく、平和の祭典として成功することを祈ります。

被爆から73年、自身の経験を伝える「語り部」の方が高齢化し、語り継ぐ活動が衰退しつつあります。家族や友人の死、忘れ去りたい悲惨な光景を伝えるという使命感は、並大抵な覚悟がなければできない活動です。その体験を後世に伝えるべくピースウォークでは、地元の青年協議会の皆さんが主体となり、語り部として活動されています。地元の方だけでなく、他都道府県の仲間が語り部となり、家族や友人知人、職場の仲間に伝えていく活動も重要ではないかと考えています。

核兵器の驚異は、今もなお我々の身近にあります。ここ数年、核兵器による人類の絶滅を時計になぞらえた「世界終末時計」が0時に近づいています。長崎への原爆投下以来、使用されることはないものの、多額の資金が注ぎ込まれ、小型化の開発が進むなど、その驚異は年々増しているとも言われています。

日本で生まれ、暮らし、働く我々にとって、「無関心」でも「無関係」でもあってはならないこと、そして我々は「ビリョク」ではあっても「ムリョク」ではないことを、強く感じた行動になりました。

常日頃から平和の尊さを感じながら生活しているとは言えませんが、「8・6」「8・9」の前後には何らかの形で平和について考えることを心がけていきたいと思います。

平和行動で共に行動した12名の連合大阪仲間の皆さんには、大変お世話になりました。

想いを込めた万灯 万灯流し
想いを込めた万灯/万灯流し

 

ダイベア労働組合 肥後 希生

2018 平和行動in長崎に参加し、唯一の被爆国であり、語り手が居なくなっていく中、戦争を知らない世代といわれる僕らの世代が後世や世界に、如何に戦争の恐ろしさ、非道さを伝えていけるかを考えました。

僕は沖縄平和行進に参加した事がありますが、その時感じたことは、若い世代の県民達の興味の無さでした。年配の方や子供がいる世代の人たちは、孫や子供、未来のことを考え参加されていました。しかし、若い世代の人たちは、在日米軍による事件がおきているにも関わらず、どこか他人事であり、実感がないようでした。

ですが、平和ナガサキ集会では爆撃された事実があり、その事実を伝えていこうとする意思が感じられました。

語り手、深堀さんの家族を失った当時の話など、思い出すのも辛いであろう経験談を、核の恐ろしさを伝える為大勢の参加者の前で話してくれました。

またその後を継ぎ、戦争を知らない世代でありながら、唯一の被爆国として世界に、非核を訴えるナガサキ・ユース代表団の方や高校生平和大使の方たちの熱い思いを聞きました。

「ビリョクだけどムリョクじゃない!」凄い言葉だと思いました。

僕も微力ながら、2018 平和行動in長崎に参加し、感じた戦争の恐ろしさや、学んだことを伝えていきます。

ピースウォーク ピースウォーク
ピースウォーク

ダイベア労働組合 松山 翔哉

私はこの度初めて平和行動に参加させていただきました。

8月8日の平和ナガサキ集会では、3,000名以上の参加と緊張感の雰囲気の中各来賓の挨拶があり、連合長崎会長宮﨑さんの言葉が印象に残っております。

73年前に投下された一発の原子爆弾により7万を超える方々が亡くなり、多くの人々に苦しみと悲しみをもたらしました。その一人一人には人生があり、未来があり、家族があり、希望があったと述べられておりました。

今ある平和の毎日を送り続けるには、やはり核兵器を廃絶する事が必要だと感じました。

また、被爆者の訴えでは深堀さん88歳から当時の話をお聞きしました。原爆投下から73年たった今でも忘れられない記憶として焼き付いていて家族が目の前で亡くなられたと聞き、二度と繰り返してはならないと強く思いました。高校生平和大使の方は高校生一万人署名活動を行い国連欧州本部に提出し、核兵器廃絶と訴えるスピーチを行うと聞きました。「ビリョクだけどムリョクじゃない」と言うフレーズが印象的でした。

8月9日は被爆73年長崎犠牲者慰霊平和祈念式典、ピースウォーク、万灯流しが行われ、被爆落下中心地牌や、平和な泉、松山町防空壕群を回りました。

特にピースウォーク内の平和な泉は原爆の熱線に焼かれた人が水さえも飲めずに生き絶えた人々の冥福を祈り、核禁会議の呼びかけによる国民カンパで建設し寄付したと知りました。その牌文には、ある日のある少女の手紙からの文章の一節が刻まれておりました。

「のどが乾いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとう油の浮いたまま飲みました」

この文章から当時の悲惨な情景が浮かびました。連合長崎の方々は暑い中、記念碑等の説明をしてくださり、スムーズに周る事が出来ました。

夜には、亡くなられた方に弔いの意を込めて、それぞれの思いを灯籠に書いて流しました。万灯流しは、参加する前から気になっていた内容だった為、貴重な体験が出来てよかったです。

8月10日はグラバー園、大浦天主堂を駆け足で周りました。この三日間の平和行動で、二度と広島や長崎のようにならない為にも、今回感じた事を職場や家族、友人に伝えて行く事が自分に出来る事だと思いました。

集合写真
集合写真

 

2018/8/21 火曜日

連合「2018平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 22:10:28

堺地区協議会 事務局次長(関西電力労働組合南大阪支部) 永田 龍馬

73年前の8月6日8時15分、原爆が投下され広島の空が閃光と共に、爆音と熱波により建物は消し飛び、木々は焼け落ち、多くの命が奪われました。

また、73年たった今でも多くの方が、後遺症に苦しまれています。

改めて原爆と戦争の恐ろしさを思い知らされたと共に、二度とこの様なことを起こしてはならないと胸に刻んで参りました。

本平和行動を通じて学んだ事を次世代にしっかりと伝え、今後も粘り強く原爆・戦争の廃止に努めなければならないと感じました。

8月5日から6日にかけて連合大阪総勢30名の仲間と共に「平和行動in広島」に参加して参りました。

1日目は広島平和記念公園にて「ピース・ウォーク」に参加しました。

原爆ドームを始めとして動員学徒慰霊塔・原爆の子の像などの各モニュメント巡りました。その中で私が強く印象に残ったのは、原爆供養塔です。

原爆は、この供養塔のすぐ北側にかかる相生橋を目標に投下されました。爆心直下のこの一帯では人も家屋も全滅し、たちまち死の町に変わりました。

この一帯は亡くなられた方が多く、そこら中に亡くなった人々の遺体を誰が言うともなくこの場所へ集められました。来る日も来る日も、男か女かも判らないまま、山と積まれ焼かれたとの事でした。

この供養塔には名前の判明しない遺骨が約7万柱納められています。当時の事を思うと胸がいっぱいになりました。

各モニュメントでは、連合広島青年・女性委員の方々が「ピース・ガイド」として熱心に説明して頂きました。ありがとう御座いました。

ピース・ウォーク
ピース・ウォーク

その後、広島産業会館にて実施された「連合2018平和広島集会」に参加させて頂きました。

集会では、被爆体験証言として当時3歳だった箕牧 智之さんの講演があり、私と変わらない普通の人達がどんな生活をしていたのか、戦争中で物資が不足している中でも一家団欒で楽しい家庭だったのではないか、など当時の事を想像しながら話を聞かせて頂きました。

箕牧さんの話では、私の想像していた普通の生活が、たった一発の原爆により一瞬で町は地獄となり、倒壊した瓦礫の中をある人は家族を探してさまよい続け、ある人は誰も救えずただ自身の無力さに呆然としていたとの事でした。あまりに壮絶で悲惨な状況だったと改めて知ることが出来ました。

