大阪市地域協議会協議会が2005年に結成(統合)されて10周年を迎える中、その記念事業第一弾の取り組みとして、戦後70年を迎える節目に沖縄研修会を実施しました。
当初は、台風9号の進路が気掛かりでしたが、出発日は沖縄県地方を通過後となり、多少の影響は残っていましたが、お天気にも恵まれた研修会となりました。亜熱帯地域に属する沖縄では、快晴の天気予報でも降雨確率0%は無いとのことでした。
初日の行程は、那覇空港に到着後、昼食を済ませ、連合沖縄を表敬訪問。日曜日にも関わらず高良事務局長と堀川事務局員の出迎えを受け、早速、DVDの視聴を交えた学習会の開催となりました。
DVDの内容は、アメリカ国立公文書館に所蔵されていた沖縄戦の記録フィルムを通して、子どもたちに沖縄戦を伝えようと「1人1フィート」運動を展開して購入・作成された映画のDVD版で、英語版にも翻訳されており、国内はもとより世界各地に第2次世界大戦で最も過酷で悲惨だったと言われる沖縄戦の実相を伝える貴重な映像として知られています。なお、この運動を30年間担ってきた「NPO法人 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」は、2013年3月15日にその使命を終えたとして解散しています。
高良事務局長のお話は、沖縄の戦争体験を語り継ぐことの大切さとともに、6月23日から始まった連合平和行動の取り組み、さらには、1996年の橋本内閣における普天間飛行場の返還(5~7年以内)合意から19年を経過する移転問題に至りました。辺野古沿岸域が移転先として発表されたのは1999年のことで、当初の計画案では、ヘリポートを造る程度の内容として聞かされていた地元住民だったが、2006年に発表された計画案は、辺野古のキャンプシュワブに2本の滑走路をⅤ字形に建設するとの内容が明らかとなり、「新基地建設は機能強化であり、負担軽減につながらない、見直すべき」として、普天間飛行場の移転問題は、辺野古の新基地建設反対運動として今日に至っています。
大阪では、大阪市特別区設置を巡って住民投票が行われていた5月17日、沖縄では、新基地建設に反対する「5.17県民大会」が沖縄セルラースタジアムで開催され、翁長知事をはじめとして3万5千人が参加、高良事務局長は、その夜のトップニュースは、「県民大会で間違いなし」と思ったそうですが、沖縄でも大阪の住民投票の開票状況が放映されていたそうです。
意見交換では、国土面積0.6%の沖縄に全国の在日米軍専用施設面積の74%が集中している現状のもと、米軍基地の縮小・廃止を求める運動と米軍基地内で働く組合員の雇用に関する考え方や、沖縄における日常的な連合運動の展開と辺野古新基地建設の反対運動との関わりなどについて、率直な意見交換を行い、沖縄は1972年の返還後も、西銘・大田・稲嶺・仲井真・翁長と続く歴代知事にとって基地問題が最大のテーマであること、連合沖縄にとっても沖縄県民の生活圏に関わる重要課題であることを改めて認識する機会となりました。
連合沖縄の組合員数は約4万人、構成組織は、自治労、全駐労の順で27組織が結集しているとのことで、地域協議会も県内要所に6ヶ所(北部・中部・那覇・南部・宮古・八重山)設置されています。
連合沖縄での学習会を終え、対馬丸平和祈念資料館を見学した後、夕食交流会には、高良事務局長、そして事務局員の堀川さんにも参加いただき、沖縄料理に舌鼓を打ちながら、泡盛で盛り上がりました。
翌日は、高良事務局長の案内で普天間飛行場の見える嘉数高台公園から、キャンプシュワブ米軍基地前を通り、辺野古(瀬嵩の浜)に到着、辺野古沿岸では、台風9号の関係でボーリング調査は中断されていましたが、普段は調査船と反対運動のボート、そして巡視艇による緊張関係が続いているとのことでした。辺野古海岸からは、太平洋を背景に雄大な景色が広がり、高良事務局長の「この環境を残してほしいと思ってもらうだけでも価値がある」という言葉がとても耳に残りました。
3日目は、それぞれ沖縄を満喫した後、全員無事に帰阪しました。
大阪市地域協議会結成10周年を機に取り組んだ沖縄研修会は、戦後70年の節目の取り組みとして、連合沖縄のご協力のもと、成功裡に終えることができました。
折しも国会周辺では、「戦争法案」反対!座り込み行動が展開される中、衆議院特別委員会及び衆議院本会議において「安全保障関連法案」の強行採決が行われようとしています。「憲法解釈の変更により集団的自衛権を行使できる」とする安倍政権の暴挙は、憲法違反であることに加え、「国民の理解が進んでいない」ことを認めながらも、米議会での「約束」を優先するという、憲法と民主主義を軽視・蹂躙する態度は許せない思いを強くしたところです。