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2016/7/7 木曜日

連合「2016平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:40:39

連合泉州地区協議会 副議長(泉大津市労働組合連合会)大原 隆幸

沖縄にとって特別な日である6月23日から二日間にわたって開催された平和行動in沖縄に、大阪南地域協議会として松本、大原の2名で参加してきた。連合大阪全体では18名の参加であった。

6月23日、戦後71年の「慰霊の日」を迎え、平和記念公園において沖縄全戦没者追悼式が執り行われた。我々は、その後に那覇市民会館大ホールで開催された平和オキナワ集会に出席した。集会の第1部、沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原真由美さんからの語りは、三線、踊り、一人芝居など我々の心に激しく訴えかけてくる内容で、沖縄地上戦の激しさや対馬丸事件の悲惨さを感じることができた。第2部の平和式典では、2016平和行動in沖縄に結集した全員で、沖縄戦の実相と悲惨さ、平和の尊さを学び、今後も粘り強く平和行動を推進することを誓い合い確認した。

平和オキナワ集会 平和オキナワ集会
平和オキナワ集会

二日目の6月24日は、連合沖縄青年委員会によるピースガイドを先導によるピースフィールドワークに参加した。

ひめゆりの塔では、ひめゆり平和祈念資料館を訪れ学びました。当時入学するのも、村より1名程度と難関であり、将来を担う優秀な女子学生である沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校のより編成されたひめゆり学徒の凄惨な最期は心が痛みました。特に、米軍が間近に迫った1945年6月18日夜に出された「解散命令」により、戦場に放り出されることになったひめゆり学徒は、数日間の間に100余名の戦死者を出すことになりますが、その中、奇跡的に生き残られた生存者の方々の証言映像はあまりにも生々しく本当に怖かった。

その後、魂魄の塔で献花を行ったのち、糸数アブチラガマで平和学習を行った。アブチラガマは、沖縄本島南部にある全長270メートルの自然洞窟(ガマ)である。沖縄戦時、この自然洞窟には住民避難場所として使用され、また戦場が南下するにつれて陸軍病院の分室として重症患者が運び込まれたのである。ガマの中には、懐中電灯、軍手にヘルメットを装備して入った。遺物などが当時のまま残されている所もあり、爆風で一斗缶が天井に張り付いたままの場所もあった。中は天井の低いところも多く、全体的に足元も滑りやすい。また、明かりはないので、懐中電灯の明かりを消すと真っ暗になる。この闇が非常に怖い。当時は、ローソクの明かりのみで、暗くてジメジメしており、遺体の腐った臭いや汚物の臭い、蛆や膿みでむせるような臭気、重症患者のうめき声などがこだまし、極めて劣悪な環境であったようである。我々は見学で数十分程度いただけであるが、地上に上がった時の太陽を見た瞬間の解放感で、できれば二度と入りたくないと思わされた。

ひめゆりの塔 魂魄の塔で献花
ひめゆりの塔/魂魄の塔で献花

そして、平和祈念公園と資料館を見学した後、沖縄県庁前で集会し、国際通りから牧志公園までデモ行進を行い、2016平和行動in沖縄を終えた。

沖縄では戦争体験者が少なくなる中、今もなお沖縄県内には大量の不発弾が残されており爆発事故が後を絶たない。手榴弾などは、さびついてひび割れた状態で、住民の目に触れる場所にむき出しでさらされているものもあり、日常、身近な危険にさらされ続けている。加えて、広大な米軍基地の重圧を強いられ続けている沖縄県民の現状を考えるとき、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、もう一度、考え直してみたいと思いました。

連合泉州地区協議会 副議長(関西電力労組岸和田支部)松本 徳洋

初めて平和行動に参加させていただきました。

沖縄は梅雨明けしており、日差しは強いですが気持ち良い晴天でありました。

1日目は平和オキナワ集会がありました。沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さまより、老人に扮し沖縄戦の状況を語ってくれました。2度と過ちを起こさないよう恒久平和の実現に向けて次世代に継承していくことが重要であると感じました。

沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さん 沖縄カリスマスーパーバスガイドの崎原さん
沖縄カリスマスーパーバスガイド崎原さん

2日目はピースフィールドワーク、3つのコースに分かれ連合沖縄青年委員にガイドをして頂き戦跡に学んできました。

ひめゆりの塔では、ひめゆり学徒隊が献身的に看護活動にあたっていた中、戦争が激化してくると集団自決を余儀なくされ、また、糸数アブチラガマでは真っ暗闇の中、水滴の音だけが聞こえ死んでいく恐怖を体験し改めて戦争の悲惨さを感じました。

17時より県庁前で「在日米軍基地の整理・縮小!」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める集会とデモ行進を行いました。

3日目は連合大阪の企画として、対馬丸記念館・佐喜間美術館・首里城を見学しました。

対馬丸記念館では子供たちが疎開のため親と別れ、生きていれば楽しいこともあると信じ船に乗ったことでしょう。しかし、米軍のミサイルにやられ何の罪もない子供たちが海に沈められました。

また、佐喜間美術館の屋上より普天間基地を見ました。非常に土地が広いことにびっくりしました。しかも、沖縄面積の半分ほどが米軍基地であること、基地が日本全体の74%が沖縄に占めているのだと教えてもらい改めて整理・縮小が求められると感じました。

佐喜間美術館の屋上 市街地を飛ぶ航空機
佐喜間美術館の屋上/市街地を飛ぶ航空機

今年5月またしても米兵による女性殺害事件が起きました。「米軍基地がある限り、このような事件は繰り返される。沖縄県民にとってまだ戦争は終わっていない」という話を聞き、日米地位協定の抜本的見直しが必要である。日米政府が真剣に取り組むべき課題であると感じました。

この3日間、沖縄戦について様々なことを学ばせていただきました。2度と戦争をおこさないよう私たちの世代が実体験の話を聞き、次世代へ伝えていく。そして国民一人ひとりが戦争について学ぶことで平和な時代が続くと信じ、今後も爽やかな晴天が続きますよう祈りながら沖縄の地を離れました。

2014/7/9 水曜日

連合「2014平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 16:30:59

連合堺地区協議会 議長代行 川井 勇二

  • 日程:2014年6月23日(月)~6月25日(水)
  • 場所:那覇市、南城市、糸満市
  • 参加者:連合堺地区協議会 川井議長代行、豊岡副議長

1日目(6月23日)

12:30 オリエンテーリング・事前学習
15:00 平和オキナワ集会 (1432名出席)

基調講演 「抑止力」と沖縄の未来

講師:柳澤 協二 氏

主催者あいさつ:連合 神津事務局長

地元歓迎あいさつ:連合沖縄 大城会長

平和メッセージ:連合北海道 安田副会長

ピースリレー:連合広島 平上事務局長

平和アピール:連合沖縄女性委員会 上原さん

17:30 平和交流会
平和オキナワ集会

2日目(6月24日)

9:00 ピースフィールドワーク 3班に分かれて戦跡を学ぶ
10:00 糸数アブチラガマ(南城市)

ガマ・・・洞窟やくぼみの方言。

日本軍の陣地壕や倉庫に使用され、戦場が南下するにつれ陸軍病院となった。全長270mの洞窟に600人以上の負傷兵で埋め尽くした。米軍の攻勢が激しくなった病院を撤退したあとも住民と日本兵、負傷兵の雑居状態になった。

11:30 ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)

女学生によって編成された看護部隊「ひめゆり学徒隊」。日本軍とともに行動し、看護活動にあたった。

13:30 魂魄(こんぱく)の塔(糸満市)

沖縄戦の後、住民の手で建てられた最初の慰霊塔。戦後は、米軍に遺骨収集を許可されなかったが、当時の村長が米軍との交渉で、許可を得、住民による遺骨収集が始まった。約35000体が集められ、周囲を石積みで整備し、骨塚とした。

15:00 平和祈念公園・資料館(糸満市)

