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2015/10/15 木曜日

連合「2015平和行動 in 根室」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 1:10:20

大阪南地域協議会 副議長 杉本 伸二

  • 日時:2015年9月11日(金)〜14日(月)
  • 場所:北海道 根室
  • 参加者:連合大阪14名

「2015平和行動in根室」へ参加させていただき、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

沖縄、広島、長崎の平和行動へは度々行ってきましたが、根室へはなかなか日程が合わず行くことがかないませんでした。戦後70年という節目の年に参加させていただくことになり楽しみにしていました。

現地では、1945年8月28日、ソビエト軍が北方四島に上陸した時の生々しい証言や、全島民が樺太へ送られ、その後北海道へ強制移住させられたこと、故郷を奪われ、新しい土地での一からの生活がどれだけ大変であったかということ、しかしながら、近いうちに必ず故郷へ帰れると思いながら70年たってしまったことなど、元島民の方々から貴重な話を聞くことができました。

また、北方四島の択捉島が、日本で一番大きい島であるということや、北方四島の近海がラッコの生息地であるということ、すばらしい自然が多くあるということも初めて知りました。こんな素晴らしい島々へ私たちは行くことが出来ないということをあらためて痛感しました。択捉・国後・色丹・歯舞群島がロシアに不法占拠されていなければ、間違いなく北方四島は世界有数のリゾート地になっていたと思います。

北方四島学習会 2015平和ノサップ集会
北方四島学習会/2015平和ノサップ集会

連合大阪の根室行動では、「中野」さんというバスガイドさんを毎回指名しているとのことで、今回も定年退職をしているにもかかわらず、私たちのガイドを務めていただきました。北方四島のことだけでなく、根室や釧路、道東の歴史・現状・自然・文化等、多岐にわたり詳細に教えていただいたことについても感謝・感謝です。是非、お体の続く限り指名し続けていただければと思います。

最後になりますが、今回、私なりに感じたことは、二点あり、一つ目は、北方領土返還運動も一つの岐路にあるのではと感じました。戦後70年、北方領土がロシアに占拠され70年、その間、北方四島にはロシアの方々が住んでおられるという事実、ロシアの方々も北方四島に移住させられ、この70年間大変苦労されたと聞きました。現在住んでおられるロシアの方々のことを抜きにして返還運動はあり得ないと考えます。

二つ目は、ロシア(旧ソビエト)のしたことは、ルール違反であるが、やはりそれが戦争であり、戦争にはルールなんか存在しないという事実。結局は、住民や、弱いものが一番の犠牲者になるということ。未来の子供たちへ平和な世界を、どう築くかということが、私たち連合の使命であると考えさせられた今回の平和行動でした。

集合写真

2014/8/20 水曜日

連合「2014平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 3:29:40

連合泉州地区協議会 副議長 川北 博秀

8月5日(火)・6日(水)の2日間、辻本幹事と共に「2014平和行動in広島」に参加させて頂きしました。2日間とも雨天でしたが、傘、カッツパ等を持参していたので楽に行動ができ、暑さも思っていたより暑くはなかったです。

第1日目

広島平和記念公園到着後、「ピース・ウオーク」に参加しました。連合広島の青年・女性委員会のメンバーより慰霊碑や記念碑の内容を判り易く熱心に説明され、惨劇の様子が私の心にも伝わりました。

原爆ドーム ピース・ウォーク
原爆ドーム/ピース・ウォーク
ピース・ウォーク慰霊碑
ピース・ウォーク/慰霊碑

夜からは広島市文化交流会館で「平和ヒロシマ集会〜核兵器廃絶と世界の恒久平和の現実を求めて〜」というテーマで、広島県原爆被害者団体協議会 理事長 坪井 直さんが被爆体験証言をされました。20歳で被爆し、現在で89歳。被爆69年前の夏、灼けつく日差しは「あの日」に記憶の時間を引き戻したように、罪なき市民の命が絶たれた様子を生生しく語ってくれました。

あまりにも凄絶な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ語り始めています。このような貴重な体験証言は世界の人々に伝え、平和実現への道を共に歩むことを願っています。

集会後、「平和の光」としてサイリューム(光る棒)を参加者全員で手にしながら平和記念公園まで徒歩で移動し、全員の心が一つになりました。

平和ヒロシマ集会 平和ヒロシマ集会
平和ヒロシマ集会

第2日目

午前8時に始まった「広島市原爆死没者慰霊式」並びに「平和記念式」にモニターで参加しました。原爆が投下された午前8時15分に合わせて「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者及び参加者全員が一斉に黙祷を捧げました。

最後に、戦争は人々の家族や、友人、未来の夢をも奪い、人生を大きく歪めるような非人道的行為であり、核兵器の廃絶と世界人類が平和であるように願っています。

2014/7/31 木曜日

連合大阪「平和学習会」を受けて

Filed under: コラム — 編集部 @ 13:46:32

2014年7月31日
大阪南地域協議会 副議長 牟田 和広

2014年7月18日(金)18:30から、連合大阪主催の平和行動 学習会が開催されました。連合として重視し、長年続けている広島・長崎での平和行動への参画事業の一環として行われたものです。私は、どちらの平和行動へも参加を予定していませんが、たまたま受けてみようと思って、学習会に参加しました。

連合大阪の久保さんが司会を務められ、はじめに連帯活動委員会の川北委員長より主催者を代表して挨拶がありました。

大阪女学院大学 黒澤 教授 第一部として、大阪女学院大学の教授である黒澤 満(くろさわ みつる)様から「世界の核兵器の現状と廃絶への取り組み」と題した講演がありました。米ソ冷戦時代をピークとして、着実に減ってきているものだと、漠然と考えていた核兵器ですが、その総数は1万6千発を超え、未だに全人類を幾度も死滅させるに充分な数であると聞き、正直驚きました。特に、二大核兵器保有国においては、30分以内に発射可能な核兵器が、アメリカ:1,920発、ロシア:1,600発もあるとのことでした。

黒澤教授は、これまでの核軍縮を継承しながらも、新しいアプローチを提言し、廃絶に向けた具体的なビジョンを示してくれました。特に私が気になったのは、喫緊の課題としての「核兵器の警戒態勢解除」についてでした。上記で示した、即発射可能な核兵器をゼロにすることで、人為的ミスやシステムエラーによる誤射を防ぎ、核兵器の脅威を低減させる有効な手段です。しかし、その為には「核の傘」、つまり「核兵器が戦争の抑止力として有効である」という考え方を見直さなければなりません。この点についても黒澤教授は、「核兵器が抑止力として機能した事実はない。アメリカによる様々な戦闘行為も、保有する核兵器によって回避されたことはない。」と指摘されました。現に、アメリカ大統領であるオバマ氏は、立候補した時から核軍縮を提唱しており、今も大統領としてその目標を掲げているとのことでした。