その後、NPT再検討会議に向けた準備委員会の検討状況について福井 康人准教授から世界の原爆に関する各国の考え方について学びました。

また、高校生平和大使からの活動状況を聞かせて頂き、「ビリョクだけどムリョクじゃない」をスローガンに核兵器廃絶と恒久平和を訴える活動に感銘を受けました。

平和広島集会
平和広島集会

2日目は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加いたしました。

原爆の犠牲となられた多くの方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げると共にすべての人々の平和と幸せをお祈りして参りました。

平和記念式典
平和記念式典

その後、場所を江田島へ移動し、海上自衛隊の幹部候補生学校を見学しました。

見学箇所は、大講堂、海上自衛隊幹部候補生学校庁舎、教育参考館などです。

各見学箇所の説明は海上自衛隊OBの説明員の方に行って頂きました。

教育参考資料館では特攻隊員の遺書が展示されていました。

遺書の内容は、父親へは戦地へ赴く意気込み、母親へは親孝行が出来ない事に対しての謝罪とこの世に産んでくれた事への感謝の言葉、弟へは両親の事を頼むと言った内容でした。

このような内容の手紙を書かせなければならなかった時代に絶対に戻してはならないと強く感じました。

海上自衛隊幹部候補生学校の見学は、日本を取り巻く国際情勢が緊張する中で、海上自衛隊の歴史を知る事が出来、非常に意義のあるものでした。

海上自衛隊 大講堂前
海上自衛隊 大講堂前

 

連合平和行動in広島に参加させて頂く前までは、原爆や戦争そして平和についてこれほど考える事はありませんでした。

今後は今回の平和行動で感じた事、そして学んだ事を一人でも多くの方々に伝えていかないとならないと考えさせられました。

平和行動in広島へ参加させていただき、ありがとう御座いました。

堺地区協議会 幹事(堺ディスプレイプロダクト労働組合)河村 蒼

8月5日~6日の2日間「2018年平和行動in広島」に参加させて頂きました。

この平和行動に参加して、戦争は罪のない人々の夢を奪い、人生を大きく歪めてしまう非人道的な行為であり、核兵器は抑止力という名の無差別破壊兵器であると再認識しました。

<1日目>

広島記念公園に到着後、「ピース・ウォーク」に参加しました。記念公園では連合広島の青年・女性委員会のメンバーから、原爆ドームをはじめとする公園内の慰霊碑や記念碑についての由来や歴史などを熱心に説明して頂きました。

原爆死没者慰霊碑 ピース・ウォークの説明風景
原爆死没者慰霊碑/ピース・ウォークの説明風景

戦後70年以上の月日が経ようとしていますが、戦争での傷跡が今なお人々の心の中に残り続けていると感じました。その後、広島平和記念資料館を見学しました。資料館では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示した写真や資料が展示されると共に、広島の原爆投下前後の歩みや核を取り巻く歴史などの紹介が、サイネージやパネルで展示されていました。夕方からは「連合2018平和ヒロシマ集会」に参加しました。

集会では連合会長並びに広島副市長及びTUCI書記次長の方々からのメッセージが述べられ、その後は被爆者の方から被爆体験を写真や図画を用いてお話頂きました。

「若者からのメッセージ」では、高校生平和大使の皆さんから広島・長崎の市民の声を世界に届ける為の活動報告が活動状況をまとめた資料を基に行われました。

国連やその関係団体への訪問を通じて、核廃絶と平和な世界の実現に向けての活動状況が説明されました。

被爆体験の説明風景
被爆体験の説明風景

 

<2日目>

午前8時に始まった「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式」に、記念公園内に設置されているモニターで参加しました。

式典では原爆が投下された午前8時15分に合わせて「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者が一斉に黙祷を捧げました。また、広島市長並びに内閣総理大臣の声明が延べられました。両者の声明内容で核廃絶に向けた考え方には大きな隔たりがあるように感じました。

広島市長の声明の中で、被爆者の方々が減少していく中、後世へこの戦争の悲惨さを伝えて行くことがますます重要になって来るとの言葉が印象に強く残りました、

平和記念式モニター参加風景
平和記念式モニター参加風景

午後からは、江田島にある海上自衛隊の第一術科学校で学習を行いました。ここでは海上自衛の幹部候補生が教育を受ける場と共に、戦中から戦後の今日までの日本海軍及び海上自衛隊の歴史が展示されていました。

通称「赤レンガ」と言われる学校庁舎 第一術科学校で説明を受ける風景
通称「赤レンガ」と言われる学校庁舎/第一術科学校で説明を受ける風景

 

2018/7/5 木曜日

連合「2018平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 10:00:47

連合大阪大阪南地域協議会 幹事(泉南地区教職員組合)野口 耕平
~平和行動に参加して、感じたこと~

①1日目(23日)

1日目は、浦添市民体育館で開催された「平和オキナワ集会」に参加した。冒頭、語り部による沖縄戦の体験を映像で聞いた。戦後すぐには語ることができなかった思い出したくもない記憶を、後世に伝え、残すために活動されている姿に心をうたれた。沖縄戦では、国が(軍が)国民を守るどころか死ぬ方へ誘導していた。「今は平和だから、災害が起きても国は人々を助けに来てくれる。しかし、戦争はそうではない。」という言葉が印象的だった。

続いて、フリージャーナリストの屋良朝博さんによる基調講演「沖縄基地問題について」を聞いた。教鞭をとられている沖縄国際大学の学生のコメントをもとに、米軍基地問題についての誤解や認識の誤りを丁寧に批判・説明された。国土の0.6%しかない沖縄に、なぜ約70%もの米軍基地が集中しているのか。もともとは本土にも多くの基地があったのに、戦前から続く沖縄に対する日本人の差別意識を利用して、米軍は戦略的に基地を沖縄に移転させてきた。そこには、基地の存在を国民から不可視化させる狙いがあった。住んでいた土地を奪われ、様々な危険と隣り合わせで生活する沖縄の人々。基地問題は日本全体の問題であり、重大な人権侵害なのだと強く認識することができた。

連合大阪参加メンバー フリージャーナリスト屋良朝博さん
連合大阪参加メンバー/フリージャーナリスト屋良朝博さん

②2日目(24日)

2日目は、ピースフィールドワークに参加した。連合大阪は、基地コースに参加。連合沖縄青年委員会の方によるピースガイドと資料が大変詳しく、学びが多かった。

名護市辺野古大浦湾では、新基地建設を進めている現場を見学した。キャンプシュワブ前には、基地建設反対派のテントが並んでいた。ジュゴンをはじめとする多様な生態系と豊かな自然環境を育むこの海を本当に埋め立ててよいのか。青く美しい海を見ながら強く感じた。

ピースフィールドワーク キャンプシュワブ
ピースフィールドワーク/キャンプシュワブ

「道の駅かでな」の展望台より、嘉手納飛行場を見学した。先日、F15戦闘機の墜落事故があったばかりだというのに、すぐに飛行訓練が再開された。嘉手納町の面積のうち約82%が基地で占められている。基地のすぐそばには住宅地が広がり、交通量の多い道路も見られた。また、嘉数高台の展望台からは、普天間基地を見学した。滑走路横に並ぶオスプレイが目視できた。こちらも、基地の周囲は住宅地。こんな近くに人々の暮らしがあるのか、と驚かされた。安心、安全に暮らすことができない生活環境を目の当たりにし、基地との共存はできないという思いが強くなった。

嘉手納飛行場 普天間基地
嘉手納飛行場/普天間基地

チビチリガマでは、ガマで起こった集団死について学習し、犠牲になった方々の冥福を祈り、黙祷を捧げた。薄暗いガマの中で、砲弾の音を聞きながら身を寄せ合って隠れていることが、どれほどの恐怖だったか。捕虜になると酷いめに遭わされるという誤った情報と、極限まで追い詰められた状況が起こした悲劇は、残酷で恐ろしい戦争の実態を象徴していた。