沖縄復帰記念事業として沖縄戦跡国定公園として整備。

毎年、6月23日「慰霊の日」に慰霊祭が催される。

17:00 「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動・デモ行進(国際通り)
魂魄の塔 ひめゆりの塔
魂魄の塔/ひめゆりの塔
デモ行進
デモ行進

3日目(6月25日)

9:00 対馬丸記念館

1944年8月22日、学童集団疎開の子供たち826人を含む約1600人を乗せた対馬丸は米潜水艦に魚雷攻撃され、10分で沈没し、救助されたのは、59人。

10:40 佐喜間美術館
12:30 首里城

琉球王国の居城として、王国の政治・外交・文化の中心的役割。戦時中は、地下に軍司令部が置かれた、

沖縄戦とは

1944/10/10

沖縄各地に空襲、旧那覇市街地90%消失

1945/ 3/23

米艦隊、沖縄本島攻撃。

3/26

米軍慶良間諸島上陸、31日に占領。

4/1

米軍、北谷と読谷に上陸。その後、沖縄を南北に分断し、日本軍司令部は南部へ撤退。

5/31

米軍、首里城地下の沖縄守備軍司令部を占領。

6/23

司令官牛島中将が自決。組織的戦闘が終結。

6/24

米軍、掃討戦を開始。

7/2

米軍、沖縄戦終了を宣言。
(沖縄戦戦没者)
米軍 12,520人
日本軍 94,136人
住民 94,000人

所感

戦争のない平和な社会を実現させることは、重要な運動としてかかわってきました。

戦争の悲惨さを分かっていたつもりではいましたが、今回、沖縄の平和行動に参加して、沖縄の置かれてきた状況を少し勉強することができ、あらためて、戦争の悲惨さを実感することができました。

戦争の空襲も恐怖にさらされることになりますが、沖縄は、太平洋戦争で、地上戦になったところであり、数多くの住民が巻き込まれることになりました。子供や女学生、女性、お年寄りも多くの犠牲者が出たということをあらためて勉強し、人として生活するには、戦争のない社会にしていくことがとても大切と感じました。

沖縄には、まだまだ戦争の傷跡が多く残っていること、在日米軍基地の問題などもありますが、戦争を風化させずにみんなで、考えることが平和につながると思いました。

2013/7/9 火曜日

連合「2013平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 20:04:38

連合泉州地区協議会 副議長 反保 壽夫

6月23日から6月25日に沖縄県で行われた2013「平和行動 in 沖縄」に、泉州地区協議会の石井副議長、大阪南地域協議会の大林さんと参加しました。

1日目

1日目は、ホテルでの結団式とオリエンテーションの後、平和オキナワ集会が那覇市民会館大ホールで行われました。第一部で基調講演として「在沖縄米軍基地と構造的差別」と題した講演が佐藤優氏より行われました。第二部は平和式典が行われました。

6月23日は、1974年に制定された沖縄県の条例により、戦争による惨禍が再び起こることのないよう人類普遍の願いである恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めるため「慰霊の日」と定められています。沖縄県が抱える問題をはじめ、日本における米軍基地問題、さらには日本の安全保障について、改めて国民的課題として認識をしていかなければならないと思いました。集会終了後は、沖縄ハーバービューホテル・クラウンプラザで平和交流会が行われ交流を深めました。

平和オキナワ集会
平和オキナワ集会

2日目

2日目はピース・フィールドワークで沖縄青年委員会の方々に案内していただき、糸数アブチラガマ→ひめゆりの塔(資料館)→魂魄の塔(資料館)→平和祈念公園と見学を行いました。

南城市にある糸数アブチラガマ。(アブとは深い洞穴。チラとは崖のことでガマとは沖縄方言で洞窟やくぼみのことをいいます。)沖縄本島中南部はほとんどが隆起サンゴ礁でできており、十万年にわたる雨の浸食によってできた自然の洞窟が各地にあります。沖縄戦ではこの自然の洞窟が住民の避難場所となりましたが、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用されました。戦争が激しくなるとガマは軍民同居のかたちとなって攻撃の的となり多くの命が失われたそうです。

