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2018/8/22 水曜日

連合「2018平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 15:21:46

泉州地区協議会 幹事兼会計監査(ダイベア労働組合) 北野 善彦

2018平和行動in長崎に、単組としては3名、個人としては今回で2度目の出席となりました。連日の猛暑は僅かながら和らぎ、8月らしい気候の中で、8月8日平和ナガサキ集会(参加3360名)、8月9日被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、ピースウォーク、万灯流しなどの行事に参加させて頂きました。それぞれの行事の内容ではなく、その時に感じたこと、得たことを報告させて頂きたいと思います。

ダイベア労組からの参加者
ダイベア労組からの参加者

2018年のノーベル平和賞に、長年に渡り署名や国連での訴えなどの活動を行っている「高校生平和大使」が候補として選出されました。ある高校生平和大使の方が、SNSを通じて「8・9が持つ意味」を訴えられています。2020年に開催される東京五輪の閉会式が、8月9日に予定されており、その方は2020年に東京の地で、自身の経験や活動を発信したいと仰っていました。東京オリンピック・パラリンピックが、スポーツだけでなく、平和の祭典として成功することを祈ります。

被爆から73年、自身の経験を伝える「語り部」の方が高齢化し、語り継ぐ活動が衰退しつつあります。家族や友人の死、忘れ去りたい悲惨な光景を伝えるという使命感は、並大抵な覚悟がなければできない活動です。その体験を後世に伝えるべくピースウォークでは、地元の青年協議会の皆さんが主体となり、語り部として活動されています。地元の方だけでなく、他都道府県の仲間が語り部となり、家族や友人知人、職場の仲間に伝えていく活動も重要ではないかと考えています。

核兵器の驚異は、今もなお我々の身近にあります。ここ数年、核兵器による人類の絶滅を時計になぞらえた「世界終末時計」が0時に近づいています。長崎への原爆投下以来、使用されることはないものの、多額の資金が注ぎ込まれ、小型化の開発が進むなど、その驚異は年々増しているとも言われています。

日本で生まれ、暮らし、働く我々にとって、「無関心」でも「無関係」でもあってはならないこと、そして我々は「ビリョク」ではあっても「ムリョク」ではないことを、強く感じた行動になりました。

常日頃から平和の尊さを感じながら生活しているとは言えませんが、「8・6」「8・9」の前後には何らかの形で平和について考えることを心がけていきたいと思います。

平和行動で共に行動した12名の連合大阪仲間の皆さんには、大変お世話になりました。

想いを込めた万灯 万灯流し
想いを込めた万灯/万灯流し

 

ダイベア労働組合 肥後 希生

2018 平和行動in長崎に参加し、唯一の被爆国であり、語り手が居なくなっていく中、戦争を知らない世代といわれる僕らの世代が後世や世界に、如何に戦争の恐ろしさ、非道さを伝えていけるかを考えました。

僕は沖縄平和行進に参加した事がありますが、その時感じたことは、若い世代の県民達の興味の無さでした。年配の方や子供がいる世代の人たちは、孫や子供、未来のことを考え参加されていました。しかし、若い世代の人たちは、在日米軍による事件がおきているにも関わらず、どこか他人事であり、実感がないようでした。

ですが、平和ナガサキ集会では爆撃された事実があり、その事実を伝えていこうとする意思が感じられました。

語り手、深堀さんの家族を失った当時の話など、思い出すのも辛いであろう経験談を、核の恐ろしさを伝える為大勢の参加者の前で話してくれました。

またその後を継ぎ、戦争を知らない世代でありながら、唯一の被爆国として世界に、非核を訴えるナガサキ・ユース代表団の方や高校生平和大使の方たちの熱い思いを聞きました。

「ビリョクだけどムリョクじゃない!」凄い言葉だと思いました。

僕も微力ながら、2018 平和行動in長崎に参加し、感じた戦争の恐ろしさや、学んだことを伝えていきます。

ピースウォーク ピースウォーク
ピースウォーク

ダイベア労働組合 松山 翔哉

私はこの度初めて平和行動に参加させていただきました。

8月8日の平和ナガサキ集会では、3,000名以上の参加と緊張感の雰囲気の中各来賓の挨拶があり、連合長崎会長宮﨑さんの言葉が印象に残っております。

73年前に投下された一発の原子爆弾により7万を超える方々が亡くなり、多くの人々に苦しみと悲しみをもたらしました。その一人一人には人生があり、未来があり、家族があり、希望があったと述べられておりました。