いずれの場所も、テレビやインターネット、書籍から得られる知識だけではわからない、戦争の悲惨さ、基地問題の理不尽さを感じ取らせてくれた。

チビチリガマ 黙祷
チビチリガマ/黙祷

③3日目(25日)

3日目は、連合大阪の独自行動で平和学習を行った。対馬丸記念館では、九州への学童疎開船・対馬丸が米軍潜水艦に沈められた事件について学習した。子どもたちを疎開させる理由は、沖縄に戦火が迫っていて危険だからというだけでなく、沖縄を守備する日本軍の食料を確保するためだったという側面があったことに驚かされた。また、子どもを疎開させることに反対する保護者を、国民学校の教師や校長が家庭訪問して説得して回ったという。学校が戦争に協力し、多くの子どもたちを犠牲にしてしまったことは、教職員として決して忘れてはいけないと思う。「教え子を再び戦場に送らない」の日教組不滅のスローガンを、改めてかみしめた。

佐喜間美術館では、丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」を鑑賞した。また、美術館屋上からは、普天間基地を見学した。昨年、米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小学校も見えた。基地からのあまりの近さに驚いた。轟音を立てた米軍機が頭上を飛び交う中、子どもたちは毎日学校に通い、運動場で遊んだり、体育をしたりするのだろう。沖縄にとっての戦争は、まだ終わっていないのだと感じた。

④まとめ

大阪の公立小学校では広島を、中学校では長崎や沖縄を修学旅行で訪れ、平和学習をするところも多い。オキナワでもヒロシマでもナガサキでも、戦争体験者の話は一人ひとりちがい、一人ひとりの生活や生き方、考え方が語られている。教科書の知識だけでなく、人々の姿や顔が見える学習を、これまでも大事にしてきた。戦争を体験した方々が減少していく中、その体験や事実をどのように引き継いでいくのかが重要である。今回の平和行動での学びを、どのように教材化して教育の現場で伝えていくのか。これからの自分自身の課題として模索していきたい。

=======================================================

泉南地区教職員組合 志禮 義隆

単組でも平和行動に参加はしていますが、毎回自分自身が知らないことの多さを痛感させられます。

1日目の平和オキナワ集会での屋良朝博さんのお話では、沖縄基地問題について、現在の問題点もさることながら、なぜこのような基地問題が起こったのか、また、今でも問題が続いているのかを考えることの大切さを学ぶことができました。

平和オキナワ集会 平和オキナワ集会
平和オキナワ集会

2日目の現地視察学習では、辺野古に行くことができたのが大きかったです。目の前に広がるとてもきれいな海の上に、端が見えないほど無数に浮かぶオレンジ色の浮きの多さと、その浮きが占める海の割合に驚きました。今ある「嘉手納」や「普天間」などの基地の早期返還はもちろんですが、これ以上、沖縄の土地・自然を壊すことをしてはいけない。これまで以上に声を大きくし、行動する必要を改めて感じました。

辺野古大浦湾 辺野古大浦湾
辺野古大浦湾

また、懇親会では、さまざまな単組の方とお話をすることができてよかったです。「平和」1つにとっても、単組による行動の仕方、行動についての考え方、行動で学んだことの活用の仕方などの違いを知ることができ、私自身の考え方の幅を広げていただくことができました。

最後に、日本に住んでいるのなら、平和を願うのなら知っておかなければいけないことが数々あります。まだまだ知らないことばかりで、自分のいたらなさを感じましたが、それでも、今回の平和行動によって知るきっかけを作っていただけたことに感謝します。ありがとうございました。

辺野古での集合写真
辺野古での集合写真

 

2017/9/7 木曜日

連合「2017平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 12:34:07

泉南地区協議会 事務局長(岬町職員組合) 小川 正純

8月8日から10日までの3日間、大阪南からは、泉南地区松尾事務局次長と2名で2017平和行動in長崎に参加しました。

第1日目は、連合2017平和ナガサキ集会(長崎県立総合体育館にて)に参加しました。

主催者あいさつ、被害者からの訴えを聞いたあと、高校生平和大使によるメッセージが披露されました。高校生による「微力だけど無力じゃない」というメッセージ。初めて聞いた言葉に心が熱くなり、若者たちの平和への願いに対する思いと、これまで次世代にしっかりと伝えてきた方々の熱い思いを実感しました。

集合写真 被害者からの訴え
集合写真/被害者からの訴え

2日目は、午前に被爆72周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。式典は、会場である平和公園の平和祈念像前において、原爆死没者の遺族をはじめ、多くの市民や各団体の参加のもと挙行されました。高校生の進行により式典は始まり、原爆が投下された11時02分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷を行いました。

また長崎市長による長崎平和宣言は、日本政府に対し核兵器禁止条約の交渉会議に参加しない姿勢を強く非難し、唯一の被爆国として政策の見直し求める内容が盛り込まれ、今尚国と平和を望む私たちとの間に隔たりがあることを印象付けました。

式典会場入口 祈念式典
式典会場入口/祈念式典

昼食の後、地元連合長崎の皆様のご協力を得て、ピースウォークに参加しました。

「原始爆弾落下中心地碑」から説明を聞き、「浦上天主堂の遺壁」では、爆風による礎石部分のズレを見て、爆風の衝撃の凄まじさを実感しました。また、被爆者が水を求め苦しみ、亡くなっていった人々の癒すためにつくられたと言われる「平和の泉」を見学しました。被爆による惨劇の様子聞くとともに、平和の泉に向かい恒久平和の実現を祈りました。

浦上天主堂の遺壁 平和の泉
浦上天主堂の遺壁/平和の泉         平和の泉

3日目は、世界遺産である「軍艦島」オプションツアーに参加しました。当日は波が高く、上陸は叶いませんでしたが、船上から島全体を見ることができました。廃墟と化した島の工場跡地は、1869年端島に着手して1974年に閉山され無人になるまで続いた海底炭鉱で、作業は、常にガス爆発等の事故と隣り合わせの厳しい労働環境であった説明を聞きました。炭鉱の最盛時には5,300人が暮らす日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅の様子を写真や資料を基に解説いただきました。

今回、平和行動を通して初めて長崎の地に訪れることができました。被爆から72年を向かえ、被爆者の方々もご高齢になっています。私たちが次代へ伝える使命感を改めて感じることが出来た、大変貴重な経験でした。ありがとうございました。

泉南地区協議会 事務局次長(JP労組泉州北支部) 松尾 滋行

8月8日から10日行われた長崎平和行動に参加してきました。出発日は、伊丹空港8時30分集合で、泉南地区からの参加は、移動に時間がかかり朝早くの集合は辛いものでした。

長崎では、到着から少し時間があり眼鏡橋を見学し、連合2017平和ナガサキ集会に参加しました。被爆地といえば広島が第一に挙げられますが、今回の平和行動で改めて長崎も被爆地として大変な被害と復興の歴史を学ぶことができました。

しかし被爆体験者の高齢化が進みその体験を生の声として後世に伝える事が難しくなっている実態に戦後72年の長さを感じ、労働組合がなぜ、反戦平和の運動を支援し積極的に参加しなければならないのか、今新たな核の脅威がアジアに広がりつつある中一人一人が今何ができるのかを考えされました。

そんな中、戦争に無関心な若者が多い中高校生平和大使の活動を今回知り、平和への活動を少しでも職場・地域で紹介し広げることが必要だと感じました。

連合2017平和ナガサキ集会 黙祷
連合2017平和ナガサキ集会/黙祷

2日目は平和式典に参加しました。あいにくの空模様の中また、蒸し暑さの中式典スタッフがお絞りやペットボトルの水と参加者に何回も配りに回ってくれました。式典が始まり名簿の奉納・式辞・献水・献花・黙とうの後、長崎市長による平和宣言では日本政府への提言を安倍首相出席の中宣言し、平和への思いが出席者の心を打ちました。