そんな中、アメリカの核軍縮を阻んでいるのは日本だという驚くべき話がありました。日本の政府・高官が、アメリカの「核の傘」に守られているという古い意識を強く持っているため、アメリカの野党議員が「日本のためにも核兵器は必要だ」と利用し、核軍縮を阻んでいると言うのです。また、民主党政権下では岡田外相と協力し、「核の傘」に対する意識を変えようと試みられていたとの事でした。私達は、メディアによる扇動であると知りながらも、民主党による政権運営の失敗から、ダメな政党だというレッテルを貼ってきましたが、少なくとも政権交代に意義はあったのだと認識を新たにしました。核軍縮、核兵器廃絶のために、私達ができることは、志のある人を選び、選挙権を行使することにあると改めて理解しました。

核兵器の脅威を改めて理解すると共に、自分達の現状を認識し、未来を考える良いきっかけになったと思います。

広島県原爆被害者団体協議会 理事長 坪井 直さん 第二部は、広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井 直(つぼい すなお)様から「被爆体験から」と題して、ご自信の被爆体験談をお話いただきました。

こちらは、第一部の講演と違って、文書にはし難いものでした。広島原爆の1km圏内で、当時二十歳で被爆されたご本人が、目の前で語られる体験談は、すさまじい臨場感と、圧倒的な現実感を持っており、気の弱い方には眠れなくなる程のインパクトを与えたのではないかと思います。しかし、そのどれもが事実である以上、やはり世界で唯一の原爆被害国である日本の存在は、とても大きなものであると知らされました。

「最近、日本で起きている陰惨な事件には本当に腹が立つ。人の命を奪うという事において、テロも戦争も原爆も同じだ。バカヤローと言ってやりたい。」きっと、その場にいなければ伝わらない、本当の意味での言葉の重さが、そこにはありました。

御年八十九歳の坪井様が、被爆による様々な身体の不調を背負いながら、今も原爆と闘い続けているその姿には、感動を覚えると共に、心から尊敬します。

来年、戦後70年を迎える我が国日本。ともすれば形骸化しかねない広島・長崎をはじめとする平和行動。しかし、今こそ日本が成すべき事、日本だからできることを再び見つめ直し、日本国民として世界平和に対して、その責任を果たしていかなければならないと、改めて認識させられる学習会でした。

2014/7/9 水曜日

連合「2014平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 16:30:59

連合堺地区協議会 議長代行 川井 勇二

  • 日程:2014年6月23日(月)〜6月25日(水)
  • 場所:那覇市、南城市、糸満市
  • 参加者:連合堺地区協議会 川井議長代行、豊岡副議長

1日目(6月23日)

12:30 オリエンテーリング・事前学習
15:00 平和オキナワ集会 (1432名出席)

基調講演 「抑止力」と沖縄の未来

講師:柳澤 協二 氏

主催者あいさつ:連合 神津事務局長

地元歓迎あいさつ:連合沖縄 大城会長

平和メッセージ:連合北海道 安田副会長

ピースリレー:連合広島 平上事務局長

平和アピール:連合沖縄女性委員会 上原さん

17:30 平和交流会
平和オキナワ集会

2日目(6月24日)

9:00 ピースフィールドワーク 3班に分かれて戦跡を学ぶ
10:00 糸数アブチラガマ(南城市)

ガマ・・・洞窟やくぼみの方言。

日本軍の陣地壕や倉庫に使用され、戦場が南下するにつれ陸軍病院となった。全長270mの洞窟に600人以上の負傷兵で埋め尽くした。米軍の攻勢が激しくなった病院を撤退したあとも住民と日本兵、負傷兵の雑居状態になった。

11:30 ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)

女学生によって編成された看護部隊「ひめゆり学徒隊」。日本軍とともに行動し、看護活動にあたった。

13:30 魂魄(こんぱく)の塔(糸満市)

沖縄戦の後、住民の手で建てられた最初の慰霊塔。戦後は、米軍に遺骨収集を許可されなかったが、当時の村長が米軍との交渉で、許可を得、住民による遺骨収集が始まった。約35000体が集められ、周囲を石積みで整備し、骨塚とした。

15:00 平和祈念公園・資料館(糸満市)

沖縄復帰記念事業として沖縄戦跡国定公園として整備。

毎年、6月23日「慰霊の日」に慰霊祭が催される。

17:00 「在日米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求める行動・デモ行進(国際通り)
魂魄の塔 ひめゆりの塔
魂魄の塔/ひめゆりの塔
デモ行進
デモ行進

3日目(6月25日)

9:00 対馬丸記念館

1944年8月22日、学童集団疎開の子供たち826人を含む約1600人を乗せた対馬丸は米潜水艦に魚雷攻撃され、10分で沈没し、救助されたのは、59人。

10:40 佐喜間美術館
12:30 首里城

琉球王国の居城として、王国の政治・外交・文化の中心的役割。戦時中は、地下に軍司令部が置かれた、

沖縄戦とは

1944/10/10

沖縄各地に空襲、旧那覇市街地90%消失

1945/ 3/23

米艦隊、沖縄本島攻撃。

3/26

米軍慶良間諸島上陸、31日に占領。

4/1

米軍、北谷と読谷に上陸。その後、沖縄を南北に分断し、日本軍司令部は南部へ撤退。

5/31

米軍、首里城地下の沖縄守備軍司令部を占領。

6/23

司令官牛島中将が自決。組織的戦闘が終結。

6/24

米軍、掃討戦を開始。

7/2

米軍、沖縄戦終了を宣言。
(沖縄戦戦没者)
米軍 12,520人
日本軍 94,136人
住民 94,000人

所感

戦争のない平和な社会を実現させることは、重要な運動としてかかわってきました。

戦争の悲惨さを分かっていたつもりではいましたが、今回、沖縄の平和行動に参加して、沖縄の置かれてきた状況を少し勉強することができ、あらためて、戦争の悲惨さを実感することができました。

戦争の空襲も恐怖にさらされることになりますが、沖縄は、太平洋戦争で、地上戦になったところであり、数多くの住民が巻き込まれることになりました。子供や女学生、女性、お年寄りも多くの犠牲者が出たということをあらためて勉強し、人として生活するには、戦争のない社会にしていくことがとても大切と感じました。