今ある平和の毎日を送り続けるには、やはり核兵器を廃絶する事が必要だと感じました。

また、被爆者の訴えでは深堀さん88歳から当時の話をお聞きしました。原爆投下から73年たった今でも忘れられない記憶として焼き付いていて家族が目の前で亡くなられたと聞き、二度と繰り返してはならないと強く思いました。高校生平和大使の方は高校生一万人署名活動を行い国連欧州本部に提出し、核兵器廃絶と訴えるスピーチを行うと聞きました。「ビリョクだけどムリョクじゃない」と言うフレーズが印象的でした。

8月9日は被爆73年長崎犠牲者慰霊平和祈念式典、ピースウォーク、万灯流しが行われ、被爆落下中心地牌や、平和な泉、松山町防空壕群を回りました。

特にピースウォーク内の平和な泉は原爆の熱線に焼かれた人が水さえも飲めずに生き絶えた人々の冥福を祈り、核禁会議の呼びかけによる国民カンパで建設し寄付したと知りました。その牌文には、ある日のある少女の手紙からの文章の一節が刻まれておりました。

「のどが乾いてたまりませんでした。水には油のようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとう油の浮いたまま飲みました」

この文章から当時の悲惨な情景が浮かびました。連合長崎の方々は暑い中、記念碑等の説明をしてくださり、スムーズに周る事が出来ました。

夜には、亡くなられた方に弔いの意を込めて、それぞれの思いを灯籠に書いて流しました。万灯流しは、参加する前から気になっていた内容だった為、貴重な体験が出来てよかったです。

8月10日はグラバー園、大浦天主堂を駆け足で周りました。この三日間の平和行動で、二度と広島や長崎のようにならない為にも、今回感じた事を職場や家族、友人に伝えて行く事が自分に出来る事だと思いました。

集合写真
集合写真

 

2017/9/7 木曜日

連合「2017平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 12:34:07

泉南地区協議会 事務局長(岬町職員組合) 小川 正純

8月8日から10日までの3日間、大阪南からは、泉南地区松尾事務局次長と2名で2017平和行動in長崎に参加しました。

第1日目は、連合2017平和ナガサキ集会(長崎県立総合体育館にて)に参加しました。

主催者あいさつ、被害者からの訴えを聞いたあと、高校生平和大使によるメッセージが披露されました。高校生による「微力だけど無力じゃない」というメッセージ。初めて聞いた言葉に心が熱くなり、若者たちの平和への願いに対する思いと、これまで次世代にしっかりと伝えてきた方々の熱い思いを実感しました。

集合写真 被害者からの訴え
集合写真/被害者からの訴え

2日目は、午前に被爆72周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。式典は、会場である平和公園の平和祈念像前において、原爆死没者の遺族をはじめ、多くの市民や各団体の参加のもと挙行されました。高校生の進行により式典は始まり、原爆が投下された11時02分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷を行いました。

また長崎市長による長崎平和宣言は、日本政府に対し核兵器禁止条約の交渉会議に参加しない姿勢を強く非難し、唯一の被爆国として政策の見直し求める内容が盛り込まれ、今尚国と平和を望む私たちとの間に隔たりがあることを印象付けました。

式典会場入口 祈念式典
式典会場入口/祈念式典

昼食の後、地元連合長崎の皆様のご協力を得て、ピースウォークに参加しました。

「原始爆弾落下中心地碑」から説明を聞き、「浦上天主堂の遺壁」では、爆風による礎石部分のズレを見て、爆風の衝撃の凄まじさを実感しました。また、被爆者が水を求め苦しみ、亡くなっていった人々の癒すためにつくられたと言われる「平和の泉」を見学しました。被爆による惨劇の様子聞くとともに、平和の泉に向かい恒久平和の実現を祈りました。