その後安倍首相のあいさつがあり約2時間の式典は終了し、午後のピースウォークに参加しました、平和公園周辺の被爆史跡や防空壕後などボランティアの説明を聞きながら見分を広めることができました、当初予定していた「万灯流し」は、雨のため川が増水し中止になり空いた時間で原爆資料館・片足鳥・外国人墓地を散策しました。

ピースウォーク 集合写真
ピースウォーク/集合写真

3日目は「万灯流し」に参加予定のため帰りの飛行機を夕方にしたため軍艦島・大浦天主堂・グラバー園等見学し大阪への帰途につきました。

今回の平和行動で感じたことを職場に帰り組合員や地域活動に生かし平和の大切さ有難さを伝えていきたいと思います。

2017/8/25 金曜日

連合「2017平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 10:53:47

■泉州地区協議会 事務局長(大阪ガス労組泉北支部) 田中 政和

8月5日~6日にかけて、「2017平和行動in広島」に参加しました。平和行動は2010沖縄以来、2度目の参加となります。沖縄では太平洋戦争最後の日米決戦であり、唯一の陸上戦ということであまりにも悲惨な戦跡を目の当たりにしました。そして、広島はあまりにも有名な原爆を投下された都市であるということは言うまでもありません。その「原爆」は、世界中に保持され、平和を願う人々を今もなお、脅かしているものです。「核兵器廃絶」これを成し遂げなければ、人類の未来は明るいものにならないのではないでしょうか?

と少し、大きな話でスタートさせていただきましたが、参加報告をさせていただきます。

実は広島には何度か訪れており、戦後70年を迎える節目の年に単組(支部)の平和行動としても広島を訪れました。平和記念公園内の慰霊碑、記念館、原爆ドームなどすべて見学してから2年が経過しましたが、訪れるたびに今の平和を痛切に感じる場所であります。

今回は、初日に連合広島の方からガイドをいただきながらの平和公園でしたので、今まで以上に平和について考えさせられる時間となりましたし、集会では、被爆体験者のお話、高校生平和大使のお話と非常に学ぶことが多く、広島市民ではない我々も戦争について語り継いでいかなければならないと感じることとなりました。特に平和大使の高校生の方々には頭が下がる思いでした。

集合写真 ピースウォーク
集合写真 /ピースウォーク

 

被爆体験者のお話 高校生平和大使のお話
被爆体験者のお話 /高校生平和大使のお話

 

二日目の朝、広島市原爆死没者慰霊式と平和記念式に参加しました。8時15分の黙とうにより、平和記念公園内数万人の参加者が静まり返ったときは、言葉では言い表せない何か経験したことのない不思議な感覚になりました。式典のレジュメには、一枚の色紙と日本語・英語で折り鶴の折り方が記されていました。そのとき付近にいた外国の方が、「教えてほしい」ということでしょうか、レジュメと色紙を差し出してきましたが、鶴を折れない、さらには英語ができないとういう情けなさを味わい、横にいたおじさんが、英語はできないが、ゆっくり目の前で折り始め、外国の方も一緒になって必死で折っていました。

よく周りをみれば、非常に多くの外人さんが広島を訪れていることに気が付きました。これも平和を願う、世界の人々の「平和行動」なのでしょう。

午後からは、台風も心配される中、フェリーで江田島に向かい、海上自衛隊第1術科学校を見学させてもらい、ここでも戦争に関わるおおくのものを見て、勉強させてもらいました。

広島駅に向かう帰りに乗った路面電車は、たまたま72年前に爆心地から3kmほどのところで被爆したものでした。その電車は、被害が少なかったこともあり、すぐに市民のために走り出したそうですが、いまもなお現役で走りながら言葉を発しない語り部として活躍していることに感動しながら、非常に暑かった2日間の平和行動が終わりました。

==========================================================

■大阪ガス労組泉北支部 上東 英樹

個人的に広島の平和記念公園へ行き、原爆ドーム、資料館へは行ったことはあったが、記念碑等の前で、どういった記念碑なのかという説明を受けたことは初めてであり、ひとつひとつの碑に込められた思いなどを知って、たいへん勉強になった。また、被爆者の体験談をお聞きしたのも初めてで、幼年期に父親を被ばくで亡くした話や、被ばく直後の方の生々しい姿は想像しただけで、原爆の恐ろしさを痛感した。原爆という悲惨な兵器はこの世から無くなることを心から望んだ。初めて高校生の平和大使の活動も知れたことは良かった。今後とも活動を通して、世界に原爆の恐ろしさを伝えて世界平和のために頑張っていただきたいと思う。

ピースウォーク 連合2017平和ヒロシマ集会
ピースウォーク/連合2017平和ヒロシマ集会 ピースウォーク

海上自衛隊の学校(旧海軍兵学校)への見学も初めて行かせていただき、戦争時の資料をたくさん拝見させていただいた。現在でいえば、まだまだこれからといった青年が出した戦場からの手紙や遺書等には心を打たれた。

海上自衛隊第1術科学校 集合写真
海上自衛隊第1術科学校/集合写真
平和活動に初めて同行させていただき、戦争の悲惨さ、平和の大切さを身に染みて感じた。資料館等に行ったことのない方には是非行っていただき、平和について考えてほしいと感じた。

 

2017/7/4 火曜日

連合「2017平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 20:58:22
  • 日時:2017年6月23日(金)~6月25日(日)
  • 参加者:連合堺地区協議会 清水副議長 片田副議長

連合堺地区協議会 副議長(コーナン商事ユニオン)清水 俊雅

6月23日は1974年に制定された沖縄県の条例により、戦争による惨禍が再び起こる事のないよう、人類普遍の願いである恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰める為、「慰霊の日」と定められている。

沖縄にとって特別な日である6月23日から2日間にわたって開催された平和行動に参加した。

1日目は浦添市てだこホールでの「平和オキナワ集会」に出席した。第1部では伊江島観光バス㈱代表で元伊江村議会議員の山城 克己さんから「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」基調講演があった。伊江島村民の戦争体験者から聞き取りをおこなったことを機に、現在では民泊事業で受け入れた子ども達や平和学習などで訪れた人々に学校では学べない伊江村でおこった歴史を伝えているとのこと。第2部の平和式典も含め、戦争の悲惨さと平和の尊さを五感で感じ、平和とはなにか、戦争とはなにかを知り、子ども達に、そして後世につなぐ為に、恒久平和の実現を求め、平和行動を継続していく事を出席者全員で確認した。

平和オキナワ集会 集合写真(てだこホール前)
平和オキナワ集会/集合写真(てだこホール前)

2日目は連合沖縄青年委員会ピースガイドによるピースフィールドワークに参加した。名護市瀬嵩の浜では新基地建設反対行動が行われていた。辺野古・大浦湾の自然環境を守り、多様な生態系も含め、かけがえのない財産を将来の世代に引き継いでいくことと、新基地が建設されると日本所有の土地では無い為、返還請求も出来ないとの説明があった。道の駅かでな屋上展望台では嘉手納基地及び周辺問題について学ぶ。基地周辺は住宅が密集しており、大変危険な状況であるとともに戦闘機等の騒音も想像を上回るものであるとのこと。

その後、チビチリガマにて平和の像に献花を行い、ガマでの当時の出来事を学んだ。沖縄戦が始まり、ガマ(洞窟)には波平の住民が避難していたこと、米軍の攻撃により逃げ切れなくて、集団自決にまで追い込まれたことなどの説明を受けた。嘉数高台では突然の雨により早々に移動し、沖縄県庁へ向かった。県民広場での集会の後、国際通りを牧志公園までデモ行進を行い、2017平和行動in沖縄は終了した。

ピースガイドによる説明 県民広場での集会
ピースガイドによる説明/県民広場での集会

国内唯一の地上戦が行われた沖縄の歴史から現在の米軍に関わる問題までを学び、改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを五感で感じとる時間が持てました。戦争体験者が減っていく中、後世に伝えていく事の重要性と恒久平和を求めて平和行動を継続していく事の必要性を再確認できた2日間でした。