ひめゆりの塔・資料館の第4展示室では沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒と教師の227名の遺影が壁面にかけられていました。一人一人の遺影を見ているうちに涙が自然に溢れてきました。戦争を知らない世代が過半数を超え、まだ紛争の絶えない国際情勢を思うにつけ、平和であることの大切さを訴え続けていくことが大切だと感じました。

ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館

平和祈念公園では沖縄戦で亡くなった日米双方の名前が書かれた平和の礎の説明を受けました。名前の書かれた礎を見て戦争の悲惨さ、平和の尊さ、命の大切さを感じました。

その後、夕方県庁前に移動し「在日米軍基地の整理縮小と日米地協定の抜本的見直しを求める行動」の集会のあと県庁前→国際通り→牧志公園までデモ行進をし2日目を終えました。

平和の礎
平和の礎

3日目

3日目は連合大阪単独の行動で対馬丸記念館と佐喜眞美術館、首里城を見学しました。

昭和19年、戦争の足音が近付いていると老・幼・婦女子は県外へ疎開するように指示されました。対馬丸は8月22日夜10時過ぎ米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により海に沈められてしまいます。乗船者1,788名のうち約8割の人々が海底へと消えてしまいました。もっとも大切なものは命なのです。その命は自分の命であり隣人の命なのです。命の大切さを感じました。

佐喜眞美術館は米軍普天間基地内の一部返還された場所にあります。常設展示されている絵に「沖縄戦の図」があります。これは沖縄戦を体験された多くの人がモデルになっており、沖縄戦の悲惨さが伝わる迫力のある絵です。美術館の屋上からは米軍の戦闘機、ヘリコプターが訓練を繰り返す様子が見られます。

首里城は14世紀に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城です。沖縄戦で焼失したが1992年11月3日に復元された城です。

この3日間で感じたことは、戦争とは何も生みださない残るものは虚しさだけであると言うこと。

戦争が人知の及ばぬ自然現象ではなく人の心から発するものならば、世界の人が心を一つにすれば平和は夢ではなく実現するはずだと思います。終戦から68年を迎える中で沖縄の悲劇を決して忘れてはいけない戦争の悲惨さを後世に伝えていかなければならないと感じました。

3日間、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

連合泉州地区協議会 副議長 石井 貴伸

2013年6月23日(日)~25日(火)【2013平和行動 in 沖縄】に参加してきました。当日、大阪は今にも雨が降り出しそうな天候でしたが、沖縄に到着し飛行機を降りた瞬間から、梅雨明けをした夏本番の沖縄を体感することとなりました。

平和行動自体参加することは初めてですが、沖縄には5回ほど訪れています。恩納村を中心とした北部地域メインの観光旅行でした。今回は事前学習し行動目的は理解していたものの、空港を降りた瞬間は、やはり「リゾート地・沖縄に着いた!」という事が正直な感想でした。

初日はDVDでの平和行動記録放映、那覇市民会館で行われた「平和オキナワ集会」に参加してきました。第1部の基調講演では、佐藤優氏の母の実体験から感じた沖縄戦争の悲惨さ、沖縄在住者の方々の思いを痛感し、第2部の平和式典では、現状沖縄が抱えている大きな問題において、生の声を聞く事が出きました。

DVD平和行動記録放映
DVD平和行動記録放映

2日目の「ピース・フィールドワーク」では、主に南部戦地跡を中心に自分の目で体感することができました。先日の平和集会以降、自分の中で変わりつつあった沖縄戦争のイメージがはっきりと1つの線でつながり、衝撃を超えたものとなりました。特に「糸数壕」では、ほぼ当時の状態で残されており、人々の苦しさを身をもって感じることができました。ピースガイドの2名の方々は、20代前半と若く、初のガイドと言う事で緊張されていたかも知れません。しかし、「沖縄戦争を今後風化させることなく、次世代に引き継いでいくことが私たちの仕事!」と力強く語った言葉に感銘をうけました。