浦上天主堂の遺壁 平和の泉
浦上天主堂の遺壁/平和の泉         平和の泉

3日目は、世界遺産である「軍艦島」オプションツアーに参加しました。当日は波が高く、上陸は叶いませんでしたが、船上から島全体を見ることができました。廃墟と化した島の工場跡地は、1869年端島に着手して1974年に閉山され無人になるまで続いた海底炭鉱で、作業は、常にガス爆発等の事故と隣り合わせの厳しい労働環境であった説明を聞きました。炭鉱の最盛時には5,300人が暮らす日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅の様子を写真や資料を基に解説いただきました。

今回、平和行動を通して初めて長崎の地に訪れることができました。被爆から72年を向かえ、被爆者の方々もご高齢になっています。私たちが次代へ伝える使命感を改めて感じることが出来た、大変貴重な経験でした。ありがとうございました。

泉南地区協議会 事務局次長(JP労組泉州北支部) 松尾 滋行

8月8日から10日行われた長崎平和行動に参加してきました。出発日は、伊丹空港8時30分集合で、泉南地区からの参加は、移動に時間がかかり朝早くの集合は辛いものでした。

長崎では、到着から少し時間があり眼鏡橋を見学し、連合2017平和ナガサキ集会に参加しました。被爆地といえば広島が第一に挙げられますが、今回の平和行動で改めて長崎も被爆地として大変な被害と復興の歴史を学ぶことができました。

しかし被爆体験者の高齢化が進みその体験を生の声として後世に伝える事が難しくなっている実態に戦後72年の長さを感じ、労働組合がなぜ、反戦平和の運動を支援し積極的に参加しなければならないのか、今新たな核の脅威がアジアに広がりつつある中一人一人が今何ができるのかを考えされました。

そんな中、戦争に無関心な若者が多い中高校生平和大使の活動を今回知り、平和への活動を少しでも職場・地域で紹介し広げることが必要だと感じました。

連合2017平和ナガサキ集会 黙祷
連合2017平和ナガサキ集会/黙祷

2日目は平和式典に参加しました。あいにくの空模様の中また、蒸し暑さの中式典スタッフがお絞りやペットボトルの水と参加者に何回も配りに回ってくれました。式典が始まり名簿の奉納・式辞・献水・献花・黙とうの後、長崎市長による平和宣言では日本政府への提言を安倍首相出席の中宣言し、平和への思いが出席者の心を打ちました。

その後安倍首相のあいさつがあり約2時間の式典は終了し、午後のピースウォークに参加しました、平和公園周辺の被爆史跡や防空壕後などボランティアの説明を聞きながら見分を広めることができました、当初予定していた「万灯流し」は、雨のため川が増水し中止になり空いた時間で原爆資料館・片足鳥・外国人墓地を散策しました。

ピースウォーク 集合写真
ピースウォーク/集合写真

3日目は「万灯流し」に参加予定のため帰りの飛行機を夕方にしたため軍艦島・大浦天主堂・グラバー園等見学し大阪への帰途につきました。

今回の平和行動で感じたことを職場に帰り組合員や地域活動に生かし平和の大切さ有難さを伝えていきたいと思います。

2016/8/25 木曜日

連合「2016平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 21:12:45

堺地協議会 副議長(コニカミノルタ労組) 松長 紀雄

8月8日~11日の連合大阪の平和行動in長崎に、事務局2名を含めて10人が参加。

8月8日 15:30~「被爆71年 連合2016平和ナガサキ集会」
@長崎県立総合体育館

①主催者および来賓あいさつ、②被爆者からの訴え、③若者からのメッセージがあり、高校生平和大使の「ビリョクだけどムリョクじゃない!」を合言葉とした活動の報告があり、しっかりとした形で継承されている若者たちの平和の願い、国連へ訴える長崎の若者の熱き思いがしっかりと語られた。④ピースコンサートでは、金子みすゞ、与謝野晶子らの詩に曲を付けてものが歌われた。詩だけではモノクロの活字に過ぎないが、曲が付き歌となると色鮮やかな挿し絵が入った本の様に心に響くものがあった。