連合堺地区協議会 副議長(新関西製鐵労組堺支部)片田 栄一

今回、大阪南地域協議会枠から参加させて頂きました。平和行動もそうですが、沖縄への渡航も初めての体験とあって、色んな思いを胸に当日を迎えました。が、そもそも6月23日が沖縄にとって「慰霊の日」である事すら意識していなかった私にとって、今回の平和行動は大変意義深い3日間となりました。

初日の「平和オキナワ集会」では山城克己氏による「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」と題した基調講演があり、太平洋戦争(連合各資料による呼称)における日本にとっての沖縄の役割、米軍の立場からの戦略などを皮切りに、日本軍が沖縄住民に対して行った行為や、米軍における猛爆撃、壕内での凄惨な状況、多くの住人が戦闘に巻き込まれていく話など、学校教育では学べない沖縄の歴史を講義していただきました。

平和式典では、各代表者による挨拶の後、平和メッセージ・ピースリレー・平和アピールを通じて、平和とは・戦争とは何かを知り、今後も粘り強く平和行動を推進して行く事の大切さを参加者全員で誓いました。

山城克己氏 ピースリレー
山城克己氏/ピースリレー

二日目に移り「ピースフィールドワーク」と題した現地視察学習を行いました。ピースガイドには、地元連合沖縄青年委員は元より大分青年委員の方もおられ、平和行動への意識の高さがうかがえました。

最初の地、名護市瀬高の浜では、辺野古新基地建設のK9護岸工事が大浦湾で4月25日から着工、当日も埋め立て工事やカヌーでの建設反対海上行動を目の当りにし、サンゴや多様な生物の生きる海が壊される痛みを感じ、当時の日米合意に至る政治的拝啓や沖縄県民の思いを改めて考えさせられました。

建設反対海上行動 集合写真(辺野古)
建設反対海上行動/集合写真(辺野古)

続いて米軍嘉手納基地へ向かい、基地空港の規模や軍事的な重要性、周辺住民との問題等の説明がありました。中でも嘉手納ラプコン(レーダー・アプローチ・コントロールの略)による沖縄本土上空と、周辺の航空管制業務が2010年に日本に返還された事に関する内情は理不尽であると感じました。要は、飛行に関し米軍機優先の為、那覇空港から離着陸する民間機は低空飛行を余儀なくされ、ニアミスの発生や乱気流によるトラブルの危険にあった訳で、管制業務が戻った事により米軍機の把握もでき民間機の安全が向上すると言うものです。しかし現状は、米軍機の飛行や作戦計画に支障のない範囲が大前提で、結局米軍を最優先すると言う事のようです。当日は土曜日であり、軍用機の飛行は無かったですが、騒音レベルは車のホーンを連続で鳴らしている前に立っている状態に等しく、騒音や安全問題など、周辺住民の不安や不満は取り払われていませんでした。

嘉手納基地 嘉手納町航空写真
嘉手納基地/嘉手納町航空写真

続いてチビチリガマ(避難壕)で平和の像へ献花し、無念の死を迎えた人々へ慰霊を行いました。壕内では集団自決が行われましたが、当時の背景を考えた時、自決という表現が正しいのかと言う議論もあるようです。

続いて、嘉数高台から普天間基地を見渡しました。嘉手納基地同様の問題がある中、過去実際に近隣の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事件があり、その際も米軍の理不尽な対応がより一層非難の声を大きくし、現在の基地問題を一層深刻化していました。

チビチリガマ 普天間基地
チビチリガマ/普天間基地

その日最終となる「在日米軍基地の整理・縮小」「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動が、沖縄県庁前県民広場で行われました。連合本部神津会長、並びに連合沖縄大城会長から平和行動に対する熱い思いを込めた挨拶の後、国際通りを連合沖縄青年委員によるシュプレヒコールでデモ行進を行い、沖縄平和行動を締めくくりました。

三日目は連合大阪スケジュールとなり、対馬丸記念館、佐喜間美術館、首里城と戦史に纏わる施設の見学となりました。

現在も全国の米軍基地の70%が集中している沖縄において激しい地上戦が行われ、多数の尊い命が奪われ、無残な焦土となった事実、現在も引きずる多種にわたる制限や米軍基地があるゆえに起こる事件や事故。平和な社会が形成されてこそ労働運動が成り立つ事を肌身をもって感じ、考えさせられました。

時間単位で食べ物が廃棄され、グルメ番組がたびたび放映される飽食の時代、平和ボケと言う言葉が随所にみされる行動や意識。そんな中にあり72年前の大戦を知る事、考える事はこれからの自身や世界にとって必ず有益だ。今回学んだ事を次世代へ繫げるべく、今後も平和運動を推進する事を心に誓い沖縄の地を後にしました。

今回の平和行動に当たり、私を推薦して頂いた地協の方や連合、連合沖縄、青年委員、連合大阪、また気さくに声を掛けて頂き交流を図っていただいた参加者の皆様にお礼を申し上げ、報告とさせて頂きます。ありがとうございました。

2016/10/13 木曜日

連合「2016平和行動 in 根室」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 22:22:38

大阪南地域協議会 副議長(JAMセイサ労組) 津田 武彦

今回、2016年9月9日(金)~12日(月)にかけて、連合「平和行動in根室」に参加させていただきました。

出発日の9月9日、温帯低気圧に変化した台風13号の影響で、羽田~中標津間の路線が、欠航か到着地変更かの瀬戸際にありました。機体が大きく揺れる恐怖に耐えながらも中標津に到着しましたが、今年は東に偏った太平洋高気圧の影響で、台風が異例の進路を取っており、東北地方から北海道にかけて甚大なる被害をもたらしています。

大雨の初日 連合大阪参加者
大雨の初日/連合大阪参加者

翌9月10日は北方四島学習会が開催され、第一部では2014年2月公開のアニメ映画「ジョバンニの島」が上映されました。終戦と同時にソ連軍に北方四島を占領され、激変する島民の暮らしを、ある家族の視点で色丹島を舞台に描いた作品です。

この作品は子供向けに柔らかい内容にしてあるそうで、強烈な戦争描写はありませんが、中心人物の小さい弟が亡くなるなど、涙を誘う内容となっていました。しかし、体験者の話では実際には想像を絶する過酷なものであったとのことでした。

北方四島学習会 第二部の分散会セミナーでは、「行き詰まる日ロ交渉、打開の道は」と題した日本放送協会の石川一洋氏の講演に参加しました。急遽決まったプーチン大統領訪日のニュースで、北方領土問題が取りざたされていただけに、ホットな話題でありこれだと思い選びました。

石川氏はロシア極東ウラジオストクで行われた日ロ首脳会談に同行取材されており、そのときの内容と今後の見通しなどについて話を聞くことができました。概要は、領土交渉というのは、片方ではなく双方にリスクを取る意思があるのかが重要であることから、戦後70年以上を経過してもなお、ロシアとは平和条約の締結がされていないということです。

これまでも「領土と経済は取引しない」、「第二次大戦の結果は動かさない」と頑なな態度をとっているプーチン大統領に対し、安倍首相は平和条約締結の際、島民の地位や権利、経済活動などについて、これまでの平行線の議論から、一歩踏み込んだ具体的議論を行うことを呼びかけたようです。