沖縄には、まだまだ戦争の傷跡が多く残っていること、在日米軍基地の問題などもありますが、戦争を風化させずにみんなで、考えることが平和につながると思いました。

2013/9/5 木曜日

連合「2013平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:27:34

連合堺地区協議会 副議長 猪井 常二

8月8日から10日の3日間、「平和行動in長崎」に参加しました。連合大阪からは下記の14名が参加し、連合南地域協からは浅香工業労組の林委員長と共に参加しました。

参加単組および氏名
NO 構成組織・
地域協議会
地区協 単 組 お名前
1 UAゼンセン

ライフ労働組合 宮崎  保
2 イマジカウエスト労働組合 鍛冶川 一夫
3 イオンコンパス労働組合 岸田 美栄
4 UAゼンセン大阪府支部 藤岡 慎吾
5 JAM ホソカワミクロン労働組合 川本 義宏
6 北大阪地域 関西電力労働組合北摂支部 田中 宏一
7 北摂 高槻市職員労働組合 竹内  昇
8 北河内地域 河北 日教組寝屋川 松下 敏雄
9 河北 日教組寝屋川 南部 清孝
10 大阪南地域 浅香工業労組 林  英男
11 コニカミノルタ労組 猪井 常二
12 青年委員会 関西電力労働組合 友田 洋介
13 事務局 連合大阪 香川  功
14 連合大阪 永野 有紀

1日目
連合2013平和長崎集会

「連合2013平和長崎集会」が長崎県立総合体育館メインアリーナにて開催されました。

連合2013平和長崎集会
連合2013平和長崎集会

この集会は核兵器廃絶と世界の恒久平和を求める集会で、今年から、連合主催、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)、核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)共催で開催されました。

長崎大学核兵器廃絶研究センター 広瀬訓副センター長 第1部では、2015NPT再検討会議に向けてということで、主催者、来賓の挨拶のあと、2012年4月に開設された核兵器廃絶に特化した研究施設である長崎大学核兵器廃絶研究センターの広瀬訓副センター長より、「2015NPT再検討会議へ向けた課題と対応」という基調講演があり聴講いたしました。

その中で、特に印象に残ったのは、原子力の平和利用についての課題です。

アフリカのある大きな国ではレントゲンの機械が欲しい。レントゲンが普及するだけでどれだけ国民の健康が改善されるか。レントゲンの使い方がわかってもそれを製造、維持、管理、廃棄まで含めていうのはとても難しい問題である。知識のない人がレントゲンの機械をスクラップにする時に放射能障害になったりする。その対応については明確にどこの機関が対応するというのが決まっていないため、レントゲンを使うことができないというものです。そのレントゲン撮影の機械をつくっているメーカーの「民間レベル」から、考えていく必要があると思いました。

第2部では、次世代への継承として、被爆者の(公財)長崎平和推進協会継承部会奥村アヤ子さんの体験をお聞きしました。「次世代を担う子供達にこのような悲しさと苦しさを与えてはならない。」という自らの体験はとても心に響きました。

最後は、参加者全員で「原爆を許すまじ」の合唱で幕を閉じました。

2日目

平和公園での長崎市主催の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、その式典に参加しました。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

約6300人もの参列者の中、長崎市長、そして被爆者代表がそれぞれ今年4月のNPT運用検討会議準備委員会での「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に約80カ国が賛同しましたが、日本が賛同署名しなかったことを批判されていました。それに対する首相の挨拶では、そのことに全くふれなかったことが非常に残念に思いました。

 原爆「落下」中心地碑 午後は爆心地公園に集合し、「PEACE WALK 2013」に参加しました。

爆心地公園をスタートし、原爆「落下」中心地碑、「浦上天主堂遺壁」、「松山町防空壕群(跡)」などを連合長崎のスタッフの方に案内と説明を受けました。

夜は、多くの方が水を求めて亡くなった浦上川河川敷での約700個の万灯流しを行いました。

これは、連合長崎、原爆殉難者慰霊奉賛会と城山連合自治会が実施しているもので、それぞれの人が思い思いの祈りを込めたメッセージを書き込んだ灯篭を流しました。我々も思いを込めて書いた灯篭を流すことができました。

万灯流し
万灯流し

最後に

今回の「平和行動in長崎」に参加して、改めて、核について考えることができました。

まだ、被爆者は苦しんでおられます。その被爆者の平均年齢も80歳近くになり、実体験を伝えていくのをどう維持していくかという問題がありましたが、長崎では若い語り部を養成していくとことを行っているということを伺いました。私たちもこの平和行動に参加した体験を同じように周りの組合員にも伝えていきたいと思います。

皆さんも機会があれば、ぜひとも平和行動に参加していただきたいと思います。

最後になりましたが、大阪から一緒に行動した皆さんのおかげで貴重な体験を得ることができました。特に事務局の方にはお世話になりました。本当にありがとうございました。

連合「2013平和行動 in 長崎」―参加報告―

連合堺地区協議会 副議長 林 英男

2013年8月8日から10日、長崎で開催された平和行動に連合大阪より14名で参加し、大阪南地域協からは、堺地区・猪井副議長とともに参加してまいりました。

1日目

1日目は、連合主催の『連合2013平和長崎集会』が、長崎県立総合体育館・メインアリーナで行われました。当日は、3,300人がアリーナに集結し、熱気あふれる集会となりました。

長崎県立総合体育館前にて
長崎県立総合体育館前にて

2部構成になっており、1部は、連合長崎会長の挨拶から始まり、各団体代表の方の挨拶、共催・後援団体の紹介があり、基調講演として、長崎大学核兵器廃絶研究センター 広瀬 訓 副センター長より、『2015核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議へ向けた課題と対応』について講演いただきました。

2部では、長崎平和推進協会 継承部会の奥村アヤ子様より、被爆者の訴えを聞きました。壮絶な当時の状況、想像を絶する原爆の恐ろしさ、家族との別れ、胸が痛みました。

高校生平和大使として、2013年度の選ばれし20名の各地の高校生が、りっぱに決意と平和の願い、若者の熱き思いを語っていただきました。

『ビリョクだけどムリョクじゃない!』

しっかり、日本の思いを世界にぶつけてきてほしいです。がんばれ高校生!