最後に集会のテーマソングである「For The Peace Of World 」を全員で合唱した。生々しい歌詞の部分もあるが全体が一致して合唱できた。参加人数は全国からの連合の仲間3,294人ということで、会場はその熱気で空調も効かない程ではあったが、それ以上の内容の充実さに2時間半を長いと感じることもない集会であった。

連合2016平和ナガサキ集会 連合2016平和ナガサキ集会
連合2016平和ナガサキ集会

8月9日10:30~12:00長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」
@長崎市平和公園

司会進行は地元純心女子高3年生の2人。言い間違いなどをすることもなく立派な司会であった。昨日の高校生平和大使と合わせて、地元高校生の熱心さに頭が下がる想いである。翌日の新聞によると「二人とも被爆者である祖父母に被爆体験を聞こうとしたが、『思い出したくない』『つらい』と拒まれた。」とあった。本当につらい想いをし、語りたくない被爆者の気持ちも十分理解できるが、一方で勇気をふり絞り被爆の体験談を語り継ぐことの大変さを思わされた。

各政党党首の献花の際、党による考えの違いはあっても方向は一致して歩んで欲しいと思わされた。53ヵ国の政府代表者が参列したとのことである。諸国の代表、国代表として参列するだけでなく、自国に戻ってこの式典で感じたことを自身の言葉で語って欲しいと思った。参加される国代表が今後も増えることを見守り続けたい。

原爆が投下された11時2分に黙とうがあり、約5,600人の参列者全員で平和への祈りをささげた。

長崎田上市長による「長崎平和宣言」では、核保有国の首脳らに長崎、広島の被爆地を訪れるよう、「核なき世界」を実現するため「英知」を結集する呼び掛けがあった。オバマ大統領の広島訪問について「自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示した」と評価していた。日本政府が、核廃絶を訴えながら米国の「核の傘」に依存する矛盾を指摘し、「非核三原則」の法制化と「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討するよう、行動に移すリーダーシップを発揮するに求められた。被爆者の平均年齢は80歳を超え、「世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が近づいている」と述べ、被爆体験を継承する重要性を指摘した。宣言の後、平和を全世界に届けることを象徴する多くの鳩が放たれた。

被爆者代表の井原氏の「平和への誓い」のスピーチでは、日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいないことが述べられ、アメリカの「核の傘」に頼らず、「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけること、オバマ大統領が「最後の核被爆地長崎」を訪問されることを強く願っていた。

長崎知事のメッセージ「慰霊の詞」では、長崎では被爆講和者や高校生の活動を通しての平和の発信されるものの、いまだに核兵器が存在する事に対し、核廃絶に向けての期待が発せられた。

安倍首相のあいさつでは、「『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねる」との決意があった。

71年前のこの日7万4千人が亡くなり、今年で原爆死没者名簿登載者数は172,230人となった。

平和祈念式典
平和祈念式典

8月9日14:00~15:30 連合長崎青年委員会担当「ピースウォーク」
@原爆落下中心地公園・長崎市平和公園

以下の各施設を回りながら説明を受けた。

「原子爆弾落下中心地碑」:「落下で無く投下」との説明があった。

「浦上天主堂遺壁」:爆風による礎石部分のズレを見て、衝撃の怖さを感じられた。

「被爆当時の地層」:当時の生活がうかがえる遺品がそのまま埋まっているのを見て、一瞬の出来事を実感した。

「松山町防空壕群(跡)」:爆心地の近くの防空壕でなんとか生き残ったもののその後治療も受けられないまま死んでいった人の辛さ無念さが思わされた。

「平和の泉」:被爆者の血と息絶えた人々の油が浮いていた水でさえも飲んだ人、水さえも飲めないで死んでいった多くの人々のことが思わされた。

「長崎の鐘」:被爆50周年に連合長崎から連合広島へ長崎平和の鐘が寄贈され、以来打鐘セレモニーが行われていること知り、繋がりの大切さを感じた。

「旧長崎刑務所浦上刑務支所」:収容されていた朝鮮人や中国人などを含め全員死亡したことに区別なく襲われたことに対する恐怖を感じた。

「平和祈念像」:被爆者に対する法的援護が設けられていない時に相当の費用が掛かり、資金の使い方に疑問を抱いていた被爆者のことを考えさせられた。

ピース・ウォーク ピース・ウォーク
ピース・ウォーク

8月9日19:00~20:00原爆殉職者慰霊奉賛会主催・連合協賛「万灯流し」
@浦上川

市民から青年団、地元自治会、消防団、原爆殉難者慰霊奉賛会へと継承されている催しであり、犠牲者のめい福を祈り、平和へのメッセージを書き込んだ万灯を浦上川に流した。連合長崎では、万灯作りの段階から地元の人達との良き交流がされている様である。

