火の国熊本らしく、夏日を思わせるような日差しが照りつける中、会場となるホテルに到着し、早速"くまもん"の熱烈な歓迎を受けました。
熊本市は2012年4月に、20番目の政令指定都市に移行し、人口125万人、九州の中央に位置する地理的優位性と阿蘇山麓からの恵みを受け、「優れた都市環境と豊かな自然環境を併せ持つ魅力ある都市」として発展しています。
2011年3月に九州新幹線が開業したことから、今回も往路は九州新幹線を利用しての参加となりました。新大阪~博多間が2時間30分、博多~熊本が30分とアッという間の3時間でした。
さて、第19回連絡会議は、18都市・地域協議会と政令指定都市の行政関係者の参加のもと、総数144名での開催となりました。先ず、開催都市地域協を代表して、熊本地域協議会古澤利光議長、来賓として、連合熊本佐々木義博事務局長、熊本市を代表して、牧慎太郎副市長の挨拶を受け、講演に移りました。
講演は、熊本市から「熊本市の現状(~持続可能で創造的な都市をめざして~)」と題して、企画振興局萱野次長からの熊本市第6次総合計画の内容説明を受けました。特に印象に残った内容は、政令都市で唯一、内科・外科・小児科の24時間診療体制が確立されている医療体制、人口動態では、3年連続増加しており、特に若い女性の流入が多く、出生率も高いこと、また、熊本市の水道水は100%阿蘇山麓からの湧き水が利用され、おいしい水として評判が高いことなどでした。
2つ目の講演は、「ノーモア・ミナマタ」と題して、連合熊本労働弁護団事務局長の園田昭人弁護士から、報告と問題提起を受けました。「公害の原点と言われる水俣病は、1956年5月1日の公式確認から58年が経過しても、なお未解決である」との報告から始まった講演は、参加者の多くを引き付ける内容となりました。
水俣病とは、工業排水中に含まれたメチル水銀により、汚染された魚介類を多食することによって起きた中毒性の神経疾患であり、熊本と新潟で確認されている。遅くとも1953年頃には、人への被害が出始めたと言われているが、会社は戦前の1932年から創業しており、特に戦後の昭和30年代に入り、「アセトアルデヒド(合成樹脂の原料)」製造が国内生産トップという状況の中、有害なメチル水銀化合物を排水とともに流し続けたことによる公害病である。
園田弁護士によると、水俣病との闘いは、「加害企業と行政による加害隠し、被害隠し歴史」である。政府は1968年に公害病であることを認めたが、地域住民の健康調査も行われていない中で、水俣病被害者数は特定できない状況にあり、「大規模健康被害調査基本法」制定の必要性とともに、"ノーモア・ミナマタ"(悲惨な公害を繰り返さない)を強く訴えられた。
休憩を挟み、地協活動報告では、東日本大震災から3年が経過する中、仙台地協からの復興・再生に向けた連合宮城の活動報告、次回開催都市となる京都地協からの活動報告を受け、第1部を終了しました。
また、第2部では参加者の交流・懇親会に移り、地元熊本の山鹿灯篭まつりの踊りが紹介され、各都市と情報・意見交換も盛んに行われる中、来年の開催都市に決まった京都地域協議会の開催日程「2015年6月4日(木)~5日(金)」が報告され、閉会しました。