最後に、全員で『原爆を許すまじ』を大合唱し、閉会しました。

2日目

2日目は、『被爆68周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』に参加致しました。たくさんの人で、会場に入るのが困難と思いましたが、何とか入ることができ、原爆投下の11時02分、町中にサイレンが鳴り響き、黙とうを捧げました。安倍首相や、国内外からたくさんの来賓が来られており、会場は重々しい空気でした。

引き続き、『ピースウォーク』に参加致しました。連合長崎の方々にピースガイドとしてご協力いただき、爆心地、浦上天主堂遺壁、平和の泉、平和祈念像等を約60分かけて説明していただきました。長崎原爆資料館に立ち寄ったのですが、展示されている数々の遺品、当時投下直後の人々の写真を見て、絶句しました。

メッセージが書き込まれた万灯 19時より、浦上川に『万灯流し』を行いました。それぞれの万灯にメッセージを書き込み、平和への願いと犠牲者の冥福を祈り、浦上川に流しました。

夜は、多くの方が水を求めて亡くなった浦上川河川敷での約700個の万灯流しを行いました。

最後に

昨年、広島にも参加し、今年は長崎と日本の両被爆地を経験させていただきました。

本当に、あってはならない、起こしてはならないことであります。当時被爆された方々も今ではかなりの高齢になっており、原爆の知らない人たちばかりになってしまいます。このような悲劇を2度と繰り返さないためにも、私たちにも必ず何かできるはずです。ビリョクだけどムリョクじゃない。言葉通りの意味です。この活動、運動は今後途絶えることなく、続けていくことの重要性を感じました。

最後に、3日間の行程を14名の皆様と共に無事に終えることができました。皆様とは、この行動を通じて、大変貴重な経験をさせていただいたと感じております。また、事務局の香川さん、永野さんには大変ご苦労をお掛けいたしました。本当にありがとうございました。

『長崎原爆死没者名簿登載者数 162,083人』 (2013年8月9日現在)

平和祈念像前にて

2013/8/21 水曜日

連合「2013平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 20:41:47

連合泉南地区協議会 議長 宮崎孝行

原爆ドーム 2013年8月5日(月)〜6日(火)にかけて、「2013平和行動 in 広島」へ泉南地区から小川事務局長と参加しました。連合大阪の参加者は17名でした。

猛暑の中、平和記念公園原爆ドーム前からフィールドワークがスタート。連合広島のボランティアの方々から、公園内にある慰霊碑や記念碑についての説明を受けました。

その一つに「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」があります。被爆した裸身の女教師が子どもを抱いて、絶望的な悲しみのまなざしで空を見上げている銅像です。

当時、男教師は戦争へ、小学校高学年は疎開しており、残されたのは低学年と女教師のみでした。犠牲者は推定で子ども2千人、教師200人とされており、名前さえ判らない人も多くとても悲しい碑でした。

教師と子どもの碑
教師と子どもの碑

公園内には悲しい碑ばかりでなく、被爆者を励ますアオギリの木もありました。

被爆したアオギリ このアオギリは昭和8年、郵便局の落成時に中庭に植えられ、12年後に被爆しました。すさまじいエネルギーの熱線が襲いかかり、同じ中庭にあった桜やカイズカイブキとともに、爆心側の幹や枝は、瞬時にして黒焦げになり、幹の半分は焼けてえぐられ、中は空洞になって見るも痛ましい姿でしたが、アオギリの生命力は強く、移植にも耐えることができ、その後、けなげに生きる姿に被爆者が励まされたそうです。

今では被爆二世のアオギリの苗の木が市内の小学校に植えられており、また、全国各地から訪れた小・中・高校へも採取した種子が配られ多くの二世のアオギリが育っているそうです。

原爆死没者慰霊碑 ピース・ウォーク後は少し自由行動があったので平和記念資料館へ足を運びました。なぜ広島や長崎が標的になったのか?など、知らない事がよく分かりました。そしていくつもの目を覆いたくなるような遺品に、原爆の恐ろしさを体感しました。

資料館には多くの子供たちも訪れており、原爆の恐ろしさを後世に伝えて行かなければならな いと改めて思いました。

17時からは、上野学園ホールにて「連合2013平和広島集会」が連合広島石井会長の挨拶で開催されました。その中で平和の語り部・被爆者体験証言広島県原爆被害者団体協議会坪井理事長の体験をお聞きしました。

坪井さんは爆心地から1kmの所で被爆しました。被爆後は若年者の救護が優先された為、青年だった坪井さんは治療施設までトラックに乗せてもらえました。その後40日間、意識不明の中で終戦も知らなかったそうです。回りの収容された人が次々に亡くなっていく中で、坪井さんは母親が自分を懸命に探す声に反応することができました。幾つもの奇跡によって坪井さんは68年目を迎える事が出来たと語られていました。

坪井氏
坪井氏

一瞬にして14万人余りの尊い命を奪った原子爆弾が広島に投下されて、今年で68年を迎えました。今なお多くの被爆者が放射線障害にくるしんでいます。

今日、核兵器はいまだに世界に約2万発も存在し、人類は核兵器の脅威にさらされています。核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現をめざして、これからも国際労働組合総連合や、平和市長会議、広島平和文化センターはじめ、多くのNGOとも連携し、職場や地域における核兵器廃絶運動を粘り強く取り組むことを集会の中で誓い合いました。

2013平和広島集会
2013平和広島集会

その後再び平和記念公園に戻り、原爆ドームを参加者で囲み「ピースキャンドル」として蛍光リングによる平和への祈りを捧げました。

ピースキャンドル
ピースキャンドル

2日目は8時より「広島市原爆死没者慰霊式」並びに「平和祈念式」が始まりました。約5万人の参列で私たちはアオギリのそばのモニターでの参加となりました。

今年1年で新たに死亡が確認された被爆者5,859人の名簿を原爆慰霊碑に収め、原爆死没者は合わせて28万6,818人となりました。原爆投下時刻8時15分に遺族代表、子ども代表にて平和の鐘を突き参列者全員で黙とうをささげました。

松井市長は平和宣言に被爆者5人の体験談を盛り込み、核兵器廃絶に取り組むための言動力とならねばと決意表明し、世界の偽政者に「威嚇から信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきだ」と呼びかけました。また、核兵器を[絶対悪]とあらためて否定し、世界の指導者に廃絶への取り組みを求めました。