【所感】

「平和ナガサキ集会」、「ピースウォーク」、「万灯流し」それぞれ大きなイベントであり、それらを実行させる連合長崎のパワーを感じた。今回の平和行動の参加を通して、連合の今年の平和集会のテーマ「恒久平和の実現に向けて 核兵器廃絶への新たな一歩を」を少しでも具現化を進めて行けるよう、世界に今なお残る1万5千発以上の核兵器の廃絶に向けて、微力ではあるが進んで取り組んでいきたいと思った。

以上

堺地区協議会 事務局次長(関電労組南大阪支部) 田中 秀和

今回、初めて平和行動に参加させていただきました。

多くの尊い命が一瞬にして奪われたあの日から71年が過ぎ、改めて原爆や戦争の恐ろしさを思い知らされるとともに、このようなことを二度と起こさないようしっかり次世代に伝えていかなければならないと感じた平和行動でした。

平和記念像前での集合写真
平和記念像前での集合写真

1日目は、「連合2016平和ナガサキ集会」に参加させていただきました。地元長崎市民や各諸団体の総勢3294名もの方々が参加されました。当時12歳小学6年生だったという被爆者の方から体験談をお聞きし、3000度以上にも上昇した地面の温度、あちこちで焼け焦げた人たちや火災が起きる中、家族を探して必死に歩き回る。軽傷と思っていたら、放射能被害により数日後亡くなってしまった人。当時の地獄ともいえる状況やあまりに壮絶で悲惨な出来事だったということを改めて知ることができました。また、若者からのメッセージということで、全国から集まった高校生平和大使による「微力だけど無力じゃない」をスローガンに、核兵器廃絶と恒久平和を訴える活動をされている姿を見て感銘を受けました。

2日目は、「平和祈念式典」「ピースウォーク」「万灯流し」に参加させていただきました。11:02サイレンとともに行った黙祷では、原爆の犠牲となられた多くの方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げました。のどが渇いてたまらなく水くみに行くと油が浮いており仕方なく油を飲んだと書かれた石碑には、本当に胸が痛くなりました。夜の万灯流しでは、すべての人々の平和と幸せを祈り、浦上川に万灯を流させていただきました。

万灯流し 万灯流し
万灯流し

3日間、外気温36度近くと言われた長崎の地でした。汗かきの私は汗だくになりながら平和行動に参加させていただきましたが、71年前は100倍以上の温度であったことから本当に想像を絶する苦しさだっただろうと感じました。

今年5月には、オバマアメリカ大統領が広島を訪問し、核兵器のない世界の追求を核保有国に訴えられました。私も、微力ながら、ひとりでも多くの方にこの平和行動で感じたことや学んだことを伝えていかなければならないと考えさせられました。ご同行いただいた皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

2015/9/1 火曜日

連合「2015平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 18:21:34

連合泉州地区協議会 議長(JFE継手労組) 野内 克則

8月8日~10日の3日間の率直な感想は非常に暑かったと言うのが第一声です。

初日の「連合 2015平和ナガサキ集会」では、特に若者からのメッセージに心を動かされました。未だ治まることのない戦争・紛争に、平和を訴えていく若者の戦い。達成にはほど遠い現状ですが、ヤメたらそこで終わり・・・。

自分自身、運動を改めて考える集会となりました。

連合2015平和ナガサキ集会

連合2015平和ナガサキ集会

2日目の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」は、平和公園にはたどり着いたものの、会場内は入場制限で入れず、平和公園内に設置されていたモニターでの参加となり残念でしたが、午後からの「ピースウォーク」では原爆の威力と悲惨さを思い知らされました。また、説明をしてくれた連合長崎の皆さんに感謝を致します。