北方四島学習会 しかし、領土問題は安全保障と密接に関係しており、米露対立の先鋭化や中国の海洋活動の増大など、日本・ロシアともに軍事的な重要性は高まっているため、それが領土交渉の障害の一つでもあります。安倍首相は、今回の日ロ首脳会談の政策演説の際、プーチン大統領をウラジミールと名前で呼びかけました、「ウラジーミル、あなたと私には、この先、大きな課題が待ち受けています。(中略)日本の指導者として、私は日本の立場の正しさを確信し、ウラジーミル、あなたはロシアの指導者として、ロシアの立場の正しさを確信しています。しかしこのままでは、あと何十年も、同じ議論を続けることになってしまいます。それを放置していては、私も、あなたも、未来の世代に対してより良い可能性を残してやることはできません。ウラジーミル、私たちの世代が勇気をもって責任を果たしていこうではありませんか。(中略)この70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の、日露の新たな時代を、共に切り開こうではありませんか。無限の可能性を秘めた二国間関係を未来に向けて切り開くため、私は、ウラジーミル、あなたと一緒に、力の限り、日本とロシアの関係を前進させていく覚悟であります。」素晴らしい演説であったそうです。なにより素晴らしい仕事をしたのが同時通訳であり、同時通訳の出来次第で全く印象が変わってしまうが、今回の通訳は素晴らしく、プーチン大統領の表情を窺っていたが、先だって拍手する場面や頷く場面など、印象は良かったのではないかということでした。

そして、日本との関係の全面的な発展が、ロシアの安全保障を強化するとプーチン大統領が感じたとき、領土問題は動き出すのではないかと締めくくられました。12月のプーチン大統領来日で、領土問題が進展することを望まずにはいられませんでした。

3日目、9月11日は平和ノサップ集会です。連合は1989年の結成以来、北方領土返還運動を沖縄・広島・長崎とともに4つの平和運動と位置づけ取り組んできました。今回の集会では、来賓から岸田外務大臣と鶴保内閣府特命担当大臣のメッセージ紹介、高橋はるみ氏(北海道知事)、長谷川俊輔氏(根室市長)、児玉泰子氏(北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長)が挨拶されたのち、元島民の鈴木咲子氏の訴え、同じ領土問題である竹島問題を抱える連合島根より原田圭介事務局長から特別報告と、連合長崎から森光一会長の平和メッセージが発表され、最後に集会アピールが採択され終了しました。

平和ノサップ集会 平和ノサップ集会
平和ノサップ集会

9月12日は帰路への移動となりましたが、今回の平和行動で、北方領土問題の根深さを再認識しました。戦争から70年以上経過し、元島民の方々も平均年齢80歳を超えたそうです。従って、仮に北方領土が返還されても、その年齢で移住ができるのか、2世・3世の皆さんは本土で生まれ育ってきたので故郷という意識は薄い、中国資本の工場や現在のロシア住民の問題など、返還後の課題も山積していると思います。返還要求だけでなく、その後の課題克服も考えていかなければならないと痛感しました。

近畿ブロック集合写真
近畿ブロック集合写真

2016/8/25 木曜日

連合「2016平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 21:12:45

堺地協議会 副議長(コニカミノルタ労組) 松長 紀雄

8月8日~11日の連合大阪の平和行動in長崎に、事務局2名を含めて10人が参加。

8月8日 15:30~「被爆71年 連合2016平和ナガサキ集会」
@長崎県立総合体育館

①主催者および来賓あいさつ、②被爆者からの訴え、③若者からのメッセージがあり、高校生平和大使の「ビリョクだけどムリョクじゃない!」を合言葉とした活動の報告があり、しっかりとした形で継承されている若者たちの平和の願い、国連へ訴える長崎の若者の熱き思いがしっかりと語られた。④ピースコンサートでは、金子みすゞ、与謝野晶子らの詩に曲を付けてものが歌われた。詩だけではモノクロの活字に過ぎないが、曲が付き歌となると色鮮やかな挿し絵が入った本の様に心に響くものがあった。

最後に集会のテーマソングである「For The Peace Of World 」を全員で合唱した。生々しい歌詞の部分もあるが全体が一致して合唱できた。参加人数は全国からの連合の仲間3,294人ということで、会場はその熱気で空調も効かない程ではあったが、それ以上の内容の充実さに2時間半を長いと感じることもない集会であった。

連合2016平和ナガサキ集会 連合2016平和ナガサキ集会
連合2016平和ナガサキ集会

8月9日10:30~12:00長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」
@長崎市平和公園

司会進行は地元純心女子高3年生の2人。言い間違いなどをすることもなく立派な司会であった。昨日の高校生平和大使と合わせて、地元高校生の熱心さに頭が下がる想いである。翌日の新聞によると「二人とも被爆者である祖父母に被爆体験を聞こうとしたが、『思い出したくない』『つらい』と拒まれた。」とあった。本当につらい想いをし、語りたくない被爆者の気持ちも十分理解できるが、一方で勇気をふり絞り被爆の体験談を語り継ぐことの大変さを思わされた。

各政党党首の献花の際、党による考えの違いはあっても方向は一致して歩んで欲しいと思わされた。53ヵ国の政府代表者が参列したとのことである。諸国の代表、国代表として参列するだけでなく、自国に戻ってこの式典で感じたことを自身の言葉で語って欲しいと思った。参加される国代表が今後も増えることを見守り続けたい。

原爆が投下された11時2分に黙とうがあり、約5,600人の参列者全員で平和への祈りをささげた。

長崎田上市長による「長崎平和宣言」では、核保有国の首脳らに長崎、広島の被爆地を訪れるよう、「核なき世界」を実現するため「英知」を結集する呼び掛けがあった。オバマ大統領の広島訪問について「自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示した」と評価していた。日本政府が、核廃絶を訴えながら米国の「核の傘」に依存する矛盾を指摘し、「非核三原則」の法制化と「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討するよう、行動に移すリーダーシップを発揮するに求められた。被爆者の平均年齢は80歳を超え、「世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が近づいている」と述べ、被爆体験を継承する重要性を指摘した。宣言の後、平和を全世界に届けることを象徴する多くの鳩が放たれた。

被爆者代表の井原氏の「平和への誓い」のスピーチでは、日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいないことが述べられ、アメリカの「核の傘」に頼らず、「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけること、オバマ大統領が「最後の核被爆地長崎」を訪問されることを強く願っていた。

長崎知事のメッセージ「慰霊の詞」では、長崎では被爆講和者や高校生の活動を通しての平和の発信されるものの、いまだに核兵器が存在する事に対し、核廃絶に向けての期待が発せられた。

安倍首相のあいさつでは、「『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねる」との決意があった。

71年前のこの日7万4千人が亡くなり、今年で原爆死没者名簿登載者数は172,230人となった。

平和祈念式典
平和祈念式典

8月9日14:00~15:30 連合長崎青年委員会担当「ピースウォーク」
@原爆落下中心地公園・長崎市平和公園

以下の各施設を回りながら説明を受けた。

「原子爆弾落下中心地碑」:「落下で無く投下」との説明があった。

「浦上天主堂遺壁」:爆風による礎石部分のズレを見て、衝撃の怖さを感じられた。

「被爆当時の地層」:当時の生活がうかがえる遺品がそのまま埋まっているのを見て、一瞬の出来事を実感した。

「松山町防空壕群(跡)」:爆心地の近くの防空壕でなんとか生き残ったもののその後治療も受けられないまま死んでいった人の辛さ無念さが思わされた。

「平和の泉」:被爆者の血と息絶えた人々の油が浮いていた水でさえも飲んだ人、水さえも飲めないで死んでいった多くの人々のことが思わされた。

「長崎の鐘」:被爆50周年に連合長崎から連合広島へ長崎平和の鐘が寄贈され、以来打鐘セレモニーが行われていること知り、繋がりの大切さを感じた。

「旧長崎刑務所浦上刑務支所」:収容されていた朝鮮人や中国人などを含め全員死亡したことに区別なく襲われたことに対する恐怖を感じた。

「平和祈念像」:被爆者に対する法的援護が設けられていない時に相当の費用が掛かり、資金の使い方に疑問を抱いていた被爆者のことを考えさせられた。

ピース・ウォーク ピース・ウォーク
ピース・ウォーク

8月9日19:00~20:00原爆殉職者慰霊奉賛会主催・連合協賛「万灯流し」
@浦上川

市民から青年団、地元自治会、消防団、原爆殉難者慰霊奉賛会へと継承されている催しであり、犠牲者のめい福を祈り、平和へのメッセージを書き込んだ万灯を浦上川に流した。連合長崎では、万灯作りの段階から地元の人達との良き交流がされている様である。