子ども代表2名による平和への誓いでは、「さあ、一緒に平和をつくりましょう。大切なバトンをつなぐために」と誓いました。

平和祈念式
平和祈念式

今回、広島平和行動に参加させて頂き、一瞬にして14万人の命を奪いそして68年の歳月がたっても今なお、原爆死没者が28万人を超え増え続けるこの核兵器は、松井市長の言った絶対悪そのものだと改めて再認識しました。

被爆者は、平均年齢が78歳を超えた今も平和への思いを訴え続けています。私たちがその思いを共有し、ともに進むべき道を正しく選択すること、核兵器も戦争もこの世界には必要ないと発信つづけることが大事だと気づかされました。

連合大阪集合写真
連合大阪集合写真

2013/7/9 火曜日

連合「2013平和行動 in 沖縄」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 20:04:38

連合泉州地区協議会 副議長 反保 壽夫

6月23日から6月25日に沖縄県で行われた2013「平和行動 in 沖縄」に、泉州地区協議会の石井副議長、大阪南地域協議会の大林さんと参加しました。

1日目

1日目は、ホテルでの結団式とオリエンテーションの後、平和オキナワ集会が那覇市民会館大ホールで行われました。第一部で基調講演として「在沖縄米軍基地と構造的差別」と題した講演が佐藤優氏より行われました。第二部は平和式典が行われました。

6月23日は、1974年に制定された沖縄県の条例により、戦争による惨禍が再び起こることのないよう人類普遍の願いである恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めるため「慰霊の日」と定められています。沖縄県が抱える問題をはじめ、日本における米軍基地問題、さらには日本の安全保障について、改めて国民的課題として認識をしていかなければならないと思いました。集会終了後は、沖縄ハーバービューホテル・クラウンプラザで平和交流会が行われ交流を深めました。

平和オキナワ集会
平和オキナワ集会

2日目

2日目はピース・フィールドワークで沖縄青年委員会の方々に案内していただき、糸数アブチラガマ→ひめゆりの塔(資料館)→魂魄の塔(資料館)→平和祈念公園と見学を行いました。

南城市にある糸数アブチラガマ。(アブとは深い洞穴。チラとは崖のことでガマとは沖縄方言で洞窟やくぼみのことをいいます。)沖縄本島中南部はほとんどが隆起サンゴ礁でできており、十万年にわたる雨の浸食によってできた自然の洞窟が各地にあります。沖縄戦ではこの自然の洞窟が住民の避難場所となりましたが、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用されました。戦争が激しくなるとガマは軍民同居のかたちとなって攻撃の的となり多くの命が失われたそうです。

ひめゆりの塔・資料館の第4展示室では沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒と教師の227名の遺影が壁面にかけられていました。一人一人の遺影を見ているうちに涙が自然に溢れてきました。戦争を知らない世代が過半数を超え、まだ紛争の絶えない国際情勢を思うにつけ、平和であることの大切さを訴え続けていくことが大切だと感じました。

ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館

平和祈念公園では沖縄戦で亡くなった日米双方の名前が書かれた平和の礎の説明を受けました。名前の書かれた礎を見て戦争の悲惨さ、平和の尊さ、命の大切さを感じました。

その後、夕方県庁前に移動し「在日米軍基地の整理縮小と日米地協定の抜本的見直しを求める行動」の集会のあと県庁前→国際通り→牧志公園までデモ行進をし2日目を終えました。

平和の礎
平和の礎

3日目

3日目は連合大阪単独の行動で対馬丸記念館と佐喜眞美術館、首里城を見学しました。

昭和19年、戦争の足音が近付いていると老・幼・婦女子は県外へ疎開するように指示されました。対馬丸は8月22日夜10時過ぎ米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により海に沈められてしまいます。乗船者1,788名のうち約8割の人々が海底へと消えてしまいました。もっとも大切なものは命なのです。その命は自分の命であり隣人の命なのです。命の大切さを感じました。

佐喜眞美術館は米軍普天間基地内の一部返還された場所にあります。常設展示されている絵に「沖縄戦の図」があります。これは沖縄戦を体験された多くの人がモデルになっており、沖縄戦の悲惨さが伝わる迫力のある絵です。美術館の屋上からは米軍の戦闘機、ヘリコプターが訓練を繰り返す様子が見られます。

首里城は14世紀に創建された中国や日本の文化も混合する琉球独特の城です。沖縄戦で焼失したが1992年11月3日に復元された城です。

この3日間で感じたことは、戦争とは何も生みださない残るものは虚しさだけであると言うこと。

戦争が人知の及ばぬ自然現象ではなく人の心から発するものならば、世界の人が心を一つにすれば平和は夢ではなく実現するはずだと思います。終戦から68年を迎える中で沖縄の悲劇を決して忘れてはいけない戦争の悲惨さを後世に伝えていかなければならないと感じました。

3日間、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

連合泉州地区協議会 副議長 石井 貴伸

2013年6月23日(日)〜25日(火)【2013平和行動 in 沖縄】に参加してきました。当日、大阪は今にも雨が降り出しそうな天候でしたが、沖縄に到着し飛行機を降りた瞬間から、梅雨明けをした夏本番の沖縄を体感することとなりました。

平和行動自体参加することは初めてですが、沖縄には5回ほど訪れています。恩納村を中心とした北部地域メインの観光旅行でした。今回は事前学習し行動目的は理解していたものの、空港を降りた瞬間は、やはり「リゾート地・沖縄に着いた!」という事が正直な感想でした。

初日はDVDでの平和行動記録放映、那覇市民会館で行われた「平和オキナワ集会」に参加してきました。第1部の基調講演では、佐藤優氏の母の実体験から感じた沖縄戦争の悲惨さ、沖縄在住者の方々の思いを痛感し、第2部の平和式典では、現状沖縄が抱えている大きな問題において、生の声を聞く事が出きました。

DVD平和行動記録放映
DVD平和行動記録放映

2日目の「ピース・フィールドワーク」では、主に南部戦地跡を中心に自分の目で体感することができました。先日の平和集会以降、自分の中で変わりつつあった沖縄戦争のイメージがはっきりと1つの線でつながり、衝撃を超えたものとなりました。特に「糸数壕」では、ほぼ当時の状態で残されており、人々の苦しさを身をもって感じることができました。ピースガイドの2名の方々は、20代前半と若く、初のガイドと言う事で緊張されていたかも知れません。しかし、「沖縄戦争を今後風化させることなく、次世代に引き継いでいくことが私たちの仕事!」と力強く語った言葉に感銘をうけました。