浦上天主堂遺壁 山王神社の一本足鳥居浦上天主堂遺壁/山王神社の一本足鳥居

冒頭に暑い3日間から始めましたが、70年前とは若干の気温の変化はあるにせよ、原爆により無くなった方々の無念さは勿論ですが、暑い真夏に傷を負った方々の苦しさは想像を絶するものだと考えずにはいられませんでした。

そんな中、現在、国政では集団的自衛権が議論されています。周辺国の脅威に対する抑止という事では一定の理解はするものの、本当に平和に繋がるのか疑問を感じ得ずにはいられませんし、平和祈念式典で述べた言葉に心がこもり、その心で国会の各質疑に答えているのかと疑わずにはいられません。

自分の現在の立場上、話をする機会が多々あるので、今回の平和行動で感じた事を織り交ぜながら、平和を訴えていきたいと思います。

JFE継手労組 長山 登

8月8日(土)~10日(月)の3日間、連合大阪の中から集まった21名の皆さんと平和行動に参加してまいりました。学生時代の修学旅行で小学校は広島、中学校では長崎と、英才教育をうけてきた私ですが、大人になりあの時感じた思いがどう変わるのか?戦争とは?平和とは?を考えさせられる有意義な研修になりました。

1日目の「連合 2015平和ナガサキ集会」(長崎県立総合体育館)第1部は各種代表挨拶にはじまり、基調講演「NPT再検討会議報告~核兵器廃絶に向けての主要課題とRECNA(長崎大学核兵器廃絶研究センター)の取り組み~」と「核兵器廃絶2015ニューヨーク行動」連合派遣報告がありました。どちらも色々な方向から核兵器廃絶に向け取り組んでいると考えさせられました。

第2部「被爆者の訴え」では被爆者の方の貴重なお話を聞かせていただきました。「ピースメッセージ」では平和への願い、「若者からのメッセージ」ではナガサキユース代表団、高校生平和大使によるメッセージが披露されました。(長崎の高校生に、広島・長崎の祖父をもつ三世の子がいるのには驚きました。)「ビリョクだけどムリョクじゃない!」素敵な言葉でした。

コンサート「詩(うた)い、つなぐ」「平和アピール」「ピースフラッグリレー」と続きフィナーレでは集まった3,623名の仲間全員で「For The Peace Of World」を合唱し1日目の行動を終えました。

2日目は朝から「被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和公園)に参加。日曜日という事もありたくさんの方が式典に訪れておりメイン会場には行けなかったので、モニター設置場所での参加になりました。式典にて献花はよくありますが、献水は原爆の熱さの中亡くなっていった方への癒しの気持ちが伝わるものでした。

昼からは「ピースウォーク」(慰霊碑巡り)。連合長崎さんの解説付でわかりやすく、改めて原爆の悲惨さを知らされるピースウォークになりました。

夜には浦上川犠牲者の慰霊と恒久平和を願う「万灯流し」に参加。自身のメッセージを記入し浦上川に万灯を流し、2日目の平和行動を終えました。

3日目は軍艦島ツアーでした。台風の影響で上陸とはなりませんでしたが、船内からでも軍艦島の雰囲気は十分に伝わるものでした。

上記日程にて全ての行動を終え長崎空港へ移動し、伊丹空港にて解散。参加された皆さんお疲れ様でした。

万灯流し 軍艦島
万灯流し/軍艦島

「戦争反対」、よく聞く言葉です。なぜ反対なの?戦争したらどうなるの?大阪で住み、高度経済成長後生まれの僕にはあまり実感の湧かない戦争。

この平和行動で、普段聞けることのない方々の講演や被爆者の方のメッセージを聴き、また、慰霊碑や資料館を体感し、戦争は二度とおこしてはならないのだと実感することが出来ました。

最後に、今回色々な方の話を聞かせていただく中で、「日米安保条約」このワードがよく出てきました。先の衆議院での強行採決、日本はどこへ向かおうとしているのか?暴走する安倍政権、見守ることしかできないの?