糸数アブチラガマ
糸数アブチラガマ

県庁前県民広場での集会、県庁前~牧志公園までのデモ行進においても、国際通りで働く沖縄の方々から温かい声をかけられたり、沿道から手を振っていただいたりと沖縄の方々にとって何よりも大切で忘れてはいけない「6.23」であることがしっかりと伝わりました。

デモ行進
デモ行進

3日目は、連合大阪単独で引き続き研修行動を行いました。3日間を通じて、今当たり前のように過ごしている平和な社会の過去に起きた戦争の実相と悲惨さ、何よりも苦しめられた米軍の基地が沖縄県に駐在している事の悲しみ、そんな中で今の沖縄をつくりあげた沖縄の方々の強さ、文章では書ききれないくらいの経験と体験をさせていただきました。

最後に今回一緒に行動させていただいた参加者のみなさん、本当にありがとうございました。また、機会あれば参加させていただきたいと思います。

連合大阪大阪南地域協議会 大林 妙子

降り立った沖縄はとても強い日差しでした。68年前もこんな暑さだったのかと想像しながら、「平和オキナワ集会」が開催される那覇市民会館へと向かいました。

集会では最初に佐藤優氏による基調講演「在沖縄米軍基地と構造的差別」があり、続いて平和式典が執り行われました。どの平和行動もそうですが、全国からたくさんの連合の仲間が集まっているのを見ると、組織だからこそ出来る行動の力強さを感じます。

翌日は朝から「ピース・フィールドワーク」へ参加し、糸数アブチラガマ,ひめゆりの塔,魂魄之塔,平和祈念公園の順にピースガイドの説明を受けながら回りました。

なかでも印象に残ったアブチラガマは、本当に暗く、恐ろしく、一人で入れと言われたら逃げ出したくなるような深い洞窟でした。そんな場所へ安全を求めて何百という人々が逃れ、暗闇で生き、或いは命を落としたのです。

希望を奪う闇の中、遺体が置かれていたという空間の前に立ち、私は自分の命の重さを痛みと共に感じていました。

最終日は、多くの児童を乗せたまま魚雷に沈められた疎開船「対馬丸」の記念館を見学しました。子ども達を親元から引き離し、結果的に死なせてしまった“疎開”という政策。純粋な避難行動の様にも思えますが、これも間違いなく戦争被害の一部です。

「沈んでしまった船体を引き揚げるのが困難なので代わりに記念館を建てた」とのことですが、今でも遺骨・遺品の収集を願う家族の気持ちを思うとやりきれません。

対馬丸記念館
対馬丸記念館

行動の終わりに訪れた佐喜眞美術館では、丸木位里・俊が描いた『沖縄戦の図』と、屋上から見える普天間基地の前でそれぞれ美術館の方からお話しを伺うことが出来ました。

「本土の人が思い浮かべる“戦争”と、地上戦を体験した沖縄の人の“戦争”は違う。空襲を受けることだけが戦争ではない。」「基地が少なくなる期待から日本返還を喜んだのに、ひとつも無くなっていない。沖縄はまだ完全に日本になっていない。」という言葉が強く印象に残っています。

現地の方の感覚通り、沖縄という地は今もなお変動を強いられています。何事もまだ過去ではありません。私たちは何度でも訪れ、また学ばなければなりません。

佐喜眞美術館
佐喜眞美術館

戦争とは、人から人であることを奪います。捕虜になり、生き残った人のほとんどが「死にたかったけれど死ねなかった。」と語る事実。“生きる”ことを恥ずかしいと思わせる残酷な思想や教育。そんな中にいて、当時の人が戦争を批判出来たはずもありません。

ですが、今の私たちにはその行為の愚かさを学び、忘れず、繰り返さないことが出来ます。国籍や言葉や宗教の違いを認め合える知識と心があります。

私はこの平和行動で、自分の命がとても愛おしく思えました。

集合写真
集合写真