糸数アブチラガマ
糸数アブチラガマ

県庁前県民広場での集会、県庁前〜牧志公園までのデモ行進においても、国際通りで働く沖縄の方々から温かい声をかけられたり、沿道から手を振っていただいたりと沖縄の方々にとって何よりも大切で忘れてはいけない「6.23」であることがしっかりと伝わりました。

デモ行進
デモ行進

3日目は、連合大阪単独で引き続き研修行動を行いました。3日間を通じて、今当たり前のように過ごしている平和な社会の過去に起きた戦争の実相と悲惨さ、何よりも苦しめられた米軍の基地が沖縄県に駐在している事の悲しみ、そんな中で今の沖縄をつくりあげた沖縄の方々の強さ、文章では書ききれないくらいの経験と体験をさせていただきました。

最後に今回一緒に行動させていただいた参加者のみなさん、本当にありがとうございました。また、機会あれば参加させていただきたいと思います。

連合大阪大阪南地域協議会 大林 妙子

降り立った沖縄はとても強い日差しでした。68年前もこんな暑さだったのかと想像しながら、「平和オキナワ集会」が開催される那覇市民会館へと向かいました。

集会では最初に佐藤優氏による基調講演「在沖縄米軍基地と構造的差別」があり、続いて平和式典が執り行われました。どの平和行動もそうですが、全国からたくさんの連合の仲間が集まっているのを見ると、組織だからこそ出来る行動の力強さを感じます。

翌日は朝から「ピース・フィールドワーク」へ参加し、糸数アブチラガマ,ひめゆりの塔,魂魄之塔,平和祈念公園の順にピースガイドの説明を受けながら回りました。

なかでも印象に残ったアブチラガマは、本当に暗く、恐ろしく、一人で入れと言われたら逃げ出したくなるような深い洞窟でした。そんな場所へ安全を求めて何百という人々が逃れ、暗闇で生き、或いは命を落としたのです。

希望を奪う闇の中、遺体が置かれていたという空間の前に立ち、私は自分の命の重さを痛みと共に感じていました。

最終日は、多くの児童を乗せたまま魚雷に沈められた疎開船「対馬丸」の記念館を見学しました。子ども達を親元から引き離し、結果的に死なせてしまった“疎開”という政策。純粋な避難行動の様にも思えますが、これも間違いなく戦争被害の一部です。

「沈んでしまった船体を引き揚げるのが困難なので代わりに記念館を建てた」とのことですが、今でも遺骨・遺品の収集を願う家族の気持ちを思うとやりきれません。

対馬丸記念館
対馬丸記念館

行動の終わりに訪れた佐喜眞美術館では、丸木位里・俊が描いた『沖縄戦の図』と、屋上から見える普天間基地の前でそれぞれ美術館の方からお話しを伺うことが出来ました。

「本土の人が思い浮かべる“戦争”と、地上戦を体験した沖縄の人の“戦争”は違う。空襲を受けることだけが戦争ではない。」「基地が少なくなる期待から日本返還を喜んだのに、ひとつも無くなっていない。沖縄はまだ完全に日本になっていない。」という言葉が強く印象に残っています。

現地の方の感覚通り、沖縄という地は今もなお変動を強いられています。何事もまだ過去ではありません。私たちは何度でも訪れ、また学ばなければなりません。

佐喜眞美術館
佐喜眞美術館

戦争とは、人から人であることを奪います。捕虜になり、生き残った人のほとんどが「死にたかったけれど死ねなかった。」と語る事実。“生きる”ことを恥ずかしいと思わせる残酷な思想や教育。そんな中にいて、当時の人が戦争を批判出来たはずもありません。

ですが、今の私たちにはその行為の愚かさを学び、忘れず、繰り返さないことが出来ます。国籍や言葉や宗教の違いを認め合える知識と心があります。

私はこの平和行動で、自分の命がとても愛おしく思えました。

集合写真
集合写真

2012/10/1 月曜日

連合「2012平和行動in根室」-参加報告-

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 15:47:53

連合大阪大阪南地域協議会 幹事 上田 正吉

9月8日から9日の2間にわたり「2012平和行動in根室」が開催され、全国から多くの仲間と共に参加しました。

2012平和ノサップ集会 連合古賀会長挨拶

7日の朝、伊丹空港を出発後、羽田で乗り継ぎ空路中標津空港に午後1時40分に到着した連合近畿ブロックの32名の仲間と観光バスに乗車、北海道での一連の平和行動スタート。

バスは、一路、オホーツク海・根室海峡を眺望できる標津町海岸から国道244号線を南下、野付郡の道の駅おだいとうに到着、海の向こうには野付半島(海抜2〜3メートル)その向こうにわずか16キロメートルに北方四島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)の国後島が鮮明に浮かんで観え感動した。

再びバスに乗車、野付半島周遊し動物や植物又、地の文化など観ることが出来た。

第1日 9月8日(土)

8日、屈斜路プリンスホテルを出発、屈斜路湖の砂湯・快晴の摩周湖を眺望した後、一路蝦夷じか・牛・馬・狐・鶴など車窓を楽しみながら、北方四島学習会の開催される北方北海道立四島交流センター(略称:ニホロ)に到着、ニホロは、北方領土問題についての国内外の世論を一層盛り上げるとともに、北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)に居住するロシア連邦国民との交流の促進を図る拠点施設。

北方四島学習会は、  第1部15:00〜15:50  第2部16:00〜16:50

北方領土返還要求運動連絡協議会 事務局長 児島泰子さん

各セミナーは押し詰め状態で会場に入りきれない事態であった。私は、本間さんの「北方四島の自然と諸問題」と児玉さんの「北方領土の現状と問題点」を受講。

本間さんは記者として、数回ビザなし交流会に参加し北方領土の島の現状を記録し出版しています。島では開発が進み動物の生態系に変化が出てきていることや空港整備で益々返還交渉が難しくなるのでは?と危惧していました。

又、児玉さんは島の出身者で自由に島へ帰れる日が早く来ることを臨んでいます。島の出身者の高齢化が進んでいることや、約17,000人の元島民も現在7,200人余りになっていることなどの説明と参加者皆さんが、今日見たこと、聞いたことを皆さんの地域で語って頂き返還運動を全国で盛り上げて頂きたいと声を大にして唱えている事に感動を致しました。

第2日 9月9日(日)