「戦争反対」。戦後復興をなしとげた先人たちの思いや、我々の輝く未来のために行動し、言っていこうと思いました。僕ひとりが行動して何になるではなく、「ビリョクだけどムリョクじゃない!」の精神で頑張ろう、そう思いました。この行動で聞き、感じたことをみんなに伝えていけたらと考えています。

集合写真

集合写真

2013/9/5 木曜日

連合「2013平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:27:34

連合堺地区協議会 副議長 猪井 常二

8月8日から10日の3日間、「平和行動in長崎」に参加しました。連合大阪からは下記の14名が参加し、連合南地域協からは浅香工業労組の林委員長と共に参加しました。

参加単組および氏名
NO 構成組織・
地域協議会
地区協 単 組 お名前
1 UAゼンセン

ライフ労働組合 宮崎  保
2 イマジカウエスト労働組合 鍛冶川 一夫
3 イオンコンパス労働組合 岸田 美栄
4 UAゼンセン大阪府支部 藤岡 慎吾
5 JAM ホソカワミクロン労働組合 川本 義宏
6 北大阪地域 関西電力労働組合北摂支部 田中 宏一
7 北摂 高槻市職員労働組合 竹内  昇
8 北河内地域 河北 日教組寝屋川 松下 敏雄
9 河北 日教組寝屋川 南部 清孝
10 大阪南地域 浅香工業労組 林  英男
11 コニカミノルタ労組 猪井 常二
12 青年委員会 関西電力労働組合 友田 洋介
13 事務局 連合大阪 香川  功
14 連合大阪 永野 有紀

1日目
連合2013平和長崎集会

「連合2013平和長崎集会」が長崎県立総合体育館メインアリーナにて開催されました。

連合2013平和長崎集会
連合2013平和長崎集会

この集会は核兵器廃絶と世界の恒久平和を求める集会で、今年から、連合主催、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)、核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)共催で開催されました。

長崎大学核兵器廃絶研究センター 広瀬訓副センター長 第1部では、2015NPT再検討会議に向けてということで、主催者、来賓の挨拶のあと、2012年4月に開設された核兵器廃絶に特化した研究施設である長崎大学核兵器廃絶研究センターの広瀬訓副センター長より、「2015NPT再検討会議へ向けた課題と対応」という基調講演があり聴講いたしました。

その中で、特に印象に残ったのは、原子力の平和利用についての課題です。

アフリカのある大きな国ではレントゲンの機械が欲しい。レントゲンが普及するだけでどれだけ国民の健康が改善されるか。レントゲンの使い方がわかってもそれを製造、維持、管理、廃棄まで含めていうのはとても難しい問題である。知識のない人がレントゲンの機械をスクラップにする時に放射能障害になったりする。その対応については明確にどこの機関が対応するというのが決まっていないため、レントゲンを使うことができないというものです。そのレントゲン撮影の機械をつくっているメーカーの「民間レベル」から、考えていく必要があると思いました。

第2部では、次世代への継承として、被爆者の(公財)長崎平和推進協会継承部会奥村アヤ子さんの体験をお聞きしました。「次世代を担う子供達にこのような悲しさと苦しさを与えてはならない。」という自らの体験はとても心に響きました。

最後は、参加者全員で「原爆を許すまじ」の合唱で幕を閉じました。

2日目

平和公園での長崎市主催の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、その式典に参加しました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

約6300人もの参列者の中、長崎市長、そして被爆者代表がそれぞれ今年4月のNPT運用検討会議準備委員会での「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に約80カ国が賛同しましたが、日本が賛同署名しなかったことを批判されていました。それに対する首相の挨拶では、そのことに全くふれなかったことが非常に残念に思いました。

 原爆「落下」中心地碑 午後は爆心地公園に集合し、「PEACE WALK 2013」に参加しました。

爆心地公園をスタートし、原爆「落下」中心地碑、「浦上天主堂遺壁」、「松山町防空壕群(跡)」などを連合長崎のスタッフの方に案内と説明を受けました。

夜は、多くの方が水を求めて亡くなった浦上川河川敷での約700個の万灯流しを行いました。

これは、連合長崎、原爆殉難者慰霊奉賛会と城山連合自治会が実施しているもので、それぞれの人が思い思いの祈りを込めたメッセージを書き込んだ灯篭を流しました。我々も思いを込めて書いた灯篭を流すことができました。

