連合大阪の「平和行動in長崎」は、2016年8月8日から10日に実施されました。
初日(8日)15:30~は、長崎県立総合体育館メインアリーナで連合主催による「連合2016平和ナガサキ集会」が、ハンドベルのオープニングで開催されました。今年5月には、アメリカ合衆国の現職大統領が初めて被原爆地広島を訪問されたことから、世界中の人々からの注目を浴びることになりましたが、核兵器がもたらす悲惨さや恐ろしさを改めて広めていかなければなりません。
とりわけ、ナガサキからの平和アピールでは、「核兵器による悲惨な被害が二度と起こらないために、『核実験の中止』、『核兵器廃絶』に向けて、今後も世界に向けて強く、広く働きかけを続けていく。そして、昨年、節目の年に展開をした次世代への継承を発展させていく。」が確認をされました。
最後に、沖縄そして広島・長崎と続くピースフラッグが連合長崎より、次の開催地(9月平和行動in根室)である連合北海道に手渡されました。
2日目(9日)は、長崎市主催の「被爆71周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」へ参加しています。前年に行かれた方より、開催時間間際に行くと会場内に入れないとの事でしたので、10:35からの開催時間でありましたが、ホテルを8:30に出発し、現地に9:00頃に到着しました。それでも、多くの方が参加されていましたので、一行はちりばめ椅子に座りました。式典は、献水、献花、黙とうが執り行われ進められています。
なかでも、田上長崎市長の「長崎平和宣言」では、「被爆から71年が経ち、被爆者たちの平均年齢は80歳を超えました。世界が『被爆者のいない時代』を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。」と、後世に残す活動を強めていく必要性について訴えられています。
午後より、連合主催による平和公園での「ピースウォーク」、原爆資料館の見学、19時より浦上川での「万灯流し」に参加しています。私たちは、今回体験したことを通じて組織や家庭において継承し、未来のために、過去を向き合う一歩を踏み出していかなければなりません。
3日目(10日)は、世界文化遺産「軍艦島」をオプションツアーで見学をしました。昨年の一行の情報では、軍艦島の桟橋まで行ったようですが、波が高く、船長の判断で上陸できなかったと聞きました。若干、前日より不安な気持ちを持っていましたが、当日は「なぎ」の状況で、むしろ影のない軍艦島では40℃を超える気温で、熱中症の心配がされていました。ちなみに、2016年の上陸率は90%を超えているようです。
1869年端島炭坑の開発に着手してから以降、1974年三菱が閉山し無人島になるまでの間、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には約5,300人もの人々が住んでいました。海底炭鉱である端島での採掘作業は、海面下1,000m以上の地点にまで及んでいて、勾配はきつく、気温30℃、湿度95%という悪条件のもと、ガス爆発など常に隣り合わせの仕事は過酷なものであったと説明を受けました。
明治維新そして大正へと日本の産業や文化が著しく発展を遂げ、各地で採掘された石炭はその発展を支えたものでした。端島三菱炭坑もその一役を担っています。また、閉山するまでの間、約200名の方が過酷な条件のもと命を絶たれたと聞きました。文明革命を支えていく中で、労働者の犠牲は忘れてはならないし、労働者の尊さを見つめなおさなければなりません。今一度、労働組合としての役割をみつめ、取り組みを進めていく必要性に駆られたところです。