9日、納沙布岬・希望の岬公園で2012平和ノサップ集会が開催。

全国仲間1,400名が結集した集会に参加、主催者挨拶で連合古賀伸明会長は、旧ソビエトによる不法占拠を受けてから67年経った今も、北方四島一括返還がされていない現状やロシア政府が進めている四島の開発、ロシア首脳の国後島視察強行など現状の取り巻く状況について触れ、現状を踏まえて連合が取組むべき課題として、ビザなし相互交流をこれまでの文化交流や対話交流に加えて、長期滞在あるいは、経済交流を含めた戦略的な交流を検討する。北方四島にかつて日本人が住んでいた証しとして日本建築物保存と再建について関係団体との協議に入ること。また、高齢化が進む元島民の方々の語り部継承運動へ着手し、戦争の悲惨さを風化させることなく平和活動を未来に繋げるため若い人を中心とした次世代の語り部育成に取組むと述べた。

最後に、「参加の皆さんが語り部となり職場や地域で語り伝えることが、真の運動の広がりと深まりに繋がると確信する。返還が実現するまで運動を続けていくことを誓う」と結んだ。

来賓の挨拶では、元島民の切実な願いの実現に向け日本政府は、日ロ両国の平和と友好、信頼関係を一層醸成させ、日ロ平和条約の締結に向け粘り強い外交を積極的に進めて行くことを政府に対し求める。元島民の高橋さんから、当時強制的に島を追われた悲惨な状況について語ると共に、領土問題について関心を寄せて世論を高めて欲しいと訴えた。

特別報告で竹島問題について、岩田連合島根副事務局長の報告、引続いて平和リレーが行われ、平和4行動スタートの地、沖縄へピースフラッグが受け渡された。最後に地元連合釧根地協佐藤会長が北方四島一括返還を願って力強く団結がんばろうで締めくくった。

2012平和ノサップ集会 連合釧根地協佐藤会長によるガンバロウ

引続いて、歯舞漁港で2012平和ノサップ集会記念「根室水産フェスタ」が開かれ、ホタテ焼・イカのごろ焼・さんま焼・おにぎりを、腹いっぱい堪能しました。

帰りバスの運転手さんの計らいで午前中ガス(霧)がかかっていたため見えなかった貝殻島や水晶島が見えるかも分からないので一度戻って見ることになりました。道中期待感の高まりを押さえ希望の岬公園に到着すると視界が広がり貝殻島の旧日本の灯台や水晶島を観ることが出来て一同、喜びと・感激でいっぱいになりました。運転手に感謝いたします。

10日、釧路空港から羽田経由伊丹空港にて全員怪我もなく帰路に着く。

今回、連合「2012平和行動in根室」に参加させていただき、戦後67年経過しましたが北方領土問題(北海道)・竹島(島根)・尖閣諸島(沖縄)と日本固有の領土が一部不法占拠されている現状を国民全体が認識を深め解決に向けていかなければ領土を失う危険性が有るのではないでしょうか。

集合写真

連合「2011平和行動in根室」-参加報告-

連合大阪大阪南地域協議会 大林 妙子

この度、大阪南地域協議会枠として平和行動in根室へ参加させて頂きました。私が根室へ行きたいと思った理由は、北方領土問題をリアルに感じたかったからです。

この二年ほど”北方領土の日祈念大阪府民大会”へ参加し、歴史的・政治的経緯を学習してきました。しかし、どこか遠い出来事の様な感覚を拭い去れず、ぼんやりとした認識にとどまっている感がありました。

一生懸命返還を訴える元島民や地元の高校生の気持ちを自分に置き換えて感じたい。近いと言われる島々をこの目で見てみたい。また、どうしても疑問に思ってしまう”ビザなし交流”の意義を知りたい。たくさんの気持ちを抱えて大阪を発ちました。

北海道に着き、中標津空港からバスで約一時間。生まれて初めて見る北方領土は、道の駅「おだいとう」北方展望塔からの国後島になりました。その後、野付半島から更に近い国後島を見て、想像以上に衝撃を受けている自分がいました。「近い」という言葉がやっと私の中で現実になった瞬間だと思います。

この僅かな距離の間に越えられないラインがあるなんて、信じられない気分でした。

道の駅「おだいとう」北方展望塔展示室 野付半島ネイチャーセンターから見た国後島

翌日、北海道立北方領土交流センターで開催された北方四島学習会では、元島民の方の体験談「ふるさと北方領土への思い」と、北方領土返還要求運動連絡協議会で事務局長をされている児島泰子さんの「北方領土の現状と問題点」を拝聴しました。

元島民である高橋さんは、思い出したくもない苦しみの記憶と向き合い、語り部の使命として、故郷を奪われ強制送還された辛い過去を話してくださいました。「ずっと根室にいるのは、いつかロシアが引き上げて故郷へ帰れる日が来ると信じているからだ。」「年々帰りたい思いは強くなるが、高齢になり、思いに身体がついていかない。自分にはもう時間がない。」といった言葉が、講演後もずっと心に残りました。

元島民、歯舞群島・勇留島出身 高橋孝志さん

「北方領土の現状と問題点」を講演してくださった児玉さんも元島民ということで、言葉の端々に島への憧れを感じました。スライドで見る島の自然は雄大で美しく、訪れたくなる魅力に溢れています。それらを含む様々な資源と、今ロシアが急速に推し進めているインフラ整備・観光開発計画の説明を受け、いろいろな意味で本当に時間が無いのだということを痛感しました。

9月9日に納沙布岬で行われた「2012平和ノサップ集会」は終始濃い霧に包まれ、わずか3.7キロ先の歯舞群島・貝殻島さえ見ることが出来ませんでした。しかし、全国から集まったたくさんの仲間たちは、近くて遠いその島をそれぞれの心に描いていたと思います。

また、集会中盤では特別報告として連合島根から竹島問題の報告もあり、国民ひとりひとりが全ての領土問題に関心を持たなければならない時が来ているのだと再認識しました。

2012平和ノサップ集会 連合島根からの特別報告

集会を終え歯舞漁港で昼食を取った後、僅かな天候の回復に期待を寄せ、釧路へ向かう予定を変更し再度納沙布岬を訪れました。そこにはっきりと見えた貝殻島は、時々霧に隠されて見えなくなるけれど、確かに自分はそこにいるのだと訴えかけている様でした。

貝殻島の灯台

領土問題は知れば知るほど難しいものです。行く前に感じていたビザなし交流の疑問も、結局すっきりとは納得できていません。それは日本という国が、国民の思いが、まだひとつの意思で固まっていないからかもしれません。