万灯流し
万灯流し

最後に

今回の「平和行動in長崎」に参加して、改めて、核について考えることができました。

まだ、被爆者は苦しんでおられます。その被爆者の平均年齢も80歳近くになり、実体験を伝えていくのをどう維持していくかという問題がありましたが、長崎では若い語り部を養成していくとことを行っているということを伺いました。私たちもこの平和行動に参加した体験を同じように周りの組合員にも伝えていきたいと思います。

皆さんも機会があれば、ぜひとも平和行動に参加していただきたいと思います。

最後になりましたが、大阪から一緒に行動した皆さんのおかげで貴重な体験を得ることができました。特に事務局の方にはお世話になりました。本当にありがとうございました。

連合「2013平和行動 in 長崎」―参加報告―

連合堺地区協議会 副議長 林 英男

2013年8月8日から10日、長崎で開催された平和行動に連合大阪より14名で参加し、大阪南地域協からは、堺地区・猪井副議長とともに参加してまいりました。

1日目

1日目は、連合主催の『連合2013平和長崎集会』が、長崎県立総合体育館・メインアリーナで行われました。当日は、3,300人がアリーナに集結し、熱気あふれる集会となりました。

長崎県立総合体育館前にて
長崎県立総合体育館前にて

2部構成になっており、1部は、連合長崎会長の挨拶から始まり、各団体代表の方の挨拶、共催・後援団体の紹介があり、基調講演として、長崎大学核兵器廃絶研究センター 広瀬 訓 副センター長より、『2015核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議へ向けた課題と対応』について講演いただきました。

2部では、長崎平和推進協会 継承部会の奥村アヤ子様より、被爆者の訴えを聞きました。壮絶な当時の状況、想像を絶する原爆の恐ろしさ、家族との別れ、胸が痛みました。

高校生平和大使として、2013年度の選ばれし20名の各地の高校生が、りっぱに決意と平和の願い、若者の熱き思いを語っていただきました。

『ビリョクだけどムリョクじゃない!』

しっかり、日本の思いを世界にぶつけてきてほしいです。がんばれ高校生!

最後に、全員で『原爆を許すまじ』を大合唱し、閉会しました。

2日目

2日目は、『被爆68周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』に参加致しました。たくさんの人で、会場に入るのが困難と思いましたが、何とか入ることができ、原爆投下の11時02分、町中にサイレンが鳴り響き、黙とうを捧げました。安倍首相や、国内外からたくさんの来賓が来られており、会場は重々しい空気でした。

引き続き、『ピースウォーク』に参加致しました。連合長崎の方々にピースガイドとしてご協力いただき、爆心地、浦上天主堂遺壁、平和の泉、平和祈念像等を約60分かけて説明していただきました。長崎原爆資料館に立ち寄ったのですが、展示されている数々の遺品、当時投下直後の人々の写真を見て、絶句しました。

メッセージが書き込まれた万灯 19時より、浦上川に『万灯流し』を行いました。それぞれの万灯にメッセージを書き込み、平和への願いと犠牲者の冥福を祈り、浦上川に流しました。

夜は、多くの方が水を求めて亡くなった浦上川河川敷での約700個の万灯流しを行いました。

最後に

昨年、広島にも参加し、今年は長崎と日本の両被爆地を経験させていただきました。

本当に、あってはならない、起こしてはならないことであります。当時被爆された方々も今ではかなりの高齢になっており、原爆の知らない人たちばかりになってしまいます。このような悲劇を2度と繰り返さないためにも、私たちにも必ず何かできるはずです。ビリョクだけどムリョクじゃない。言葉通りの意味です。この活動、運動は今後途絶えることなく、続けていくことの重要性を感じました。

最後に、3日間の行程を14名の皆様と共に無事に終えることができました。皆様とは、この行動を通じて、大変貴重な経験をさせていただいたと感じております。また、事務局の香川さん、永野さんには大変ご苦労をお掛けいたしました。本当にありがとうございました。

『長崎原爆死没者名簿登載者数 162,083人』 (2013年8月9日現在)

平和祈念像前にて