【所感】

「平和ナガサキ集会」、「ピースウォーク」、「万灯流し」それぞれ大きなイベントであり、それらを実行させる連合長崎のパワーを感じた。今回の平和行動の参加を通して、連合の今年の平和集会のテーマ「恒久平和の実現に向けて 核兵器廃絶への新たな一歩を」を少しでも具現化を進めて行けるよう、世界に今なお残る1万5千発以上の核兵器の廃絶に向けて、微力ではあるが進んで取り組んでいきたいと思った。

以上

堺地区協議会 事務局次長(関電労組南大阪支部) 田中 秀和

今回、初めて平和行動に参加させていただきました。

多くの尊い命が一瞬にして奪われたあの日から71年が過ぎ、改めて原爆や戦争の恐ろしさを思い知らされるとともに、このようなことを二度と起こさないようしっかり次世代に伝えていかなければならないと感じた平和行動でした。

平和記念像前での集合写真
平和記念像前での集合写真

1日目は、「連合2016平和ナガサキ集会」に参加させていただきました。地元長崎市民や各諸団体の総勢3294名もの方々が参加されました。当時12歳小学6年生だったという被爆者の方から体験談をお聞きし、3000度以上にも上昇した地面の温度、あちこちで焼け焦げた人たちや火災が起きる中、家族を探して必死に歩き回る。軽傷と思っていたら、放射能被害により数日後亡くなってしまった人。当時の地獄ともいえる状況やあまりに壮絶で悲惨な出来事だったということを改めて知ることができました。また、若者からのメッセージということで、全国から集まった高校生平和大使による「微力だけど無力じゃない」をスローガンに、核兵器廃絶と恒久平和を訴える活動をされている姿を見て感銘を受けました。

2日目は、「平和祈念式典」「ピースウォーク」「万灯流し」に参加させていただきました。11:02サイレンとともに行った黙祷では、原爆の犠牲となられた多くの方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げました。のどが渇いてたまらなく水くみに行くと油が浮いており仕方なく油を飲んだと書かれた石碑には、本当に胸が痛くなりました。夜の万灯流しでは、すべての人々の平和と幸せを祈り、浦上川に万灯を流させていただきました。

万灯流し 万灯流し
万灯流し

3日間、外気温36度近くと言われた長崎の地でした。汗かきの私は汗だくになりながら平和行動に参加させていただきましたが、71年前は100倍以上の温度であったことから本当に想像を絶する苦しさだっただろうと感じました。

今年5月には、オバマアメリカ大統領が広島を訪問し、核兵器のない世界の追求を核保有国に訴えられました。私も、微力ながら、ひとりでも多くの方にこの平和行動で感じたことや学んだことを伝えていかなければならないと考えさせられました。ご同行いただいた皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

2016/8/22 月曜日

連合「2016平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 15:55:34

大阪南地域協議会 事務局長 牟田 和広

日程 2016年8月5日(金)~8月6日(土)
場所 広島市
【行程】8月5日(金) 10:45 広島駅に集合
11:30 昼食・オリエンテーション
13:20~14:20 ピース・ウォークに参加(広島平和記念公園) ピース・ガイドの説明を聞きながら慰霊碑めぐり 「原爆死没者慰霊碑」前で黙とう・献水
14:30~16:00 広島平和記念資料館を見学
16:30~19:30 連合2016平和ヒロシマ集会に参加(広島市文化交流会館) 千羽鶴献納 被爆体験証言(坪井 直さん) 高校生平和大使メッセージ(4名)
20:00~21:30 夕食交流会
8月6日(土) 7:00 ホテル出発
8:00~ 9:00 「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加(広島平和記念公園)
9:30 江田島へ移動
11:45 昼食休憩
13:00 海上自衛隊第1術科学校を見学
14:30 広島駅へ移動
16:00 解散

所 感

連合「2016平和行動in広島」に、連合大阪として29名を引率し、参加してきました。初めて連合の平和行動に参加しましたが、ピース・ガイドは連合広島の方々ですし、参加者は皆「連合○○」の旗を持っています。またピース・ウォークの途中、原爆死没者慰霊碑で黙とう・献水を行っていると、献花をされる神津会長に出会いました。正に「連合の平和行動」なのだなと実感するとともに、全国から多くの仲間が集まる団結力に感動しました。

ピース・ウォーク受付 神津連合会長(右)
ピース・ウォーク受付/神津連合会長(右)

集会では、被爆体験証言として「坪井 直」さんのお話を、そして高校生平和大使の4人の女子高生の報告・アピールを聞きました。91歳となられた坪井さんの、直接被爆者としての唯一無二のお話は、聞く者を圧倒的に引き付け、心を揺さぶります。そして、場違いな程、歳の離れた女子高生が、真に平和を願うスピーチをした時、会場はひとつになり、平和への想いもひとつになったと感じました。

私たち連合は、これからも平和行動を続け、坪井さん達の世代、私たちの世代、そして若い世代がひとつになり、世界の恒久的な平和を心から求めていかなければならないと思いました。

テザック労働組合 鈴木 健

今回、平和行動に初めて参加させていただき、これまで、どこか当たり前に隣で行われているような、また直視することを無意識に避けていたような、そんな平和への活動に触れる機会をいただけたことに感謝するとともに、これまでの自分の向き合い方を顧みる良い機会となりました。

初日にはピース・ウォークで平和記念公園内の慰霊碑をめぐり、各ポイントで連合広島の青年・女性委員の方々からのガイドをいただきました。最初は、修学旅行以来で訪れた平和公園内の雰囲気にただただ飲み込まれていましたが、進むにつれ、原爆被害の悲惨さと、それに向き合ってこられた市民の皆様の思いを痛切に感じ、胸が苦しくなりました。

特に印象に残っているのは、平和記念資料館下の、原爆死没者慰霊碑と平和の灯、原爆ドームが一直線に見える場所で、「この公園の下に当時の市民の生活が眠っている」という説明を受けたことです。今では立派に繁栄している広島と、その下に眠る悲惨な過去が共存しているということを再認識させられるフレーズでした。

ピース・ウォーク 平和記念公園
ピース・ウォーク/平和記念公園

その後、広島市文化交流会館で開催された、「連合2016平和ヒロシマ集会」に参加し、国際労働組合総連合 ディアロ局長のメッセージのほか、高校生平和大使による活動報告、被爆体験者の坪井理事長による原爆投下当時のお話を聞きました。

高校生平和大使の皆さんの積極的な活動に感銘を受け、その背景には身近な人から伝えられ、受け継がれた平和への強い願いがあることが感じられました。また、坪井氏の被爆体験証言からは、当時のどうしようもない非情な状況が生々しく語られ、伝え続けなければならない、という強い意志も感じました。

2日目には、広島市原爆死没者慰霊式と平和祈念式に参列しました。普段はテレビの向こう側にあった場所に立っていることに不思議な感覚を覚えたことを記憶しています。

近くのモニター付近での参列でしたが、日常にはない雰囲気に包まれる中、参加者全員で黙とうを捧げました。

平和記念式 平和記念式
平和記念式

この2日間で改めて平和について考え、平和を願う行動の大切さを実感しました。また、少しでも多くの方にこのような機会に触れていただき、感じていただけることを祈ります。