世界中にいる故郷を追われた人々が一人でも多く笑顔で帰れる日が来ることを願い、私も微力ながら今回の行動で知り得たことを誰かに伝えられればと思います。

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連合「2012平和行動in根室」-参加報告-
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2012/8/23 木曜日

連合「2012平和行動 in 広島」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:51:32

連合堺地区協議会 副議長 吉田大輔

核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会 8月4日から6日の3日間、連合「平和行動in広島」に林副議長と共に、初めて参加させていただいた。長崎出身の私にとっては願ってもない機会であった。被爆地からは距離の離れた県内ではあったが、8月9日「長崎原爆の日」は必ず学校は登校日であり、被爆体験者の講話を聞く学校生活が、12年続いた。あれから、20年の年月が経過し、再び、「原爆の日」を被爆地で迎えることになった。
連合大阪の参加者

今までと違った視点から戦争なり原爆の怖さを体感することができた。これまでは、一度に大勢の命が奪われること、放射線被害が長期に渡ることの怖さばかりが記憶されていた。今回の行動を通じて、戦争や原爆はまさしく「人権問題(差別社会そのもの)」であることを実感した。被爆から67年が経過し、被爆体験者の平均年齢は、78歳と高齢になり、社会的には風化の一途をたどっている状況にある。

ピースセミナー平和の語り部「被爆体験の証言」 広島平和記念資料館

私たちは、唯一の原爆による被爆国であり、世界に向けて核兵器の廃絶を求めると共に、代々にわたりこのことを伝承していくことが大切であると改めて感じた。

広島・長崎の「原爆の日」を正確に言える割合は減少し、今や半数程度のまで落ち込んでいる現状を踏まえ、次世代の伝承に向けての様々な活動に積極的に取り組んで行きたいと思う。

中高生による核廃絶署名活動 連合広島ピースウォーク受付
ピースウォークで原爆ドームの説明を聞く参加者 原爆ドーム
折鶴 連合が取り組んでいる、沖縄・広島・長崎・根室それぞれの平和行動は、現在の日本にとって大きな意義があると感じた。歴史的にも、領土問題が戦争に繋がってきたことも踏まえると、現在激化している領土問題を国際的な視点で平和裡に解決されることを望むばかりである。

最後に、是非、来年も林副議長と共に平和行動に参加していきたいと思う。

集合写真

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連合「2012平和行動 in 広島」―参加報告―
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2012/8/22 水曜日

連合「2012平和行動 in 長崎」―参加報告―

Filed under: 活動報告 — 編集部 @ 13:27:15

2012年8月20日
連合泉州地協 会計監査兼幹事 北野 善彦

8月7日から9日の3日間、長崎県で開催された「平和行動in長崎」に参加しました。連合大阪からは8名が参加し、連合泉州地協からはJFE継手労組の谷口執行委員と共に参加しました。

1日目

核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会 1日目、長崎空港に到着後、オリエンテーションを実施した後、「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会(写真)」が開催される長崎県立総合体育館に移動しました。この大会は、連合、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)、核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)3団体が共同開催しているもので、長崎県知事、長崎市長を来賓に迎え、多くの方が参加されました。

私が特に印象に残ったのは、被爆体験者の中島正徳さん(長崎県被爆者手帳友愛会会長)による「被爆者の訴え」です。原爆が投下された当時の状況や、仕事先から自宅に向かうまでに遭遇した出来事を詳細に説明して頂きました。私自身、このような体験談を聞いたことが無く、非常に衝撃を受けた内容でした。

2日目

2日目は、午前中から「ピースウォーク」に参加しました。原爆投下中心地公園をスタートし、「原爆投下中心碑」、「浦上天主堂遺壁(写真)」、「平和の泉」などを連合長崎のスタッフの方に案内と説明を受けました。ピースウォークの途中、長崎平和公園内にある「長崎の鐘」では、打鐘のリハーサルが行われようとしていました。我々連合大阪の一員も参加させて頂き、原爆投下時間である11時2分に合わせて打鐘を行いました。原爆投下の前日とはいえ、大変貴重な体験ができたと同時に、記念に頂いた携帯ストラップは大切に保管しておこうと思います。

浦上天主堂遺壁 「長崎の鐘」打鐘のリハーサル

ピースウォーク終了後、次の行事まで時間に余裕があったので、数名の方と「長崎原爆資料館」へ見学に行きました。資料館では、被爆体験者の方に館内を案内して頂きながら、ご自身の体験談も聞かせて頂きました。広島(「リトルボーイ(ふとっちょ)」)と長崎(「ファットマン(ちび)」)に投下された原爆の種類や、長崎に投下された理由など、丁寧に説明をして頂きました。「あと3分だけ時間を下さい」とギリギリまで説明をして頂いた方に感謝すると同時に、自身の体験を多くの人に伝えようとする熱意を感じました。

2012平和シンポジウムin長崎 資料館の見学後、「2012平和シンポジウムin長崎(写真)」に参加しました。内容は、「2015年NPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた取り組み」について広島大学の水本教授の講演と、外務省の吉田課長を交えたパネルディスカッションが行われました。NPTにおける日本としての取り組み内容や、今後の課題について議論されました。

3日目

3日目は、「被爆67周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(写真)」に参加してきました。当初は、会場に入ることすら困難ではないかと思っていましたが、なんとか席を確保することができました。

テレビでは毎年見ていましたが、実際に参加できたこと光栄に思っています。式典には、野田首相を始め、国内外から来賓の方が参加されていました。一般参加者の中には、海外からの参加者もおられ、関心の大きさを感じることができました。式典は、何事も無く終わることができましたが、唯一残念だったのは、式典中に平和公園の外から聞こえるマイクの音です。広島でも同じ出来事があったと聞き、残念でなりません。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

最後に

私はこれまで、沖縄平和行進や、非核平和行進などの「平和活動」に参加させて頂きました。今回の「平和行動in長崎」も含め、労働組合の役員であったからこそ、これらの行動に参加できたのではないかと思っています。人間だれしも「平和」であることを望んでいる訳で、それを達成するための行動に参加できることを光栄に思っています。

初日の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」にて、高校生平和大使が言われた「私達は、微力かもしれないが、無力ではない」という言葉が印象に残っています。私自身も微力ですが、この言葉を肝に銘じ、今後もさまざまな平和行動に参画し、この体験を多くの方に伝えていきたいと考えています。

最後に、この3日間を共に行動した7名の皆さんのおかげで、すべての行程を無事に終えることができました。本当にありがとうございました。

集合写真

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連合「2012平和行動 in 長崎」―参加報告―
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