最後に、酷暑の中、慰霊碑のガイドをしていただいた連合広島の方をはじめ、準備・運営に携われた多くの方々に感謝します。

テザック労働組合 井隈 政弘

私自身初めての平和行動でしたが、原爆被爆国と言う事以外は意外と知らない事が多いのだな~と率直に感じました。

一部になりますが、私が特に印象に残った事で、原爆の子の像があります。白血病の為12歳の若さで亡くなった被爆少女、佐々木貞子(ささきさだこ)さんの死を悼んで、全国の少年少女たちの募金で建立されました。生きる願いを託して折り続けた千羽鶴がモチーフになっていて、千羽鶴の塔や折り鶴の塔とも呼ばれているとの事でした。

像の説明では側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴していて、正面のV字のデザインは平和な空を鳥が飛んでいる姿を表現しているなどボランティアの方からの説明が有りました。

原爆の子の像 原爆ドーム
原爆の子の像/原爆ドーム

夕方から広島市文化交流会館で開催された、連合2016平和ヒロシマ集会では、被爆者の原爆投下当時の話を聞きましたが、実際に話を聞くと原爆が正に非人道的兵器と言う意味が伝わってきました。その後第18代高校生平和大使によるスイス派遣報告が有りましたが、非常にハキハキとテンポ良く報告してくれたので、非常に判りやすかったです。

その後の第19代高校生平和大使3名の紹介が有ったのですが3名共自分の目的をしっかり持っている方達で非常に頼もしい印象を受けました。

連合2016平和ヒロシマ集会 連合2016平和ヒロシマ集会
連合2016平和ヒロシマ集会

2日目の朝は、広島市原爆死没者慰霊式と平和祈念式が8時より始まり、非常に参列者が多かったので国立広島原爆死没者平和祈念館の近くのモニターで参加し、8時15分に参加者全員で黙とうをささげました。

最後に、非常に熱い2日間では有りましたが今は当たり前の平和の大事さ、そして原爆の悲惨さを知った事でこの二日間の平和行動が意義の有るものになりました。

集合写真

2016/7/7 木曜日

連合「2016平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:40:39

連合泉州地区協議会 副議長(泉大津市労働組合連合会)大原 隆幸

沖縄にとって特別な日である6月23日から二日間にわたって開催された平和行動in沖縄に、大阪南地域協議会として松本、大原の2名で参加してきた。連合大阪全体では18名の参加であった。

6月23日、戦後71年の「慰霊の日」を迎え、平和記念公園において沖縄全戦没者追悼式が執り行われた。我々は、その後に那覇市民会館大ホールで開催された平和オキナワ集会に出席した。集会の第1部、沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原真由美さんからの語りは、三線、踊り、一人芝居など我々の心に激しく訴えかけてくる内容で、沖縄地上戦の激しさや対馬丸事件の悲惨さを感じることができた。第2部の平和式典では、2016平和行動in沖縄に結集した全員で、沖縄戦の実相と悲惨さ、平和の尊さを学び、今後も粘り強く平和行動を推進することを誓い合い確認した。

平和オキナワ集会 平和オキナワ集会
平和オキナワ集会

二日目の6月24日は、連合沖縄青年委員会によるピースガイドを先導によるピースフィールドワークに参加した。

ひめゆりの塔では、ひめゆり平和祈念資料館を訪れ学びました。当時入学するのも、村より1名程度と難関であり、将来を担う優秀な女子学生である沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校のより編成されたひめゆり学徒の凄惨な最期は心が痛みました。特に、米軍が間近に迫った1945年6月18日夜に出された「解散命令」により、戦場に放り出されることになったひめゆり学徒は、数日間の間に100余名の戦死者を出すことになりますが、その中、奇跡的に生き残られた生存者の方々の証言映像はあまりにも生々しく本当に怖かった。

その後、魂魄の塔で献花を行ったのち、糸数アブチラガマで平和学習を行った。アブチラガマは、沖縄本島南部にある全長270メートルの自然洞窟(ガマ)である。沖縄戦時、この自然洞窟には住民避難場所として使用され、また戦場が南下するにつれて陸軍病院の分室として重症患者が運び込まれたのである。ガマの中には、懐中電灯、軍手にヘルメットを装備して入った。遺物などが当時のまま残されている所もあり、爆風で一斗缶が天井に張り付いたままの場所もあった。中は天井の低いところも多く、全体的に足元も滑りやすい。また、明かりはないので、懐中電灯の明かりを消すと真っ暗になる。この闇が非常に怖い。当時は、ローソクの明かりのみで、暗くてジメジメしており、遺体の腐った臭いや汚物の臭い、蛆や膿みでむせるような臭気、重症患者のうめき声などがこだまし、極めて劣悪な環境であったようである。我々は見学で数十分程度いただけであるが、地上に上がった時の太陽を見た瞬間の解放感で、できれば二度と入りたくないと思わされた。

ひめゆりの塔 魂魄の塔で献花
ひめゆりの塔/魂魄の塔で献花

そして、平和祈念公園と資料館を見学した後、沖縄県庁前で集会し、国際通りから牧志公園までデモ行進を行い、2016平和行動in沖縄を終えた。

沖縄では戦争体験者が少なくなる中、今もなお沖縄県内には大量の不発弾が残されており爆発事故が後を絶たない。手榴弾などは、さびついてひび割れた状態で、住民の目に触れる場所にむき出しでさらされているものもあり、日常、身近な危険にさらされ続けている。加えて、広大な米軍基地の重圧を強いられ続けている沖縄県民の現状を考えるとき、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、もう一度、考え直してみたいと思いました。

連合泉州地区協議会 副議長(関西電力労組岸和田支部)松本 徳洋

初めて平和行動に参加させていただきました。

沖縄は梅雨明けしており、日差しは強いですが気持ち良い晴天でありました。

1日目は平和オキナワ集会がありました。沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さまより、老人に扮し沖縄戦の状況を語ってくれました。2度と過ちを起こさないよう恒久平和の実現に向けて次世代に継承していくことが重要であると感じました。

沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さん 沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さん
沖縄カリスマスーパーバスガイド崎原さん

2日目はピースフィールドワーク、3つのコースに分かれ連合沖縄青年委員にガイドをして頂き戦跡に学んできました。

ひめゆりの塔では、ひめゆり学徒隊が献身的に看護活動にあたっていた中、戦争が激化してくると集団自決を余儀なくされ、また、糸数アブチラガマでは真っ暗闇の中、水滴の音だけが聞こえ死んでいく恐怖を体験し改めて戦争の悲惨さを感じました。

17時より県庁前で「在日米軍基地の整理・縮小!」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める集会とデモ行進を行いました。

3日目は連合大阪の企画として、対馬丸記念館・佐喜間美術館・首里城を見学しました。

対馬丸記念館では子供たちが疎開のため親と別れ、生きていれば楽しいこともあると信じ船に乗ったことでしょう。しかし、米軍のミサイルにやられ何の罪もない子供たちが海に沈められました。

また、佐喜間美術館の屋上より普天間基地を見ました。非常に土地が広いことにびっくりしました。しかも、沖縄面積の半分ほどが米軍基地であること、基地が日本全体の74%が沖縄に占めているのだと教えてもらい改めて整理・縮小が求められると感じました。

佐喜間美術館の屋上 市街地を飛ぶ航空機
佐喜間美術館の屋上/市街地を飛ぶ航空機

今年5月またしても米兵による女性殺害事件が起きました。「米軍基地がある限り、このような事件は繰り返される。沖縄県民にとってまだ戦争は終わっていない」という話を聞き、日米地位協定の抜本的見直しが必要である。日米政府が真剣に取り組むべき課題であると感じました。

この3日間、沖縄戦について様々なことを学ばせていただきました。2度と戦争をおこさないよう私たちの世代が実体験の話を聞き、次世代へ伝えていく。そして国民一人ひとりが戦争について学ぶことで平和な時代が続くと信じ、今後も爽やかな晴天が続きますよう祈りながら沖縄の地を離れました。

次のページ »